悪魔の力
「バルトロマイ様、頑張ってくださいませーーーー!!!!」
生まれてこの方、こんな大声など出したことなどない。そう思うくらいの声量で叫んだ。
悪魔が取り憑いたイラーリオに圧されていたバルトロマイは、我に返ったようにハッとなる。
一瞬、私のほうを見た。が、イラーリオの鋭い一撃が眉間に向かって突き出される。
危ない! そう思った、バルトロマイは体を反らして攻撃を回避。
身を翻しながら突き出された槍に重たい一撃を返し、イラーリオの均衡を崩す。一瞬の隙を見逃さず、上から勢いよく振り下ろした。
イラーリオの傾いていた肩への一撃が、決定打となるはずだった。
ゴロゴロと雨雲が鳴り、ピカッと稲光が走る。次の瞬間、どん!! と大きな音を立てて雷が落ちた。
人々の悲鳴が響き渡るのと同時に、滝のような雨が降り始めた。
審判が戦闘の中断を言い渡し、これ以上の戦闘行為は禁じられる。
雷は円形競技場の近くに落ちたようだ。馬上槍試合自体もお開きとなるようで、解散が言い渡される。
「ジュリエッタお嬢様、馬車へ急ぎましょう」
「え、ええ」
宿に泊まってから帰るか、と聞かれたが、これ以上ここに止まりたくない。このままカプレーティ家に戻るよう御者へ命令しておく。
「ジュリエッタお嬢様、お寒くないですか?」
「ええ、平気ですわ。わたくしよりも、ばあやが心配なくらいで」
「私は頑丈なので大丈夫ですよお」
そうは言っても、ばあやはもう六十歳である。無理はよくない。
馬車に積んであった毛布は私の肩にかけてくれたが、ふたりで暖まったほうがいい。ばあやにもかけてあげた。
「それにしても、大変な戦闘でしたね。あのイラーリオお坊ちゃんが、まさかモンテッキ家の嫡男といい戦いをするなんて」
「……」
冷たい雨に濡れたからか、それともイラーリオの悪魔について思い出したからか、体の震えが止まらない。
「ジュリエッタお嬢様、やっぱり寒いのですね!」
「ばあやが温かいから、もうすぐ体も平気になるはず」
「お屋敷まで、もう少しですので、耐えてくださいね」
「ええ、ありがとう」
悪魔について考えたいのに、動揺しているからか頭の中がぐちゃぐちゃだった。
私に取り憑いているアヴァリツィアは、いつの間にか姿を消している。
気まぐれな悪魔なのだ。
◇◇◇
雨に濡れたからか、私はまたしても風邪を引いてしまった。
熱が下がらず、三日間も寝込んでしまう。
私が臥せっている間も雨が降り止まなかったらしく、今年の馬上槍試合は中止となったようだ。
雷が落ちる前、明らかにバルトロマイは勝利間近だった。その後、雨さえ降らなければ、確実に彼が勝っていただろう。
侍女が持ってきてくれた新聞には、カプレーティ家とモンテッキ家の新星が互角の戦いをした、と報じられてあった。
イラーリオは自らの実力ではなく、悪魔の能力を借りた結果だったというのに。悔しい気持ちがこみ上げてくる。
それから三日、さらに療養し、屋敷の中であれば動き回れる許可を得られた。
すぐさま私は、カプレーティ家の地下書庫へ向かう。
地下書庫はいにしえの時代から伝わる、悪魔の書物を集めた場所だ。
基本的に当主しか立ち入ることなどできないが、今晩、両親は晩餐会で不在。
父の書庫にある隠し金庫から地下書庫の鍵を借り、使用人達の目を盗んで向かう。
ちなみに、隠し金庫の場所や暗証番号については、幼少期、酔っ払った父から教えてもらった。
まさか私があのときの記憶を今でも覚えているとは、父も思っていないだろう。
片手に角灯を持ち、地下書庫へ鍵を使って入る。
中はかび臭いと思いきや、思いのほか乾燥していた。ヒュウヒュウと風を感じる。おそらく、外に繋がる通気口が通っているのだろう。
内部はひんやりしていて、風の音が少し不気味だった。
カプレーティ家の悪魔について、私は多くの知識を持っていない。
子どもの頃、〝カプレーティ家の者は他家にない大きな力を持っている〟、という話をざっくり聞いていただけだった。
悪魔が気に入った一部の者に取り憑き、大いなる恩恵と引き換えに願いを叶えてくれる、
という知識を有しているのは、当主を始めとする一部の者だけらしい。
その情報を、私は知っていた。今世で誰かに聞いたわけではないので、前世から把握していたものなのだろう。
けれどもそれをどこで見聞きした、というのは記憶に残っていなかった。
まずはなぜ、カプレーティ家の者に悪魔が取り憑いているのか、という歴史を知りたい。
根気強く本を探したが、それらしきものはない。
悪魔召喚や悪魔との付き合い方など、悪魔を従える上で使えそうな書物しか見当たらなかった。
今日のところは仕方がない。また時間があるときに、ゆっくり探そう。
帰り際、出入り口の近くに木箱が重ねられているのに気付いた。
中に入っていたのは、瓶に入った乾燥コウモリやトカゲ、サソリなどの気味が悪いもの。
木箱の蓋には、父宛に届いたという伝票が貼ってあった。
これも、悪魔に関わりがある品なのか。念のため、ひとつ拝借する。
そろそろ両親が帰ってくる時間帯だろう。
地下書庫から脱出し、父の書庫へ鍵を返しておく。
『おいおい、泥棒はよくないなあ』
突然の声に驚きつつも、こうして唐突に現れるのはアヴァリツィアしかいないと気付いた。
振り返った先にいたのは、予想通り角を生やした黒ウサギの悪魔である。
ちょうどよかったと思い、アヴァリツィアの首根っこを掴んだ。
『ぎゃっ!! な、何をするんだ!! 俺の首回りの皮膚は繊細なのに!』
「繊細ですって? たぷんたぷんに肉を貯めておきながら、何をおっしゃっているのか」
『たぷんたぷんではなーーーーい!』
「静かに!」
アヴァリツィアを部屋に連れ込み、鳥かごの中に閉じ込めておいた。
それは悪魔が嫌う聖樹で作られた鳥かごで、何かあったらアヴァリツィアを閉じ込めようと購入しておいたのだ。
アヴァリツィアは体当たりしたり、黒い靄のような姿になったりして、脱出を試みていたようだが、鳥かごに触れただけで『ぎゃあ!!』と悲鳴をあげていた。
さすが、高価だっただけある。悪魔に対し、確かな効果を発揮しているようだった。
『俺を閉じ込めて、取って食うつもりだろうが!』
「あなたは食べてもおいしくなさそうなので、お断りします」
『なんだと!?』
ジタバタ暴れるアヴァリツィアに、取り引きを持ちかける。
「あなたがわたくしの質問に答えてくれるのであれば、こちらを差し上げます」
それは、瓶に入った干からびたコウモリである。地下書庫にあった木箱に入っていた物を、ひとつ拝借したのだ。
なんとなく、悪魔に与えるために買っているのだろうな、と推測していた。
コウモリを目にした瞬間、アヴァリツィアの瞳がキラリと光る。
『おお、うまそうなコウモリだな!』
「あなた達悪魔は、こういった物が主食ですの?」
『いや、これは珍味みたいなもんだな。別腹だ』
「では、主食はどんなものですの?」
『それは、負の感情だ』
悪魔は人の負の感情を取り込んで力を得て、さらに強くなる。
何やら興味深い話であった。