悪魔についての調査
悪魔というのは人々を誑かし、道徳心を失わせ、俗悪の道へ誘う悪しき存在――。
「うーーーん」
図書館で悪魔に関する本を読んでみたのだが、どれも書かれてあることは同じ。
悪魔という存在は正しく生きる者を堕落させる、としか書かれていないのだ。
まるで悪魔に関しての情報を隠しているのではないか、と疑ってしまうくらいである。
きっと誰かが、悪魔に関する知識を規制しているのだ。
けれどもなぜか、私は悪魔について〝知って〟いる。
どこで得たものなのかは、記憶になかった。
前世については、すべてがすべて覚えているわけではないらしい。
思い返してみると、元夫についての記憶はたっぷりあるのに、イラーリオの前世は〝意地悪な従兄がいて、元夫に殺されてしまった〟としか覚えていない。
私にはどうして悪魔の知識があるのか。重要な部分なのだが……。
人々の認識として、悪魔は総じて恐ろしく、あくどい存在である、と多くの書物に書かれていた。
具体的に何をして、どういった悪影響を及ぼすのか、というのはまったく書かれていない。
正体の見えなさが、悪魔への恐怖に繋がるとでも思っているのだろうか。
わからない。
悪魔とひとまとめにされているが、彼らにはそれぞれ個性がある。
それらを説明するには、まず人々の罪について知らなければならない。
この世には七つの大罪が存在する。
ひとつは〝傲慢〟
ひとつは〝強欲〟
ひとつは〝嫉妬〟
ひとつは〝憤怒〟
ひとつは〝色欲〟
ひとつは〝暴食〟
ひとつは〝怠惰〟
そして同時に、人々が抱く七つの罪を好物とする悪魔が存在するのだ。
人々が罪を抱えて生きるから、悪魔が生まれてしまったのか。
悪魔がいるから、人々は罪を覚えてしまったのか。
それは、卵が先か、鶏が先か、という問題に正解が出ないのと同じジレンマに陥ってしまうのだろう。
答えが出ぬまま、人と悪魔は存在し続けるのだ。
実家の権力を使って禁書室の悪魔に関する書物を調べたが、結果は同じ。
閲覧が禁止されているような本でも、悪魔に関してはふんわりとした情報しか書かれていなかった。
図書館から出て、侍女と共に喫茶店に立ち寄る。
珈琲と一緒に蜜を絡めた揚げ菓子、ストゥルッフェリを食べていたら、思いがけない人物と窓ガラス越しに目が合ってしまう。
「――あ」
輝く金色の髪に、カプレーティ家の象徴とも言える青い瞳を持つ美貌の青年。
イラーリオは私を見るなり、目を見開く。
すぐにいなくなってホッとしていたら、店内に現れたので驚いた。
「ジュリエッタ、どうしてこんなところをほっつき歩いているんだ!」
「どうしてって、そんなのわたくし個人の勝手でしょう」
「しかし、三日前に見舞いにいったときは、まだ具合が悪いと言っていただろうが!」
それは、適当な理由を付けて、イラーリオを遠ざけただけである。
三日前であれば、すっかり元気だったのだ。
「わたくし、このとおり風邪は完治しましたの。どうかご心配なく。では、ごきげんよう」
手を振って別れの挨拶を口にしたのに、イラーリオは私の目の前に座っていた侍女に別の席で待つようにと命じていた。
心付けを握らせたからか、侍女は快く応じたようだ。
内心裏切り者、と思いつつも、感情は表に出さないように努める。
「それで、なんの用事ですの?」
「いや、なんのって、具合はどうかと思って」
「見てのとおり、今はもう平気ですわ。もともと、少し北風に吹かれただけで風邪を引いてしまうほど、病弱なだけですので」
「だったら、雨に降られて、大変だったんじゃないのか?」
「ええ、あなたが馬上槍試合になんか招待してくれたおかげで、寝込んでしまいましたから」
「そ、それは、俺ではなく、雨が悪い――」
「いいえ。わたくしを脅してまで無理に招待した、あなたのせいです」
珍しくイラーリオは顔を俯かせ、悔しそうに拳を握っていた。
イラーリオを言い負かしたからか、いつの間にかアヴァリツィアが登場し、『やれー! こてんぱんにしろー!』と声援を送っている。
「そういえば、ジュリエッタ、お前、馬上槍試合の日……」
「なんですの?」
イラーリオは眉間に皺を刻み、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「お話は以上のようで、ここで失礼しますわ」
「待て。見舞いの品を――」
「でしたら、ここの支払いをお願いします」
そんな言葉を残し踵を返す。馬車に乗りこみ、あとに続いてきた侍女に、ひとりになりたいから、と言って金貨を握らせると扉を閉めた。
イラーリオが追いかけてこなかったので、ホッと胸をなで下ろした。
座席にできた影から、アヴァリツィアがぬっと顔を出す。
『お前、酷い奴だな。侍女を置き去りにするなんて』
「帰りの運賃は手渡しておいたので、自分で帰ってこられますわ」
侍女はあっさりイラーリオに買収されてしまった。選定をもっと丁寧にしなければならない。
ばあやが適任だが、高齢なのであまり連れ回すわけにはいかない。
使用人の忠誠心はポッと生まれるものではない。長年かけて、信頼関係を築いていかなければならないのだ。
長年ばあやとばかりベタベタしていたツケが、今回ってきたというわけである。
「それにしても、こんなところでイラーリオに会ってしまうなんて」
『お前もついていないなー』
「本当に」
今日、イラーリオの悪魔は見えなかった。きっと、感情を高ぶらせたときのみ、現れるのだろう。
「そういえば、誰かに取り憑いている悪魔でも、正体を見抜いたら従属できますの?」
『ああ、できるぜ! ただ、失敗したら、逆に支配されるから、見破るときは気を付けろよ』
「な、なんですって!?」
悪魔の正体を見破ることに、そのようなリスクがあるなんて知らなかった。
アヴァリツィアの正体について勘づいた私は、単に運がよかったのだろう。
「自分がなんの悪魔なのか、軽率に口にするまぬけな悪魔なんて他にいないでしょうから、気を付けなければなりませんね」
『そうだ、そうだ――って、俺の悪口を言わなかったか?』
「気のせいですわ」
『だったらいいが』
アヴァリツィアはバカで本当によかった、と心から思ってしまった。