院長からの呼び出し
バルトロマイに出会った衝撃で、私は一週間ほど寝込んでしまった。
奉仕活動で無理をしているのではないか、と両親から咎められ、外出すら禁じられてしまう。
一ヶ月ほど経ち、紅葉していた木々の葉はすっかり散ってしまった。
ぼんやり過ごすうちに、季節が通り過ぎてしまったのだ。
何かしなければいけない。そう思っていた矢先、フェニーチェ修道院の院長から一通の手紙が届く。
何かあったのだろうか。疑問に思いつつ、開封した。
手紙に書かれてあったのは、驚くべきことだった。
「こ、これは――!?」
なんでも、あのバルトロマイが、告解室で私に会いたい、と熱望しているらしい。
指名制度はないと断ったようだが、寄付を積まれてしまったようだ。
院長はお金に目が眩み、引き受けてしまったという。
バルトロマイがやってくるのは、今日の午後。それ以外は難しいと書かれてある。
どうか頼む、と切実な内容が書き綴られていた。
熱はすっかり下がり、咳も止まった。
元気そのものだが、外出の許可はいまだ出ていない。
こうなったら、窓から外に出るしかない。部屋は二階にあるものの、木を伝って下りたら地上に着地できるだろう。
幸いと言うべきか、ばあやは今日、休日である。侍女やメイドは呼ばない限り、私のもとへやってこない。
つまり、行こうと思えば行けるわけだ。
ただ、この手紙を無視しても、大きな問題は起きないだろう。
けれども院長に恩はあるし、バルトロマイがなぜ私に会いたいかも気になる。
会ってはいけない相手だと、わかっていた。
けれどもあの彼が、会いたいと熱望しているというのだ。
おそらく、何か悩みについて話したいことがあるのだろう。
バルトロマイと会うのは、私のためではない。
彼の悩みを解決するためだ。
そう言い聞かせ、身なりを整える。
ドレスを脱ぎ、厚手のストッキングを穿いたあと、修道女見習いの制服をまとった。頭の上からベールを被り、外れないようにピンで留める。
化粧っ気ゼロのすっぴんだが、ベールがあるので許してほしい。
窓を広げ、近くに生えている木に足をかける。太い枝をしっかり踏み、ゆっくりゆっくり下りていく。
なんとか着地すると、一目散に駆けた。
庭師がいないルートはすでに把握している。いつか家出してやろう、といろいろ調べていたのだ。
使用人が出入りする門の鍵を開け、外に飛び出す。
誰にも見つからずに、屋敷の外に行けたようだ。
そこから乗り合いの馬車に乗って、フェニーチェ修道院を目指す。
約束の時間は迫っていた。
あのせっかちなバルトロマイのことだから、すでに告解室に座っているだろう。
私が来ないと思って、大きな体をしゅんと縮ませている様子が、ありありと想像できた。
郊外まで行くのは私だけだったようで、馬車にひとりきりとなってしまう。
ふう、とため息を吐いた瞬間、声が聞こえた。
『――よう、ジュリエッタ』
馬車の中にあった影がうごめき、真っ黒いウサギの姿と化す。
「アヴァリツィア、久しぶりですわね」
『あんたが悪行を働いたから、出ることができたんだ』
見た目はかわいいウサギなのに、声は老人のようにしゃがれている。おまけに、額からは角が生えているのだ。
これはただのウサギではない。カプレーティ家の者に代々取り憑く悪魔の一体である。
悪魔は全部で七体存在するらしい。
私には、〝アヴァリツィア〟という名の悪魔が取り憑いているのだ。
『いいのか? 勝手に家を飛び出して』
「緊急事態ですわ」
『男に会いにいくと知ったら、お前の両親は卒倒するだろうなあ』
「お黙りなさい!」
なぜ、カプレーティ家は悪魔と繋がりがあるのか、というのは詳しくは知らない。
ただ、カプレーティ家の者に全員取り憑いているわけではない。悪魔が特別気に入った者のみ、取り憑いているのだとか。
悪魔は生涯の中で、大きな恩恵と引き換えに、願いを叶えてくれると言う。
恩恵が何かも知りたくないし、二度と現れてほしくなかった。
先ほど彼が言っていたように、私が悪事に手を染めると、ああしてやってくるのだ。
この悪魔という存在は、カプレーティ家を苦しませる存在である。
どうにかして祓えないものか、考えている最中であった。
前世では悪魔なんて取り憑いていなかったのに、どうしてこうなってしまったのか。
『今から、お前の両親に密告してこようかな』
無言で携帯していた聖水を振りかけると、アヴァリツィアは『ぎゃああああ!』と悲鳴をあげ、姿を消していった。
悪魔のことは頭から追い出し、バルトロマイのことだけを考える。
なるべく急いでほしいと御者に銀貨を握らせたら、少し飛ばしてくれた。そのおかげで、約束の時間の五分前に到着する。
門の前で院長が待っていた。
「シスター・ジュリエッタ! ようこそおいでくださいました!」
「すみません、遅くなりました」
「いえ、時間通りですが、モンテッキ卿は一時間半前から告解室に入っています」
「そ、そうですか」
忙しい御身であるはずなのに、実は暇なのではないか、なんて思ってしまった。
今は院長とゆっくり話している場合ではない。急いで告解室に向かう。
「お、お待たせしました!」
バルトロマイは私が座った途端、窓を拳でどん! と叩く。
彼が本気で叩いたら、窓ごと吹っ飛んでいたはずだ。おそらく、彼的には軽く触れた感覚なのだろう。
「あのときの、シスターだな?」
「ええ、そうです」
声を聞いただけなのに、ドキドキと激しく鼓動する。
胸がいっぱいになり、息苦しくもなった。
私にとって彼の存在は、まるで毒のようだ。
過剰摂取は体によくない。
「今日も、来ないと思っていた」
なんでもバルトロマイは、あれから三日に一度、フェニーチェ修道院に足を運んでいたらしい。
「何か、悩み事でもあったのですか?」
「いや、これを見てほしくて」
バルトロマイはスケッチブックを持参していたようだ。
まさか、描いた絵を見せてくれるというのか。
身を乗り出して見ようとしたが、目の前に漆黒が広がって悲鳴をあげそうになる。
彼が見せてくれたのは、真っ黒に塗りつぶされた画用紙だった。
バルトロマイの心の闇を映し出したような絵に、絶句してしまう。
「何を描いていいのかわからず、いろいろ描いているうちに、こうなっていた」
「あ、そう、だったのですね」
これを描こうと思って、完成させたものではないらしい。
ひとまずホッとする。
「これまで景色や物、動物、植物など、さまざまな物を描いてみた。けれども、どうにもしっくりこない」
「でしたら、絵を描くことには向いていなかったようですね」
生まれた環境が異なれば、本人の感覚も変わってしまうのかもしれない。
「いや、鉛筆を手に取って、画用紙に向かっていると、不思議と心が穏やかになる」
「あら、そうでしたの?」
「ああ。ただ、何か描こうと手を動かした瞬間、俺が描きたいのはこれじゃない、と思ってしまうようだ」
どうやら、絵画が彼にとって、心の安寧であったことに間違いはなかったみたいだ。