記憶を辿って
どうやらバルトロマイは本気らしい。
悪魔が現れたさい、戦いを挑むには、彼がいたほうがいいのだろうが……。
「どうした?」
「い、いえ、男性と一夜を明かしたことなどないので、少し戸惑っているだけです」
バルトロマイは意外だと言わんばかりに目を見開き、ぐっと接近してくる。
「俺の子を産んでやる、と言っていたのに、共寝は難しいと言うのか?」
「そ、それについては、忘れてくださいませ!」
振り返って見ると、バルトロマイの子を産んでもいいだなんて、ずいぶんと上から目線だと思ってしまった。
あのあと、バルトロマイはまったく話題に出さなかったので、気にも留めていないと決めつけていたのだ。
「あの発言のせいで、あの日の晩はよく眠れなかったというのに、忘れられるわけがないだろうが」
「本当に、申し訳ありません」
バルトロマイは私の手を握り、身をかがめてじっと顔を覗き込んでくる。
「俺も母も、しっかり覚えているから、覚悟をしておけ」
「か、覚悟ですか!?」
「そうだ。自分の発言には、責任を取ってもらう」
手を振り払って後退したいのに、強い瞳に見つめられ、身動きが取れなくなってしまう。
「ジル、お前は近付いたかと思えば、手を伸ばした瞬間に逃げるような挙動を繰り返していた。俺が追いかけたら、二度と会えないような気がして深追いしなかったが、もう遠慮はしない」
バルトロマイは私を引き寄せ、胸の中に閉じ込める。
そして、耳元で言い聞かせるように囁いた。
「もう、逃がさないからな」
――捕まってしまった。そう、瞬時に自覚する。
逃れられないと思って危機感を抱くのと同時に、囚われて喜ぶ私が同時に存在していた。
なんて愚かなのだろうか。
あれほど、彼と一緒にいたら、また悲劇を引き起こしてしまうと自分に言い聞かせていたのに。
「わたくしがあなたの傍にいたら、不幸になりますのに」
「それはジルがカプレーティ家の娘だからか?」
頷いて見せると、バルトロマイは私から離れ、両手で頬を包み込むように触れてくる。
「不幸になんて、絶対にならない。そのために俺達は今、調査を重ねている」
そうだ。
愛だけを信じて駆け落ちしようとしていた前世の私達とは違う。
カプレーティ家とモンテッキ家が抱える問題を解消させ、ふたりが手と手を取り合い、幸せになる未来を目指しているのだ。
「ジル――ジュリエッタ、どうか、俺と共に生きてくれ」
「わたくしで、よろしければ」
「お前しかいない」
熱い気持ちがこみ上げてくる。今、こんなに幸せな気持ちを手にしていいものなのか。
眦に涙が溢れ、ぽろりと零れていく。
バルトロマイは止めどなく流れる涙を、優しく拭ってくれた。
彼を見上げ、一言、想いを告げる。
「バルトロマイ様、お慕いしております」
その言葉に応えるように、バルトロマイは口づけを返してくれる。
全身に熱を帯び、ふわふわするような、不思議な気分を味わう。
心は満たされ、私の中にあったほの暗い感情が一瞬で浄化されたような気がした。
彼も同じ気持ちだったら嬉しい。そう思って顔を見上げたら、眉間に皺を寄せていた。
「うっ」
「バルトロマイ様――?」
突然、バルトロマイは私から離れ、頭を抱えて苦しみ始める。
「どうかなさいましたの!?」
「ううう、あああああ!!」
医者を呼びに行こうか、と一歩踏み出そうとした瞬間、バルトロマイが私の手を握って制する。
「ジル、ここに、いてくれ」
「し、しかし」
「大丈夫だから」
医者は必要ない。その言葉を信じ、彼の手を握って待つ。
苦しみは次第に和らぎ、眉間の皺も解れた。
息を整えたバルトロマイは起き上がり、盛大なため息を吐いた。
そして、思いがけない一言を口にする。
「ジル、お前が俺から逃げようとしていた理由が、今、わかった」
「え? それはどういう――」
「記憶が戻った」
「なっ!?」
なんでもキスをきっかけに、バルトロマイの前世の記憶が戻ったと言う。
「なぜ、お前は乳母や薬師と結託して、愚かな計画を立ててくれたんだ」
「当時のわたくしは、あなたと幸せになるためには、それしかないと信じて疑わなかったのです」
「死を偽装せずとも、他に方法があったはず。俺はお前が死んで、フェニーチェ修道院の石廟に運ばれたと聞いたとき、どんな絶望を抱いたのか、わからなかっただろうが」
バルトロマイが前世の記憶がないと気付いた当初は、とても悲しかったのを覚えている。
けれどもこうして記憶が戻った彼を前にすると、ないほうが幸せだったのではないか、と思い直してしまった。
「本当に、思慮が足りず、愚かな行為をしたと、思っています。生まれ変わる前のわたくしは、ふたりが一緒にさえいれば、何も問題ないと、信じて疑わなかったのです。でも今は、違います。前世とは別の道を歩むために、バルトロマイ様と距離を取るようにして、絶対に好きになってはいけないと自らを戒め、遠ざけていたのに――いつの間にか、深く愛しておりました」
きつく蓋をしていた感情が溢れ、バルトロマイにぶつけてしまう。
すると彼は、私を引き寄せ、強く抱きしめた。
「ジル、お前を責めているつもりはなかったんだ。すまなかった」
バルトロマイは思い込みで命を絶ってしまった自分自身に苛立っていたと言う。
「思慮が足りず、愚かな行為をしたのは俺のほうだ。仮死状態のジルを見て、死んだと勘違いしてしまい――」
バルトロマイは額に手を当て、眉間に皺を寄せる。
「俺は、どうやって自死した?」
「毒、ではありませんの?」
「違う。もっと別の方法で死んだはずだ」
どうやら、バルトロマイの記憶は完全に戻っていたわけではないようだ。