イラーリオと悪魔
胃の辺りがスーッと冷え込むような、心地悪い感覚に襲われる。
まさか、ここでイラーリオと会ってしまうなんて。
おそらく、ミサが始まっているのにここにいる私達が、不審人物に見えたのだろう。
変装しているので、イラーリオが私やバルトロマイだと気付いたわけではない。
だから大丈夫。
そう自らに言い聞かせながら言葉を返そうとしたが、バルトロマイが任せろと言わんばかりに私の背中を軽く叩いた。
彼は私を守るように前に立ち、ツカツカと歩いてくるイラーリオに向かって、冷静に問いかける。
「何かあったのか?」
バルトロマイの声色に、動揺は欠片もなかった。私が言葉を返していたら、声が震えていただろう。
「お前、よくもぬけぬけと、そのようなことが言えるものだな。お前が誰か、この俺がわからないと思っているのか?」
どくん! と胸が大きく脈打つ。
イラーリオは私達の正体を気付いている?
バルトロマイの背後よりイラーリオを覗き込む。すると、大量の黒い靄を発するだけでなく、角が生えた蛇の悪魔を従えていた。
さらにイラーリオと目が合ってしまい、ゾッと鳥肌が立つ。
何もかも見透かすような瞳だったのだ。
彼は怒りの籠もった目で私を見つめ、咎めるように話しかけてきた。
「ここで何をしている、ジュリエッタ!!」
ああ、と落胆の思いがこみ上げてくる。悪魔を従える彼には、変装なんて無意味だったのだろう。
「お前の傍にいる男は、モンテッキ家のバルトロマイだぞ!? 早くこっちへ来い!!」
どうやら彼は私がバルトロマイに騙され、一緒にいると思い込んでいるようだ。
もうすでに、言い逃れなんて不可能だろう。
ただ、何も知らないでバルトロマイといると勘違いされた件に関しては、はっきり否定しなければならない。
「わたくしは彼を信用し、行動を共にしております」
「何を言っている!? その男はカプレーティ家の敵、モンテッキ家の次期当主だぞ!」
「存じておりますわ」
イラーリオは眉をキリリとつり上げ、怒りの形相で私を睨む。すると、靄が噴き出るように増え、蛇の悪魔の存在感がどんどん増していく。
彼が従える悪魔は、もしかしたら憤怒の悪魔なのかもしれない。
イラーリオが怒るたびに、力を増しているように見えたから。
「ジュリエッタ、お前はその男に騙されているんだ!」
イラーリオが私のほうへ接近し、腕を伸ばす。けれどもその手を、バルトロマイが叩き落とした。
「ジルに触れるな」
「ジル、だと? なぜ、お前ごときが、ジュリエッタを愛称で呼ぶ!?」
「わたくしがお願いしたからです。バルトロマイ様は悪くありません!」
さらに、イラーリオの靄の量が増えていく。辺り一面が真っ黒に染まりつつあった。
「こいつは俺が引き留めておく。ジルは逃げるんだ」
「しかし――」
「何をごちゃごちゃと喋っているんだ!!」
イラーリオはそう叫びつつ、蛇の悪魔の角に触れた。すると、蛇の姿から槍に姿を変えていく。
悪魔を武器に変化させるなんて。
ただでさえ、悪魔を従えるイラーリオにバルトロマイは圧されていたと言うのに。
「アヴァリツィア! わたくしを助けて!」
必死になって頼んでいるのに、やはり彼からの返答はない。
アヴァリツィアを使役するためには、強欲を捧げなければならないのか。
「バルトロマイ・モンテッキ、死ね!!」
ついに、イラーリオとバルトロマイの戦闘が始まってしまった。
黒い靄を全身にまとわせ、蛇の悪魔に変化させた槍を握るイラーリオは、バルトロマイに猛攻を繰り返す。
変装用の板金鎧と装飾過多な儀仗騎士の剣で戦うバルトロマイは不利だ。
私にできることは、悪魔を頼ることだけ。
アヴァリツィアがダメならば、もう一体の悪魔がいる。
「ルッスーリア! わたくしの声を聞いて!」
『なんだ?』
あっさり返答があったので、驚いてしまった。
ただ、姿はどこにも見えない。声が聞こえるばかりである。
「今、どこにいますの? 助けてほしいのですが」
『いや、そこに下り立つのは難しい。その場は悪魔避けの結界があるからな!』
「でしたら、あの蛇の悪魔はなぜ、平気ですの?」
『ああ、あれは、教皇公認の悪魔だからな』
「どういうことですの!?」
聖なる象徴である教皇と悪魔が繋がっているなんて、ありえないだろう。
カプレーティ家が悪魔に取り憑かれ、その力を利用し、モンテッキ家と敵対していた歴史はたしかにある。
けれどもそれは一族のみの秘密とし、一族以外の者は知らないものだと思っていたのだが……。
いいや、今はそんなことなど気にしている場合ではない。
ここからバルトロマイと共に、脱出しなければならないのだ。
「ルッスーリア、ここからの脱出を手伝ってください」
『いや、それは難しい。そこに下り立つだけで、首を絞められているような息苦しさがあるから』
「どうかお願いします!」
悪魔を従えるには、対価を差し出さないといけないのだ。
バルトロマイはイラーリオに圧されている。あまり保たないだろう。
ならば、腹を括るしかない。
色欲の悪魔ルッスーリアが望むのは、私の下着姿だろう。
けれども夫以外の者に肌を見せるなんて、言語道断。
ただ、直接見せなければいい。その方法は、ひとつだけある。
「わたくしの、下着姿の絵画を差し上げますので!」
『乗った!!』
ルッスーリアは清々しいまでの返事をしてくれた。