バルトロマイとの約束の日
あれから何回かバルトロマイと手紙のやりとりを行い、会う日と場所が決まった。
指定されたのは、中央街にある〝にわか雨〟という名の、路地裏にあるアトリエらしい。バルトロマイの知り合いが開いているらしく、少しの時間を私達の面会のために貸してくれるという。
手紙の差出人にある名前が、アトリエの持ち主のようだ。
バルトロマイから手紙が届くたびに、アヴァリツィアがからかってきたが、相手にしなかった。
彼と会う心の準備を、しっかり整えておく。
両親の訴えを聞き入れ、数日療養しているうちに、約束の日を迎える。
会うのは午後からなのだが、ドキドキしていた。
ばあやには、文通をしている友達と会う、と伝えている。念のため、アトリエの場所も教えておいた。
街までは侍女を連れていく予定だ。ばあやは最近腰の調子が悪いらしく、連れて歩けないのだ。
「このばあやがあと十歳若ければ、ジュリエッタお嬢様のあとをどこへでも付いていくのですが」
「ばあやはもう、十分尽くしてくれたので、これ以上頑張らなくてもいいのですよ」
「ジュリエッタお嬢様、ありがとうございます」
私のために何かしたいと訴えるので、お菓子作りを手伝ってもらうことにした。
「お友達にお土産として、お菓子を作ろうと思っていますの。ばあやも少し手伝っていただける?」
「お任せください!」
ばあやはその昔、菓子職人に弟子入りしていて、カプレーティ家で働き始めたのも、お菓子メイドとしてだった。
フェニーチェ修道院へ持っていくお菓子も、ばあやに習ったものばかりである。子どもから大人まで愛されるレシピばかりなのだ。
「ジュリエッタお嬢様、今日は何をお作りになるのですか?」
「アマレッティを作ろうと思いまして」
それは前世で、元夫が大好きだったお菓子である。前世のばあやも、私に作り方を教えてくれたのだ。
「わかりました。では、始めましょうか」
「ええ、お願いね」
アマレッティはクッキーよりも軽い口当たりの、サクサクホロッとした食感のお菓子である。
ビターアーモンドパウダーを使うので、ほんのりビターな味わいに仕上がるのだ。
「私は卵白をホイップするので、ばあやはアーモンドパウダーを量ってくださる?」
「承知しました」
各々作業を分担し、次なる調理へ移った。
卵白を泡立てたものに、ビターアーモンドパウダー、スイートアーモンドパウダーと粉糖を加えてよく混ぜる。
なめらかになるまで混ぜた生地を、胡桃大に丸め、油を薄く塗った天板に並べていく。
この生地を、低温でじっくり焼いていくのだ。
三十分後――焼き加減をばあやに確認してもらう。
「ああ、いいですね。上手く焼けていますよ」
「よかった」
そんなわけで、元夫との思い出のお菓子、アマレッティの完成だ。
バルトロマイがお気に召してくれるかはわからないが、助けてくれたお礼として持っていこう。
粗熱が取れたアマレッティは缶に入れて蓋をし、ベルベットのリボンで結んでおく。
かわいらしく仕上がったのではないか、とひとり満足する。
「では、ジュリエッタお嬢様、身なりを整えましょうか」
「え、ええ、そうですわね」
目立たないように控えめなドレスを、と要望を出したら、ばあやはエクリュベージュのデイ・ドレスを選んでくれた。
髪は結い上げ、ヒイラギの銀細工を差し込む。寒いだろうから、と綿入りの外套を用意してくれた。
約束の時間が近付いてきたので、侍女を伴って出発する。
中央街に辿り着くと、私は侍女に金貨を一枚握らせた。
「これで時間を潰してくださる? 好きな時間に帰宅していいから」
「承知しました」
口止め料を含んでいるので、少し多めに持たせた。
彼女は以前、運賃を渡して帰らせた侍女である。あの日は侍女の選定に失敗した、と思っていたものの、そうではなかった。彼女は口が堅いようで、お金さえ渡していれば、私が頼んだことを決して口外しない。
使い勝手がいい侍女だったわけである。
侍女と別れた私は、指定されたアトリエ〝にわか雨〟を目指す。
路地を入り込んだところにあったので、探すのに少し苦労してしまった。
看板も出ていないのだが、外に黒猫の置物が目印としてある、と書かれていたのでわかった。
大きな出窓があったものの、磨りガラスになっていてアトリエの内部は見えない。
ドキドキしつつ、扉を叩く。すると、扉が勢いよく開かれた。
「わっ!」
「あ……」
こんなに早く出てくるとは思わなかったので、驚いてしまった。
中から顔を覗かせたバルトロマイは、申し訳なさそうに目を伏せる。
「すまない、人を迎えるのは初めてだったから……」
普段は使用人がしてくれることなので、勝手がわからなかったのだろう。
「ジュリエッタ嬢、わざわざ来てくれて、感謝する。中に入ってくれ」
「ええ。お邪魔します」
内部は絵の具の匂いが漂い、カンバスを立て掛ける画架がたくさん並んでいる。額装された絵も壁際に立て掛けられていて、いかにもアトリエ、という雰囲気の部屋であった。
バルトロマイは窓際にあった、揺り椅子を勧めてくれた。
おそらく、休憩用に置かれている物なのだろう。
ゆっくり腰かけたのに、ゆらゆら揺れてしまう。少し笑いそうになったものの、なんとか耐えた。
部屋には無骨に積まれたレンガの暖炉があり、ヤカンがぶら下がっていて、湯が沸騰しているようだった。
「少し待っていてくれ。茶を用意するから」
「わたくしもお手伝いします」
「いや、いい!」
少し強い口調で止められる。遠慮ではないことは明らかなので、立ち上がったものの、そのまますとんと腰を下ろした。
「茶は自分で淹れるようにしているんだ」
「そうでしたのね」
前世ではお茶の淹れ方は私が元夫に教えたのだが、今世ではすでにお茶を淹れる方法を知っているらしい。
「せっかく申し出てくれたのに、すまない。以前、茶に毒を入れられて、死にそうになったことがあって」
「まあ!」
いったい誰に命を狙われているというのか。なんでも五年前の話だったと言う。
「ジュリエッタ嬢を疑っているわけではなくて、何かあったときに、茶は自分で淹れたと主張するために徹底している」
周囲の人達に疑いがいかないよう、厳しく自分を律しているのだろう。
バルトロマイは丁寧な手つきで茶器を扱い、きちんと蒸らしてからカップに紅茶を注いでいた。
慣れた手つきで角砂糖を二個入れ、ミルクを少し垂らす。それを私に差し出そうとした瞬間、「あ!」と声をあげた。
「どうかなさったの?」
「いや、勝手に角砂糖とミルクを入れてしまったと思って」
「大丈夫ですわ。わたくし、いつも角砂糖がふたつと、ミルクを少しだけ入れますので」
「そうか」
これは果たして偶然なのか。前世の記憶を体が覚えていた――なんて解釈するのは、都合がよすぎるだろう。
一口飲んでみたが、とてもおいしい紅茶である。
前世で元夫が淹れてくれた紅茶の味は覚えていないので、残念ながら確信にはいたらなかった。
「もう、体の調子はいいのか?」
「はい、おかげさまで。あの日は本当に助かりました。心から感謝しています」
会話が途切れ、少し気まずくなる。
ここのオーナーもいると思っていたのに、バルトロマイしかいない。
思いがけず、ふたりっきりとなってしまった。
念のため、聞いてみる。
「あの、他の方はいらっしゃらないのでしょうか?」
「いない。ジュリエッタ嬢とゆっくり話をしたかったから」
これ以上、何を話すというのか。なんて考えていたら、彼が思いがけない質問を投げかけてくる。
「ひとつ聞きたい」
「なんでしょうか?」
「ジュリエッタ嬢は、〝ジル〟だろうか?」
〝ジル〟――それは、シスターとして会ったときに名乗ったものであった。




