愛人として迎えた朝
「――くっしゅん!」
暖炉に火は入っているだろうが、朝方は冷え込む。
毛布はどこかへ蹴飛ばしていたようで、すぐ近くにはない。
意識がハッキリしない中、起き上がろうかどうか迷っていると、毛布をふんわりとかけてもらう。
「……ばあや、ありがとう」
視界の端に映った手をぎゅっと掴み、頬にすり寄せる。
「んん?」
いつもの、皺が刻まれたやわらかい手と触り心地が大きく異なる。
ごつごつしていて、硬くて大きな手だった。
ばあやの手ではない。それに気付いた瞬間、ハッと目覚める。
薄暗い中、私を覗き込む大きな体の持ち主は、手を取られて硬直しているようだった。
「バ、バルトロマイ様、ですよね?」
「そうだが」
慌てて手を離し、飛び起きたものの、頭がズキンと痛む。
「うう」
「無理に起きないほうがいい。遅くまで母と酒を飲んでいたので、酔いが抜けきっていないのだろう」
「も、申し訳ありません」
バルトロマイがカーテンを広げると、太陽の光がさんさんと部屋へ差し込んでくる。
どうやらすでに、朝と言えるような時間帯ではないらしい。
カーテンの遮光性は大変すばらしく、勝手に朝方だと思っていたようだ。
「あの、今、何時くらいですの?」
「昼過ぎだ」
なんて失態を晒してしまったのか。やってきた初日に、我を忘れるほどお酒を飲んで酔い潰れるなんて。
「勝手に寝室に入るのもどうかと思ったのだが、なかなか起きてこないからと、母から様子を見てくるよう、頼まれてしまい」
「そ、そうだったのですね」
私がこの屋敷の者であれば、侍女が様子を見に来ただろう。
おそらく客人であるという立場なので、もっとも親しいバルトロマイに頼んだに違いない。
「モンテッキ夫人はもう起きられているのですね」
「母は酒に強いだけだ。しこたま飲んでも、翌日はケロッとしている」
法律で十六歳からの飲酒が認められるとはいえ、俗世を離れる覚悟を決めている私がお酒に飲まれてしまうなんて、あってはならないことだ。
今後は、なるべくお酒は口にしないようにしよう。そう心に誓った。
「ジルには感謝しないといけない」
「わたくしに?」
「ああ。あのように楽しげに酒を飲む母を、初めて見た気がするから」
「申し訳ないことに、わたくし、まったく覚えていませんの」
「別に、大した話はしていなかったから、問題ないだろう」
「そ、そうだったのですね」
私はほとんど聞き手に回っていたようで、ほぼモンテッキ夫人が喋っていたらしい。
酔っ払った挙げ句、自分の正体を明かしたわけではないと聞き、ホッと胸をなで下ろした。
「わたくし、どうやって寝室に帰ったかも覚えていませんの。部屋の位置もまともに覚えていないのに……」
ふと、記憶が甦る。
昨日の晩――揺り椅子に座っているみたいに、ゆらゆらと心地よく運ばれていた。
安定感のある腕に抱かれ、ゆっくりと寝台に下ろしてもらう。
最後に大丈夫かと問いかける声は、低くてぶっきらぼうだが、不思議と優しい響きで――。
「あの、わたくしをここまで運んでくれたのは、バルトロマイ様、ですよね?」
「まあ、そうだな」
「そ、その節は、ご迷惑をおかけしました。心から感謝しております」
「気にするな」
深々と頭を下げる。とここで、寝間着をまとっていることに気付いた。昨晩はドレスを着ていたはずなのに、どうして?
「あの、あの、まさか、お着替えもしてくださったのですか?」
「それは俺じゃない。侍女に頼んだ」
「で、ですよね! 何から何まで、ありがとうございました」
バルトロマイは気にするな、とばかりに頷き、部屋へと戻っていった。
はーーーー、と深く長いため息を吐いてしまう。
入れ替わるように侍女がやってきて、お風呂の準備ができたがどうするか、と聞いてくる。自己嫌悪に陥る時間はないようだった。
◇◇◇
バルトロマイは私の様子を確認するなり、出勤していったらしい。帰るのは明日の朝になるようだ。
その間、私は完全放置である。
私がカプレーティ家の密偵なのではないか、という疑いは欠片もないようだ。
もしもハニートラップだったら、どうするつもりなのか。
バルトロマイの将来が心配になってしまう。
女性とあまり接する機会がなかったので、すぐに信用してしまったのだろうか。
なんだか悪い女性に騙されそうで、心配になる。
もしも結婚するならば、相手は慎重に選んでほしい。なんて考えていたら、少し落ち込んでしまう。
その瞬間、アヴァリツィアがでてきて、ニヤニヤしながら話しかけてきた。
『なんだよ、お前。やっぱり、あいつのことを諦めきれてないじゃないか』
「あなた、本当に嫌なタイミングで出てきますのね」
『悪魔だからな!』
「昨日は聖剣の話を聞いて、縮こまっていた癖に」
『当たり前だろうが! 悪魔は聖剣に触れただけで消滅させられてしまう。恐ろしいに決まっているだろう』
アヴァリツィアの主張を聞き、ふと気付いた。
「聖剣は実在していますの?」
『してるに決まっているだろうが! ああ、考えただけで寒気がする!』
「今、どこにあるのか、ご存じでないですよね?」
『そんなの、この俺が知っているわけがないだろうが!』
聖剣はこの世のどこかにあるらしい。いったい誰が所有しているというのか。
気になってしまう。
『お前、聖剣を探し出して、俺を退治するつもりじゃないだろうな?』
「そのようなことは考えておりません」
盗み出した犯人や、目的については気になるところだが、アヴァリツィアを倒そうだなんて欠片も想定していなかった。
『怪しいぜ』
「はいはい」
明日の朝までバルトロマイは不在なので、書斎の本でも読もうか。なんて思っているところに、モンテッキ夫人からお茶の誘いを受ける。
それから楽しくお喋りをしてしまい、一日はあっという間に終わってしまった。




