ジュリエッタの強欲
アヴァリツィアは出てこないかもしれない。そう思っていたが、目の前にウサギのシルエットが浮かび上がった。
彼は私を振り返り、にやりとほくそ笑みながら話しかけてくる。
『ジュリエッタ、ようやく腹を括ったか』
「ええ! 強欲でもなんでも差し上げますから、助けてくださいませ!!」
『言われなくてもわかっている』
イラーリオが私の肩を掴み、首筋に噛みつこうとしてきた。
「があああああ!!」
「きゃあ!」
『させるか!』
アヴァリツィアはイラーリオに蹴りを入れて倒してしまう。
すぐに起き上がったが、床から黒い荊の蔓が生え、イラーリオの足に絡まる。
「ぐいいいいいいい!?」
『お前はここで大人しくしているんだ! あとは――』
アヴァリツィアは倒れたバルトロマイのところへ急ぐ。私も彼のあとに続いた。
「バルトロマイ様、大丈夫ですの!?」
声をかけるが、反応はない。バルトロマイの手足には、靄がこびりついていた。この靄が原因で、いつものように動けなかったのだろう。
アヴァリツィアがバルトロマイの体を仰向けにする。腹部を手で押さえているようだった。アヴァリツィアが手をどけると、板金鎧を貫通するように負傷していた。
「ああ、なんてこと!」
『ジュリエッタ、そいつの手を握ってやれ』
「は、はい」
アヴァリツィアはぶつぶつと呪文を口にする。真っ赤な魔法陣が浮かび上がり、バルトロマイの血がぐつぐつと沸騰するように泡立っていた。
バルトロマイは体を痙攣させ、苦しみ始める。
この魔法はいったいなんなのか?
『――我が身を呪え、違背回復!』
パチン! と音が鳴るのと同時に、魔法陣は消える。
バルトロマイの傷はきれいさっぱり塞がっていた。
ただ、呪いの回復魔法だったので、気になってしまう。
「あの、アヴァリツィア、この魔法は悪魔から呪われるものでは?」
『呪いが付与される悪魔なんて、サタンのおっさんくらいだろうが。回復効果があるだけだから、気にするな』
それを聞いて、ひとまず安心する。
「ああ、よかった」
『喜ぶのはあとだ! さっさとここから撤退しろ』
そうだ。ここから脱出しなければならない。
布団をバルトロマイのもとへ運ぶと、アヴァリツィアが蹴りを入れて彼の体を転がしてくれた。
「アヴァリツィア、ありがとうございます」
『ふん! あとは自分達の力でどうにかすることだな。おっと、その前に』
アヴァリツィアは私の胸に手を伸ばすと、真っ黒い球体が出てくる。
これが、強欲の塊なのか。
『はは、これがお前の〝強欲〟か。いただくとしよう』
アヴァリツィアは私の強欲を呑み込む。
『やっぱり美味いな。最高だ』
強欲を失ったものの、私は何も変わっていないように思える。
バルトロマイへの愛も、そのままだった。
「あの、アヴァリツィア。わたくしは本当に、強欲を失いましたの?」
『ああ。お前の中にある――バルトロマイを幸せにしてやるっていう強欲は、全部食ってやったぜ』
「バルトロマイ様を幸せにしたいという思いが、わたくしにとっての強欲ですの?」
『そうだ。自分の幸せさえ掴むのが難しいというのに、他人の幸せまで望むなんて、とんでもなく強欲なことなんだよ』
「そう、だったのですね」
『もうお前は二度と、自分の命をなげうってまでも、あいつの幸せを勝ち取ることなんてできないだろう』
そんなことを言っていたアヴァリツィアの体が、どんどん薄くなっていく。
「アヴァリツィア、その体、どうかしましたの?」
『お前が強欲を失ったから、取り憑くことができなくなっただけだろう』
「そんな!」
まさか、彼との契約が途切れるなんて。
生意気でぜんぜん言うことを聞かない悪魔だったが、いなくなるのは寂しい。
『ジュリエッタ、二度目の人生なんだから、今度こそ幸せになれよ』
「アヴァリツィア!」
『じゃあな!』
その言葉を最後に、アヴァリツィアの姿はなくなる。
同時に、イラーリオを拘束する荊の蔓が消えたようだ。
「があああああ!!」
イラーリオは立ち上がると、こちらへ向かってくる。
ぼんやりしている場合ではない。ここから脱出しなければならないだろう。
布団の上に乗り、ルッスーリアに声をかけた。
「ルッスーリア、わたくしとバルトロマイ様を、ここではないどこかへ連れて行って!!」
『どこかって、どこだ?』
「ば、場所指定ができますの?」
『できるぞ』
私の実家にバルトロマイを連れて行くわけにはいかない。
「うううう、おおおおおお!!」
イラーリオが眼前に迫った瞬間、私は叫んだ。
「ア、アケーダ院長がいらっしゃる、フィニーチェ修道院までお願いいたします!」
『了解!』
イラーリオが私に襲いかかるよりも先に、ルッスーリアの転移魔法が発動する。
景色ががらりと変わり、真っ暗な部屋の硬い寝台の上に下りたった。
「うっ……!」
あろうことか、私はバルトロマイのお腹の上に下りてしまったらしい。兜の隙間から苦しげな声が聞こえた。
「バルトロマイ様!!」
寝台から下りてバルトロマイの兜を外す。暗くてよく見えないので、頬や額に触れてみると、眉間に皺を寄せているようだった。
「ううん……ジル?」
「は、はい! ここにおります」
手を握ると、安堵するような吐息が聞こえた。
「ケガはありませんか?」
「ケガ……?」
そう呟いたあと、バルトロマイはハッとなって腹部を確認する。
「ケガが治っている!? あの男から、深く刺されたというのに」
「腹部のケガは、アヴァリツィアが治してくれました」
「そう、だったのか」
他にケガはないようで、ホッと胸をなで下ろす。
「ジル、お前は平気か? あいつに何かされなかったか?」
「おかげさまでなんとも。イラーリオを引きつけてくださったおかげで、いろいろできました」
「そうか」
彼と話しつつ、儀仗騎士の装備を外していく。寸法が合っていない板金鎧なので、身に着けていて辛かっただろう。
イラーリオと戦っているさいにまとわりついた靄も、アヴァリツィアが払ってくれたのか、いつの間にかなくなっているようだ。
「ジル、ここへはどうやってやってきた?」
「アヴァリツィアに助けていただき、ルッスーリアの能力で転移しました」
「そうだったのか」
「おそらくこちらはフィニーチェ修道院だと思われます」
部屋に窓はなく、真っ暗なので、本当にここがフェニーチェ修道院かはわからないのだ。
「ここは、たぶん地下だな」
「罪人を収容する部屋なのでしょうか?」
「おそらく」
バルトロマイが手探りで角灯とマッチを探し、火を点す。
角灯を掲げ、部屋の様子を見たら、とんでもない品が壁に立ち掛けられていた。
「これは、モンテッキ家の聖剣!?」