大変な問題
悲鳴を上げなかった私を、誰か褒めてほしい。
私をモデルに絵を描きたいなんて、前世と同じ道を辿っているではないか。
それだけは絶対に、受け入れられない。
私は今日、彼とこれ以上接点を持ってはいけないと覚悟を決め、やってきたのだ。
「その申し出は、いたしかねます」
「なぜ?」
ストレートな疑問に、「うっ!」と言葉に詰まりそうになる。ここで負けるわけにはいかなかった。
「そ、そもそも、どうしてわたくしですの?」
「それは――俺の中にあった不可解な感情が、ジュリエッタ嬢を描いている間は、きれいさっぱり消えてなくなるからだ。絵を完成させたら、この感情とも決別できるような気がしている」
一枚くらいなら、と思いかけるも、流されてはいけない、と首を横に振る。
もしも私を描きたいのであれば、記憶を頼りに描けばいいだけの話なのだ。別に、モデルとして傍に居続ける必要なんてないから。
断る理由を振り絞り、なんとか言葉にする。
「貴族の娘が、こうして婚約者でないあなたとふたりきりで会うこと自体、あってはならないのです。それにわたくし、もうすぐ家を出る予定ですので」
「結婚するのか?」
バルトロマイは目をくわっと見開き、問い詰めてくる。
若干血走って見えるので、恐ろしかった。
「いえ、結婚ではなく、俗世を離れる、という意味ですわ」
「カプレーティ家の娘が、俗世から離れるだと!?」
信じがたい、という視線をこれでもかと浴びる。
居心地悪く思いながらも、毅然とした態度を崩さないように努めた。
「ええ。今後、神様へ祈りを捧げるという、静かな日々を送る予定なのです」
「どうして、そのような道を決めた?」
それは、前世のように不幸になりたくないから。そして、今、目の前にいる元夫、バルトロマイが視界に入り込まないようにするためである。
正直に言えるわけがなく、適当に考えておいた理由を述べる。
「教皇派であるカプレーティ家の娘が、教会へ身を寄せるのは、おかしな話なのでしょうか?」
「それは――」
初めてバルトロマイが言いよどんだ。この調子で、私はカプレーティ家の娘だと主張していけば、彼のお願いから逃れられるに違いない。
「かねてより、わたくしはカプレーティ家が争いに加担する様子を、嘆かわしく思っておりました。しかしながら、教皇派と皇帝派が何百年とかけて作ってしまった争いの渦はとてつもなく大きくなっていて、わたくしが何かしたからと言って、変わるわけがありません。だからと言って、何もしないわけにはいかない。そう思ったわたくしは、一族の安寧――いいえ、この帝国の平和のため、生涯をかけて神様に祈ろうと思った次第です!」
胸に手を当てて、熱く訴える。
その様子を眺めていたバルトロマイは、話が終わるとハッと我に返っていた。
「すばらしい」
「え?」
「ジュリエッタ嬢の考えは、尊く、立派だ」
「えっと、どうも、ありがとうございます」
私が適当に脳内でこねくり回して言った言葉を、バルトロマイは絶賛した。それだけでなく、私の手を握り、思いもしなかったことを訴え始めた。
「モンテッキ家とカプレーティ家の闘争については、俺もどうにかしたいと考えていた。ジュリエッタ嬢、両家の安寧のために、ふたりで何かできるのではないか!?」
「ナ、ナニカ?」
思わず、片言で返してしまう。
私以上に熱くなり初めてきたので、頭の中が真っ白になってしまった。
「先ほどの結婚の話で思いついたのだが、俺達が婚約すれば、世間の注目が集まる。そこから、争いの終結と平和を説くのはどうだろうか?」
「いいえ、婚約は」
そう言いかけた瞬間、脳裏にある記憶が流れ込んでくる。
それは、大雨の中で馬車が横転し、中に乗っていた元夫が大怪我を負うというもの。
「――っ!!」
思い出した。
元夫は事故に遭い、片足がまったく動かなくなってしまった。
騎士で在り続けることもできず、家に引きこもるようになってしまったのだ。
調べれば調べるほど、不可解な事故だった。
私は事故がカプレーティ家の悪魔の仕業だと気付き、調査するようになった。
そこで私は、悪魔の知識を身に着けたのだろう。
事故が起きたのは、私と元夫は結婚しておらず、関係が表沙汰になる前だった。
元夫は街に家を借り、静かに暮らしていた。
趣味の絵をゆっくり描きたいから、というのも理由のひとつだったのだろう。
前世の私は元夫を励ますため、毎日通う。そこで、彼は私の絵を描き続けたのだ。
そうこうしているうちに、侍女が私達の密会を報告してしまう。それが両家がいがみ合う火種となり、争いの炎となって多くの人々を巻き込む。
その中でも、前世のイラーリオがカプレーティ家の若者を集めて起こした騒動は、死傷者を多く出した。
モンテッキ家の青年達も集まって応戦する。そこで、前世のイラーリオが、元夫の親友を殺した。
足を引きずりながら駆けつけた夫は、親友が殺される瞬間を目撃してしまい、復讐としてペンディングナイフで前世のイラーリオを傷付けてしまう。
殺傷能力が低いペンディングナイフは致命傷にならなかったが、付着していた絵の具に毒が含まれていたようで、結果的に死なせてしまった。
元夫は裁判にかけられたものの、皇帝派の嫡男だということで、追放刑に減免された。
彼が帝都を出る晩に、私と元夫はばあやと薬師に導かれ、結婚式を挙げた。
新婚生活だと思っていた記憶は、単にケガをした元夫のもとへ通っている期間だったのだ。どうやら、前世の記憶が混雑しているようだ。
それにしてもなぜ、事件の詳細を忘れていたのか。
「どうした?」
「あ……いいえ。なんでもありません」
バルトロマイの言葉で我に返る。
彼との関係については、慎重に進めていかなければならない。
前世でカプレーティ家の者が悪魔を使って命を狙っていた、という点も引っかかる。
五年前、彼が毒殺されそうになった件と、無関係とは思えなかった。
このまま見ない振りをして、自分だけ逃げることなんてできない。
かと言って、バルトロマイが提案したものは受け入れがたいものだろう。
両家の者が手と手を取り合い、仲良く結婚する。そして、愛をもって長年の遺恨を解決するのだ――という綺麗事では解決できない。
「わたくし達の些細な行動が、両家に大きな影響を及ぼすでしょう。何か事を起こすのであれば、慎重に進めないといけません」
「それはそうだな」
「まず、婚約や結婚ではなく、問題の大本となる両家の問題について、解決の糸口を見つけたほうがよろしいかと」
バルトロマイは眉間に皺を寄せ、腕を組む。
「一度、フェニーチェ修道院の院長に相談してみませんか?」
「ジャン・アケーダに?」
「ええ」
院長は教会に身を置く神父だが、物事を公平に見ることができる。
カプレーティ家とモンテッキ家がどうすべきなのか、答えを導いてくれるかもしれない。
「なるほど。彼ならばたしかに、いい案が浮かぶかもしれない」
五日後、フェニーチェ修道院で落ち合う約束を交わした。
そろそろ帰ろうかと立ち上がったところで、入り口の円卓に置きっぱなしになっていたアマレッティに気付く。
「ああ、そう。わたくし、お礼の品を持って来ておりましたの」
「礼?」
「ええ。舞踏会の日に、助けていただいた感謝の気持ちです」
紙袋から取り出し、バルトロマイへ差し出す。
「開けてもいいのか?」
「ええ、どうぞ。わたくしが手作りした物なのですが」
リボンを解き、缶の蓋を開いた瞬間、バルトロマイはハッとなる。
私も今になって、彼が毒を警戒していたことを思い出した。
「あの、申し訳ありません。わたくしったら、気が利かない品を用意しました」
「――アマレッティか」
バルトロマイはそう呟き、アマレッティをひとつ摘まんで食べた。
すると、口元を手で覆い、涙をポロリと零す。
「だ、大丈夫ですの!?」
まさか毒が!? と思いきや、バルトロマイはふたつ目のアマレッティを食べる。
毒であれば、続けて食べないだろう。
「あ、あの、どうして泣かれているのですか? お口に合わなかったのでしょうか?」
「いや、違う。懐かしくて」
「懐かしい?」
元夫はアマレッティが大好きだったようだが、モンテッキ家に伝わるお菓子だったりしたのだろうか。その辺の話は聞いていなかったのだが。
「この菓子を食べるのは初めてで、名前も知らなかったのに、どうしてかアマレッティとわかるだけでなく、懐かしく感じてしまった。これは、なんなのか」
バルトロマイは胸をぎゅっと押さえ、涙を拭う。
おそらく彼の中にも、前世の記憶があるのかもしれない。きっと私みたいに前世に未練などないので、何も覚えていないのだろう。
こうしてアマレッティを食べてもらっただけでも、奇跡だと思うようにしよう。