皇帝陛下の寝所へ
行動を起こすならば、早いほうがいい。
バルトロマイはそう言って、すぐに発つと言う。
「今の時間ならば、掃除なども終わっている。皇帝陛下は今日議会に参加しているだろうから、寝所へは夜まで誰も近寄らないだろう」
さすが、皇帝派の護衛騎士である。先のスケジュールまで把握していたようだ。
「でしたら、ルッスーリアの能力を使って、移動しましょう」
バルトロマイの寝台の上でルッスーリアを呼ぶと、ヌッと顔だけ出してくる。
『下着!』
「挨拶みたいに言わないでくださいませ!」
報酬もなく転移を頼むのもどうかと思ったので、先ほど屋敷のメイドに頼んで、シルクの下着を買いに行ってもらった。
それを差し出したものの、ルッスーリアはカッと目を見開きながら訴える。
『これは未使用だ!』
「どうしてわかるのですか!」
『わかるぞ! 下着の悪魔をバカにしないでほしい』
「あなたは色欲の悪魔でしょう」
いったい何を言っているのか。話していると、頭が痛くなる。
バルトロマイは聖剣の柄を握り、今にも抜刀しそうだった。
ルッスーリアの命が危ない。上手い具合に説得する。
もちろん、この下着を着用して渡すわけではない。
「そちらの下着を踏んで差し上げますので、満足していただけます?」
『下着を、踏む……だと?』
「ええ。踵で、ですが」
これがルッスーリアの下着にできる精一杯のことである。
ルッスーリアは黙ったまま、反応しない。やはり、ダメだったか。
そう思っていたが――。
『し、下着を踏むなんて、新しい!! ぜひとも頼む!!』
思っていた以上に、あっさり承諾してくれた。
ルッスーリアが丁寧に広げた下着を、思いっきり踵で踏みつける。
このド変態!! と思ったものの、口にしたら彼が喜んでしまう。
必死に耐えながら、下着を踏んだのだった。
『ああ、すばらしい!! 下着を乙女が踏みつけるという行為は、なんて清らかなんだ!! まるで芸術だ!!』
「ルッスーリア、そんなことはどうでもよいので、皇帝陛下の寝台まで連れて行ってくださいませ」
『お安い御用だ!』
そう言った途端、景色が変わる。
バルトロマイの寝室から、皇帝陛下の寝台らしき場所へ下り立った。
ここで間違いないのか。バルトロマイのほうを見ると、こくりと頷いていた。
無事、皇帝陛下の寝所に侵入できたようだ。
天蓋付きの寝台には、上等なリネンのシーツが広げられている。毛布はウサギの毛皮でできていた。
毛足の長い絨毯はふかふかで、マホガニーの円卓や寝椅子が品よく置かれていた。
目的の暖炉はすぐに見つかる。
黄金の飾り枠に囲まれていて、存在感をこれでもかと主張していた。
掃除はきちんとされているようで、灰の一粒さえも落ちていない。
バルトロマイが覗き込むが、鍵を差し込むような穴はないと言う。
「あの、バルトロマイ様、灯りをどうぞ」
「ジル、ありがとう」
角灯を受け取ったバルトロマイは、隅々まで探していった。
「いや、ない――」
「ありました!!」
黄金のマントルピースに彫られた、獅子の口の中に鍵穴が隠されていた。
「暖炉の中ではなく、外だったのか」
「そのようです」
バルトロマイが鍵穴に鍵を差し込むと、赤い魔法陣が浮かび上がった。
ルッスーリアの転移魔法と似ている。
「これは、悪魔の術式だな」
「ええ……。バルトロマイ様、どうしますか?」
「行くしかないだろう」
バルトロマイは私に手を差し出してくれる。
ここで待っているように言われるかもしれない、と覚悟していたので驚いた。
「ジル、どうした? 怖いのか?」
「いいえ。バルトロマイ様と一緒ならば、どこへ行くにも怖くありません」
そう言って、彼の手を握る。
一度頷き合ってから、魔法陣の上に足を踏み入れたのだった。
感覚は転移魔法と同じであった。すぐに景色が変わり、地上へ降り立つ。
そこは地下のようにじめじめした、薄暗い場所だった。
地面から突き出た水晶に似たものが、ほんのり発光している。
真っ暗ではないものの、視界はすこぶる悪い。
地響きのような妙な音と、肉が腐ったような悪臭が漂っていた。
さらに、ここにやってきてからずっと、悪寒が収まらない。
ガタガタと奥歯が鳴るのを、必死に堪えた。
「バルトロマイ様、いったいここは、どこなのでしょうか?」
「わからない」
図書室のような場所に下り立つものだと思っていた。
しかしながら、ここはまるで――。
「地下牢のようだ」
バルトロマイがそう呟いた瞬間、真っ赤な魔法陣が浮かび上がる。
地面に生える水晶も強く発光し、空間を明るく照らす。
「あ、あれは!?」
魔法陣の上に、何かがいた。
全身黒く、ナイフのように鋭い棘を背中に生やした、この世でもっとも邪悪な魔物。
「バルトロマイ様、邪竜です!」
私が叫んだ瞬間、バルトロマイは聖剣を引き抜いていた。




