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とてつもない熱量にさらされる

 自分でも何を言っているのか、なんて思ってしまう。

 けれども、少しでも彼の心が安らかになるのならば、可能性に賭けてみたい。そう思って提案してみたのだ。


「俺が、ジルの絵を描くというのか?」

「ええ。最初は顔などを描くのではなく、ここの小さな窓から見える手を描いてみるのはいかがでしょうか?」


 相手の部屋へと繋がっている小窓は、鉄製の格子が嵌められており、きちんと見えるわけではない。

 ちょっとしたスケッチをするだけであれば、問題ないだろう。


「しかし、なぜ手から描けと言うのか?」

「そ、それは――」


 初めて元夫が描いてくれたのが、私の手だったから。

 前世の記憶が、鮮やかに甦る。


 私が元夫の絵の上手さに気付いたのは、騎士隊で作成した指名手配犯の似顔絵を見たから。すでに拘束され、不必要となったものを持ち帰ってきたのだ。

 あまりにも精巧に描かれていたので、絵を描いたらどうかと提案した。

 しかしながら、元夫は絵が上手いから、という理由で似顔絵を描かされ過ぎていて、絵を描きたがらなかった。当初は、私ですら描くのを嫌がったくらいだ。

 根気強く頼みこんだ結果、元夫は手だけであれば、描いてやると言ってくれた。

 指名手配犯の似顔絵が描かれた裏に元夫は私の手を描き始めたのだが、一時間ほど一言も喋らず、集中して仕上げてくれたのだ。

 元夫が描いてくれた手の絵画は大層すばらしく、私は額縁に入れて飾っていた。

 もう二度と絵を描くことなんてないだろう。

 そう思っていたのに、元夫は翌日、私の絵を描かせてくれ、と頭を下げてきたのだ。

 あの自尊心がどこまでも高い夫が、頭を下げるなんてよほどのことである。

 なんでも、私の絵を描く間、心が満たされ、気分が高揚していたと言う。

 家に帰って他の絵を描いてみたものの、その感情は味わえなかったらしい。

 そこまで頼むのならば、とモデルを引き受けることとなった。

 以降、元夫はすさまじい集中力で、私の絵を仕上げた。絵の具なんて触るのは初めてのはずなのに、彼は巧みに扱い、すばらしい一枚を仕上げた。

 私の姿はとてつもなく美化されていたが、元夫にはそういうふうに見えていたのかもしれない。そんな悲しい現実はさておいて。

 あまりにも情熱的に見ながら描くので、他の人を描く姿を想像すると嫉妬してしまった。そのため、元夫には私以外描かないでほしい、と願ったのだ。

 それからというもの、元夫は何枚も何枚も、私の絵を仕上げていった。

 お願いしたとおり、彼は私以外を描いていないらしい。

 絵を描く彼は、本当に楽しそうで、幸せそうで、活き活きとしていた。

 皇帝の剣としてしか存在意味を見いだせなかった彼が、趣味を見つけたというのは、とても喜ばしいことである。

 ただ、元夫は私を描くだけで満足しているようで、その絵を誰かに見せようとしなかった。

 あまりにも美しい絵画を前に、私だけ楽しむのはもったいないと思ってしまう。

 ちょうどコンテストがあったので出品したところ、見事、優秀賞を受賞したのだ。

 その絵は美術館に飾られることとなったのだが、公開日になっても、絵画が飾られることはなかった。

 さらに、賞と賞金を辞退した、なんて噂話も流れ始める。

 いったいどうして、と思って元夫に連絡したところ、彼の父親がコンテストに不服を申し立て、辞退させたらしい。

 なぜ、そんなことをするのか。腹を立ててしまう。

 元夫の父親曰く「誇り高い国王陛下の騎士が、護衛の職務以外の行為に手を染めるなど、職務怠慢が過ぎるのではないか」、と主張していたらしい。

 当然、元夫の描いた絵なんて認めようとしなかったようだ。

 部屋に飾っていた私の絵はすぐに燃やされ、手元に残ったのは数枚のスケッチだけだったと言う。

 強気でへこたれない元夫が、珍しく凹んでいた。もう二度と絵なんか描かないと宣言していたものの、一ヶ月と経たずに、私を描き始める。

 もうすでに、元夫の人生に絵は引き離せないものとなっていたようだ。

 ただ、以前とは違って、隠れて行わなければならなかった。なんでも父親から、次に絵を描いたら絶縁する、と言われていたから。

 そんな事情があり、元夫は私と会う時間のほとんどを絵画に費やす。

 会話もなく、一心不乱に描いていた。

 喋りたいこともあったのだが、別にいいや、と思ってしまう。

 なぜかと言えば、絵を描く彼の様子が、とても幸せそうだったから。


 そんな元夫が最後に描いたのは、ベールを被り、婚礼衣装を着た私の姿だった。あの絵は丁寧に仕上げ、額装までしていた。今もどこかにあるのだろうか。

 百年以上も前の話である。もう、どこにも存在しないのかもしれない。


 おそらく夫が心の奥底で欲しているのは、〝絵を描くこと〟なのだろう。

 だから前世と同じように、私の手を描いてみないか、と提案してみた。


「なんと言いますか、いきなり顔から描くというのは、難しいと思います。ですから、まずは手から挑戦するのはいかがかな、と思いまして」

「なるほど。そこまで言うのであれば、描いてみよう」


 バルトロマイはスケッチブックの真っ白なページを開き、鉛筆を握る。

 私は手がよく見えるように、小窓に差し伸べた。

 ザッザッザッ、と鉛筆が紙の上を滑る音のみが聞こえる。

 何かが違う、と画用紙を黒く塗りつぶし始めるのではないか、と思ったが、彼は一時間かけて私の手をかき上げた。


 無言で見せてくれたので、手を叩いて絶賛する。


「すばらしい腕前ですわ! まるで、画師えし様が描いた作品のようです!」

「……これだ」

「え?」

「わかった。俺は、お前の絵が描きたかったんだ!」

「あ、いえ、お待ちください。他の方でも、手や足のパーツを描いてみてくださいませ!」


 前世では私だけを描くようにお願いしたので、私しか描かなかった。

 けれども今世では、そのようなことなど一言も頼んでいない。

 それなのに、なぜか私の絵を描きたいと主張し始める。

 こんなはずではなかったのに……。


「ジル、顔を見せてくれ。お前ならば、顔も描いてみたい」

「な、なりません!!」


 顔を見られたら、私がカプレーティ家の娘だと気付いてしまうかもしれない。

 聡慧そうけいの青、と呼ばれている瞳は、カプレーティ家以外の者は持たないから。

 逆に、モンテッキ家の赤い瞳は、闘志の赤と呼ばれている。

 そのため、カプレーティ家は青の貴族、モンテッキ家は赤の貴族と囁かれているのだ。


「少しでいい。ざっと下絵だけでも描かせてくれ」

「お断りいたします!!」


 もう潮時だ。そう思い、私は告解室から出て行く。

 これ以上、バルトロマイと会うのは危険だ。逃れられなくなってしまうだろう。

 今日も院長が外に待機していたので、勢いのまま伝えた。


「しばらく、ここには来ません! モンテッキ卿にも、そうお伝えくださいませ!」


 教会の裏口から脱出し、乗り合いの馬車に乗って家路に就く。

 馬車乗り場ではばあやが待っていた。


「ジュリエッタお嬢様、お帰りなさいませ!」

「ばあや、ただいま」


 ホッとしながら、ばあやの抱擁を受けたのだった。

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