バルトロマイがいない夜
夕食はモンテッキ夫人と一緒にいただいた。
愛人ごときが図々しいのではないか、と思いつつも、好意に甘えてしまう。
モンテッキ夫人だけでなく、侍女や家令といった使用人達も皆親切で、過ごしやすい空間を作ってくれる。
それは嬉しいことなのに居心地が悪く思ってしまうのは、ジルと名乗り、嘘を吐いてこの場にいるからだろう。
ジュリエッタ・カプレーティとして、バルトロマイの婚約者としてこの場にいられたら、どんなに幸せなのか。そればかり考えてしまう。
結局、私は彼のことを完全に諦めきれていないのだろう。
未練はたらたらで、一緒にいればいるほど、好きになってしまう。
「アヴァリツィア、わたくし、どうすればいいと思う?」
なんて声をかけても、返事はない。肝心なときには、姿を現してくれないようだ。
今日は早めに布団に潜る。
お昼過ぎまで眠っていたというのに、夜になると眠気に襲われるから不思議なものだ。
瞼を閉じると、深い眠りに誘われる。
『ジュリエッタ……ジュリエッタ……』
「ううん」
聞き覚えのある声を耳にし、目覚める。
すると周囲に濃い靄が漂い、ギョッとしてしまった。
その瞬間、ずり、ずりと体が引きずられていくのがわかった。
寝台に〝何か〟がいる!?
すぐさま私は布団の下に入れていた聖水の瓶を取り出し、足元に向かって振りかける。
すると、引きずられていく感覚が消え、何かの気配や靄もきれいさっぱりなくなった。
「な、なんですの!?」
アヴァリツィアに出てくるように命じると、しぶしぶ、といった様子で現れる。
『遅い時間に呼び出すのは、勘弁してくれよー』
「そんなのんきなことをおっしゃっている場合ではありません! 今、悪魔がいましたよね?」
『あー、なんかいたなー』
「どうして何も教えてくれませんでしたの?」
『いや、悪魔同士は干渉しないようにしてるって、前に言っただろうが』
従属関係にあると言っても、主人を助けようという気持ちはこれっぽっちもないらしい。
アヴァリツィアには何も期待していなかったものの、襲われているところを傍観していたなんて、呆れて言葉も出ない。
先ほどの悪魔は、いったいなんだったのか。
大きさはアヴァリツィアよりも確実に大きく、私の寝間着の裾を噛みついて引っ張っているようだった。
以前見かけた、イラーリオの悪魔とは異なるような気がする。
「ああ、もう、気持ちが悪い!」
バルトロマイがいない日に限って、襲撃を受けてしまうなんて。
瓶に残っていた聖水を振りかけ、横になる。目を閉じたけれど、眠れそうになかった。
◇◇◇
仕事から戻ってきたバルトロマイに、話があると言って時間を作ってもらう。
昨晩、悪魔の襲撃を受けたと打ち明けると、とてつもなく驚いていた。
「なぜ、うちに悪魔が? それに、カプレーティ家の娘であるジルを襲う理由が理解できない」
「ええ……」
ただ、昨日のは襲われたというより、連れていこうとしていた、と表すのが正しいのかもしれない。
もしかしたら父が悪魔を使役し、私を家に連れて帰ろうとした可能性がある。けれどもフェニーチェ修道院に私がおらず、モンテッキ家に身を寄せていると知ったら、誘拐されたと訴えるだろう。
「いったい誰が、なんの目的で悪魔をわたくしのもとに遣わしたのか、まったくわかりません」
ただひとつわかったことは、バルトロマイの命を狙っていたのが、悪魔である可能性が高くなった、という点だ。
「暗殺されそうになったとき、靄が濃くなった、とか何か不吉な気配があった、とか、覚えていませんの?」
「靄について注意深く意識するようになったのは、ジルから悪魔の話を聞いてからだ。それ以前は、あまり気にしていなかった」
バルトロマイにとって、靄はごくごく普通に目に見えるものだったと言う。気にも留めていなかったらしく、悪魔の仕業だったと断言はできないようだ。
「バルトロマイ様には、こちらをお分けしておきます」
聖水が入った瓶を、彼に手渡しておく。
「これはなんだ?」
「聖水ですわ」
悪魔を退ける力を持つ聖なる水である。私は聖水の作り方を前世で学んでいたようで、量産を可能としているのだ。
「聖水は悪魔を退ける力がありますの。もしも濃い靄を発見したときは、おそらく悪魔本体ですので、振りかけてくださいませ」
作り方は簡単だ。精製水に月光を浴びせ、神木で炙った塩をほんの少し混ぜるだけだ。
なぜこれだけで悪魔を退けることができるのか謎であるが、たしかな効果はある。
「夜も、なるべく一緒にいたほうがいいな」
「ええ、そうですわね――え?」
「どうせ襲撃を受けるのであれば、そのほうがいい」
「つまり、同じ寝台で眠る、ということですの?」
「そうだが」
なぜ、そうなる!?
調査がおかしな方向へ転がりつつあった。




