バルトロマイの能力
どくん、と胸が大きく脈打つ。くらくらと目眩も覚えるが、ここで倒れるわけにはいかない。
バルトロマイは私がフェニーチェ修道院にいたシスター、ジルだと気付いている。
ここまで返答に時間をかけてしまったら、言い逃れなどできないのだろう。
絞り出した言葉は肯定ではなく、彼への疑問だった。
「どうして、そう、思ったのですか?」
「信じられない話だと思うかもしれないが、俺は人が喋った言葉が目視でき、さらに色が付いたように見えるんだ」
「な、なんですか、それは?」
「俺もそう思う」
バルトロマイ曰く、人が言葉を発すると、文字が視界に浮かび上がって、数秒以内に消えるという。それだけではなく、人それぞれ文字の形や色が異なっているのがわかるようだ。
声量によって文字が大きくなったり、感情の揺れ動きに合わせて色の濃淡が変わったりと、ただ見えるだけではないと言う。
「物心ついたときからそうだったのだが、それが普通でないと気付いたのは、七歳のときの話だった」
家族に話したところ、皆には見えないと言われ、ショックを受けたらしい。視覚異常なのではないかと言うので医者に診せたところ、目は健康そのものだった。
医者のもとを転々としながら検査を繰り返すも、どこに行っても異常なしの診断が下るばかり。最後に行き着いた先は、神経科医のもとだったと言う。
「その医者は文字に色が付いて見える現象を、〝第六感〟ではないか、と話していた」
「第六感、ですか」
人は五感――視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚を持って生まれる。
五感以外の、論理的ではない感覚を、第六感と呼んでいるようだ。
「話が戻るのだが、フェニーチェ修道院のジルの声は、深い海のような青で、文字は美しく、ジュリエッタ嬢が書く文字にそっくりだった」
バルトロマイは人の顔が見えずとも、第六感で私がジルだと気付いていたみたいだ。
「その文字というのは、話している相手だけが見えるのですか?」
「いいや、耳にする声すべてが見える」
ということは、人込みや街中では、とんでもない量の文字が見えることになる。
街中で見かけたバルトロマイが、酷く不機嫌に見えたのは、第六感のせいだったのだ。
きっと彼は、前世でもこの第六感を持っていたのだろう。元夫も夜会や観劇など、人の多い場所に行きたがらなかったから。そうとも知らずに、私は元夫を気分転換だと言って、何度も連れ出そうとしてしまった。
後悔が今になって押し寄せてくる。
どうして元夫は私に話してくれなかったのか。少し悲しくなってしまった。
「ジュリエッタ嬢の文字と色は、舞踏会の人込みの中でも、すぐにわかった」
「そう、だったのですね」
イラーリオと言い合いをしていたので、特に文字と色の主張が激しかったに違いない。 ただでさえ舞踏会は人が多いのに、申し訳なくなってしまった。
「あの、これまであなたは、夜会に参加者として出たことはない、という噂を耳にしていたのですが、舞踏会はなぜ、参加なさっていたのですか?」
「それは、ジルを探そうと思っていたからだ」
姿は見ていなくても、声で判別できる。そう信じて、舞踏会に挑んだらしい。
まさか、私を探すためにわざわざ参加していたなんて……。
ここまで聞いてしまったら、言い逃れなんて不可能だろう。
はあ、とため息を零すのと同時に、彼がまさかの行動に出た。
何を思ったのか、バルトロマイは私の前に片膝をつき、まっすぐな瞳で見上げる。
「な、なんですの?」
彼に傅いてもらう理由など、欠片も思い出せなかった。不可解な行動を前に、ついつい疑問を口にしてしまう。
「ジュリエッタ嬢には深く感謝している。まず、ジルとして、親身に相談に乗ってくれたこと。次に、忙しい身でありながら、面会に応じてくれたこと。さらに、絵画について助言してくれたこと」
バルトロマイは膝の上にあった私の手を恭しく握り、額を近付ける。
これは騎士がする、感謝を示す最大の行為であった。
「最後に、馬上槍試合で、声をかけてくれたこと」
「ま、まさか、わたくしの声が、わかりましたの?」
「わかった」
「あ、ありえないですわ。たくさんの声援があったのに」
「野次混じりの観衆の声はすべて雑音だった。唯一、ジュリエッタ嬢の声だけが、俺の耳にはっきり届いたんだ」
「そんな……」
あの時、バルトロマイの視界に靄がかかり、さらに眠気に襲われ、今にも倒れてしまいそうな状況だったらしい。
けれども私の言葉を耳にした瞬間、靄が晴れ、意識がはっきりしたと言う。
「その時のジュリエッタ嬢の声は、海の水面が太陽の光を受けて輝くような、美しく心地よい声だった」
バルトロマイに降りかかった靄と眠気は、悪魔の能力によって発現されたものだろう。
しかしながら、それらの力が私の一言で払拭されるとは、不思議なこともあるものだ。
もしや、アヴァリツィアの能力だったのだろうか? あとで問い詰めなければならない。
「雨で試合は中止となったが、あのときカプレーティ卿に圧されたままであれば、悔しい思いをしていただろう。ジュリエッタ嬢、心から感謝する」
「い、いえ……」
私の声なんて、歓声にかき消されているものだと思っていた。しっかり本人に届いていたなんて、夢にも思っていなかった。
「ただ、疑問なのは、なぜ親戚であるカプレーティ卿ではなく、敵である俺を応援していたんだ?」
「そ、それは」
イラーリオが悪魔を用いて勝利しようとしていたから、なんて言えるわけがない。
適当にはぐらかしておく。
「わ、わたくし、イラーリオとは犬猿の仲でして、あなたに負けてほしくない、と思ってしまいましたの」
「そうだったのか」
少し落胆したような声色だったが、無表情だったので気のせいだろう。
「あ、あの、お立ちになってくださいませ」
「いや、まだ話は終わっていない」
片膝をついて私の手を握ったまま、これ以上、何を話そうというのか。
ドキドキしすぎて、疲労困憊である。
「まず、以前ジルに渡すと言っていた謝罪の品を、受け取ってほしい」
そういえば、からかってしまったお詫びとかなんとか、言っていたような気がする。
三回目の面会時に渡すつもりだったようだが、話したいことがたくさんあるあまり、あげるのを忘れていたと言う。
「フェニーチェ修道院の院長に渡してもらおうと思っていたのだが、断られてしまって」
バルトロマイが懐から出した革袋を、私の手のひらの上に置く。
道ばたで拾ったきれいな石みたいな重量である。手のひらに出してみると、エメラルドのブローチがころりと転がってきた。
目にした瞬間、ギョッとしてしまう。
「これは、う、受け取れません!」
「そこまで高価な品ではない。遠慮なく手にしてくれると嬉しい」
「いえいえ、高価です! 絶対高価なんです!」
いくらカプレーティ家がそこまで裕福ではないとはいえ、エメラルドの価値くらいは理解している。
亀裂や内包物がいっさいない、澄んだ色合いのエメラルドなんて、この世に一握りもないだろう。
「心配するな。母の形見だから」
「もっと受け取れません!!」
悲鳴にも近い叫びとなった。
突き返そうとしたのに、私の手を両手で包み込むように握らせてくれる。
「気持ちだと思って、受け取ってほしい」
「ううう」
ここまで言われてしまったら、返すことなんてできない。
世界の深淵まで届くかと思うくらいの、深いため息が出てしまう。
バルトロマイの話は、これで終わりではなかった。
「ジュリエッタ嬢、最後に頼みがある」
「な、なんですの?」
嫌な予感しかしない。耳を塞ぎたくなったが、バルトロマイから熱い眼差しを向けられ、ついつい何かと聞いてしまった。
「ジュリエッタ嬢の絵を、描かせてほしい」