クレシェンテ大聖宮へ
雪がしんしんと降り積もる静かな夜――修道女服をまとった私と、儀仗騎士の板金鎧を着込んだバルトロマイが寝台の近くに佇む。
今からクレシェンテ大聖宮へ潜入調査を始めるのだ。
一応、念のために変装をしている。
私は黒髪の鬘を被り、瞳の色がバレないよう、色付き眼鏡をかけていた。
バルトロマイは長い栗毛の鬘に、分厚いレンズの丸眼鏡を合わせている。
ちょっとした変装だが、イメージがガラリと変わっている。きっと知り合いに会っても、バレないだろう。
ただ、私達という存在が怪しまれたらどうすればいいのか、と考えていたのだが、それに関してバルトロマイは心配いらないと言う。
なんでもクレシェンテ大聖宮の内部には、手引きをする修道女や儀仗騎士がいるらしい。対価さえ払えば、要望に応える者達が一定数いるようだ。
「ジル、そろそろ行こうか」
「ええ」
あの変態悪魔ルッスーリアに頼み事をするのは気が進まないが、クレシェンテ大聖宮に潜入するためには仕方がない。
「ルッスーリア、いますか?」
『なんだ?』
暗闇から、角を生やした黒馬が天幕の影からヌッと出てきた。見た目は悪魔らしいのに、性格がなんとも残念な影響で、恐怖も何もあったものではない。
「お願いがありますの。わたくし達を、クレシェンテ大聖宮に転移魔法で連れて行ってほしいのですが、よろしいでしょうか?」
『下着を見せてくれるのであれば、お安い御用――うわ!!』
バルトロマイが問答無用で斬りかかり、ルッスーリアは体を捻って回避する。
『あ、危ない奴だな!』
「お前がけしからんことを口にするからだ」
『悪魔に人の道理を説くとは、愚かとしか思えないんだが!』
「なんだと?」
こんなところでケンカをしている時間がもったいない。
私はバルトロマイとルッスーリアの間に割って入り、ケンカを止める。
「下着ごときで転移魔法を使っていただけるのであれば、協力いたします」
「ジル、そんなことなんてしなくてもいい!」
「いいえ、これまで悪魔に要求された対価に比べたら、下着なんてどうってことがないのです」
感情や命を失うわけではない。人としての尊厳は僅かに失ってしまうような気がするが、取り返しが付かなくなる物ではないのだ。
「ルッスーリア、ストッキングとガーターベルトでよろしいですね?」
『最高じゃないか!』
視界の端で、バルトロマイが「信じがたい」と言わんばかりの視線をグサグサと突き刺していた。
はしたない女だと思っているだろう。けれども、ルッスーリアの協力を得るためには、仕方がないのだ。
スカートの裾に手を伸ばし、捲し上げようとした瞬間、バルトロマイが待ったをかける。
「ジル、待て。それは成功報酬にしたほうがいい。相手は悪魔だ。まったく信用ならん」
『なんだと!!』
「本当に転移魔法ができるかも、怪しいところだ」
『バカにするな! 転移魔法くらい、朝飯前だ!』
「じゃあ、やってみてくれ。行き先はクレシェンテ大聖宮だ、わかっているな?」
『もちろんだ』
ルッスーリアが呪文を唱えた瞬間、寝台の上に真っ赤に光る魔法陣が浮かび上がった。
なんだか怪しいものの、一瞬だけでも信用するしかない。
まずはバルトロマイが魔法陣の上に乗り、私の手を握って引き寄せた。
彼に抱きしめられた状態で、転移魔法が展開される。
体がふんわりと浮かび、くるりと視界が一回転した。
ぱち、ぱちと瞬く間に、周囲の景色が変わる。
モンテッキ家の屋敷から、白に統一された部屋の寝台に下り立った。
「ジル、大丈夫か?」
「ええ、問題ありません」
ルッスーリアは鼻息を荒くしながら、『どうだ!?』と自慢げな様子で聞いてくる。
「本当に、寝台から寝台へは、どこへでも転移できるのですね」
『すごいだろうが!』
「ええ、とっても」
『じゃあ、約束は果たしたから、報酬として下着を見せてほしい』
そう口にしたルッスーリアだったが、突然体が薄くなっていく。
『んん!? なんだこれは。力が抜けていくぞ!?』
「忘れたのか? ここは神聖なる神の本拠地だ。強力な結界があるから、お前みたいな悪魔が、姿を保っていられるわけがないだろうが」
『なっ、だ、騙したな!?』
「騙されるお前が悪い」
『お前に良心と言うものはないのか!?』
「悪魔に人の道理を説かれても、まったく心に響かないのだが」
『く、くそーーーーー!!』
ルッスーリアは悔しそうに叫びながら、姿を消していく。
静かになった部屋で、私はバルトロマイに確認した。
「もしかして、これを狙って成功報酬になさいましたの?」
「当然だ」
バルトロマイが機転を利かせてくれたおかげで、ルッスーリアに下着を見せずに済んだようだ。ホッと胸を撫でおろす。
「二度と、ルッスーリアに下着なんぞ見せようとするな」
「しかし、悪魔が要求する対価としては、安いものなんです」
「そうかもしれないが……はあ」
私を想うあまり、ルッスーリアに下着を見せたくないと考えてしまうのだろう。同時に、悪魔と取り引きをするためには仕方がない、と思っているのかもしれない。
「バルトロマイ様、ルッスーリアに対する報酬として、別の物を考えてみましょう」
「ジルの下着姿以上に、あの悪魔が魅力的に思う物があると思うのか?」
「たとえば――わたくしの下着姿の絵画とか!」
提案した瞬間、なんてバカなことを言ったのか、と恥ずかしくなる。
恐る恐るバルトロマイのほうを見てみたら、顎に手を当てて何やら考える素振りを見せていた。
「実物を見られるよりは、まあ、マシかもしれない」
「本当ですか?」
「ああ」
バルトロマイの同意を得ることができたようで、ひとまず安心である。
「では今度、下着姿でモデルになってもらおうか」
「なっ、そ、それは必要ですの!?」
「残念ながら、俺は想像では描けない」
下着問題は解決したかと思われたが、別の懸念点が浮上してしまった。