とんでもない騒動
バルトロマイは眉間に皺を寄せ、苦しいような切ないような、なんとも言えない表情を浮かべていた。
それも無理はない。前世の私達は皇帝や教皇が暗躍を続けたいがために、潰されたようなものだから。
「バルトロマイ様、これからどうなさるおつもりですか?」
「ひとまず、カプレーティ公爵に報告して、母にも相談したほうがいいだろう。それから――」
どうすればいいのか、何をすれば正解なのか、きっとわからないのかもしれない。
俯くバルトロマイを抱きしめる。
「ジル……。このままどこかへ逃げて、ふたりでひっそり暮らせたら、とても幸せだろうな」
「ええ」
ただ、前世のように、手と手を取り合って逃げた私達を、皇帝と教皇は逃がさないだろう。地の果てでも追いかけてくるのはわかりきっていることだ。
たぶんバルトロマイは、告発してももみ消されてしまう可能性を危惧していたに違いない。
汚い手を使って長年帝国を牛耳っていた者達ならば、真実を潰すことなどなんとも思っていないのだろう。
ただ、前世と違って、歴史が記録された巻物は私達の手にある。
だからきっと上手く立ち回れば、勝利を掴めるはずだ。
彼から離れ、顔を覗き込む。
手を握り、ある願いを口にした。
「バルトロマイ様、今世では、わたくし、お父様やお母様、それからたくさんの人達に祝福されながら結婚したいです」
そう口にした瞬間、バルトロマイの瞳に光が宿る。
「ああ、そうだな。もう、逃げてはいけないのかもしれない」
バルトロマイと抱擁を交わし、立ち上がった。
ひとまずカプレーティ家へ帰ろう。一度皇帝陛下の寝所に戻ると、廊下がバタバタと騒がしい。
「なんの騒ぎだ?」
「バルトロマイ様、ひとまず他の寝室へ移りましょう」
私達がここにいることを、誰かに見つかったら大変だ。
ルッスーリアに頼んで、近衛騎士の寝台へ移動する。
ここでも、部屋の外は大騒動だった。
「ジル、ここに隠れておけ。事情を聞いてくる」
「ええ、わかりました」
寝室の扉がパタンと閉ざされると、騎士達の畏まるような声が聞こえた。
そして、騒動についても報告される。
「――教皇聖下がイラーリオ・カプレーティの手によって、暗殺されました!」
「さらに、イラーリオ・カプレーティは教皇聖下の首を下げ、皇帝陛下の元に向かおうとしています!」
「なんだと!?」
悪魔に支配されたイラーリオは、とんでもない悪行を働いていたようだ。
バルトロマイは騎士達に皇帝の傍を警護するように命令し、私のもとへ戻ってくる。
「ジル、今の言葉を聞いていたか?」
「え、ええ。ま、まさか、イラーリオがそんなことをするなんて」
手がガタガタと震える。ぎゅっと拳を握ろうとしたら、バルトロマイが私の手を握って制す。
「ジル、すまないが先にカプレーティ家に戻っていてくれ。俺は皇帝陛下のもとへ向かわないといけない」
「それはできません!」
今、離ればなれになったら、永遠に会えないような気がして、彼に縋ってしまう。
「危険なのも、足手まといなのも、重々承知の上です! ですが、あなたと共に在りたいのです」
「ジル……ジュリエッタ……」
バルトロマイは私を抱きしめ、どうして、と切なげな声で囁く。
「わたくしの、最後の我が儘です。どうか、叶えてくださいませ」
「最後の我が儘だなんて言うな」
バルトロマイは目をきりりとつり上げながら物申す。
たしかに、縁起が悪い言い方だったかもしれない。
「事件が解決したら、ジルの我が儘を毎日聞いてやるから」
「!」
バルトロマイは迷いのない瞳を向け、私に言う。
「ジル、行こうか」
「はい!」
イラーリオは皇帝がいる謁見の間に向かっていると言う。
近衛騎士の中でも一部の者しか知らない隠し通路を通って先回りするようだ。
「ジル、こっちだ」
「ええ」
バルトロマイの執務室に移動し、本棚にある本を出したり入れたりを繰り返す。すると、ガコン、と音を立てて本棚が動き、くるりと回転して扉が現れた。ここが隠し通路の入り口だと言う。
バルトロマイの誘導で、薄暗い隠し通路を通って行く。
五分ほど進んだ先に、謁見の間から少し離れた通路に出る扉を通って廊下に出た。
騎士達がバタバタと慌ただしく走り回っている。
遠くのほうから、悲鳴にも似た声が響き渡った。
「に、逃げろ!! 俺達が勝てる相手では――ぎゃあああああああ!!」
断末魔のような叫びが聞こえ、ゾッと鳥肌が立った。
現場に向かっていったはずの騎士達が、こちらへ戻ってくる。
黒い靄のようなものが足元に流れてきて、ゾッとしてしまった。
しだいに、こちらへ向かってくる者の姿が見えていた。
「あ、あれは――!?」
左手に教皇の髪を掴んで生首を引きずり、右手には槍を握るイラーリオの姿である。
以前は靄で姿が見えない状態だったが、今は足元にまとわりついているばかりだった。
コツ、コツと足音を立てて接近し、ついにはバルトロマイと対峙する形となった。
「またお前か。くどい」
憤怒の悪魔に支配されていたイラーリオだったが、正気を取り戻したのか。普段の彼に戻っているような気がした。
イラーリオは私に気付くと、憎しみが籠もった目で睨みつける。
「ジュリエッタ、こっちに来い」
「お断りします」
「ならば、あの男を殺して、無理にでも連れていこう」
イラーリオは教皇の生首をバルトロマイに投げ、槍を突き出した。




