生きている
『気持ち悪いんだよ! 死ねっ!』
生きることに『楽しさ』や『嬉しさ』なんて感じていなかった。
『なんか臭くなぁ〜い? 誰かさんからにおうんですけどぉー』
『てか、顔が無理』
鏡に映る自分を殺してやりたいと思うほどに。
『お前、いい加減自覚したら? 自分が、どうしようもなく、気色悪いってことによ!』
俺を肯定してくれる人なんて、誰一人いない。
『消えろ!』
『屋上から飛び降りればいいのに』
『よく生きてられるよねぇ。私なら自殺しちゃうかも』
否定され、貶され、絞められる。
苦しかった。悲しかった。独りで痛かった。
心が。
『……きて』
冷たい視線と胸に突き刺さる言葉が渦巻く絶望と孤独の中、柔らかな声が聞こえた気がした。
『お……て』
いつのまにか水中に立っていた。体が浮遊し、微かな光が見える水面へ上がっていく。
『起きて……』
眩い光に包まれるーー。
***
意識が戻り、目を開けた。
どうやら、夢を見ていたらしい。とても、苦しく、悲しい夢を。
俺が寝ているベッドの傍に、1人の少女が立っていた。
「起きた?」
彼女は、コテリと首を傾げて聞いてくる。
肩口まで伸びた短髪の美しい青髪がサラサラと揺れ、翡翠色の瞳が俺を見つめていた。
相変わらず可愛らしいな、と密かに思う。
「……ああ、おはよう。フィーリア」
「うん、おはよう。フミヤ」
フィーリアは嬉しそうに返事を返してくれる。表情も声音も全く動いていないが、俺には分かった。
眉尻がピクピク動いたから。
「……? なに?」
「……いや、なんでもないよ」
「……そう。それじゃあ、朝食の用意してくるね」
「分かった」
フィーリアは部屋を出て行った。
ベッドから起き上がり、閉め切っていたカーテンを開けて太陽光を浴びる。
清々しい青空が広がっていた。
ふと、思う。
「だいたい、5年くらいかな……。異世界に来てから」
虐められ、嬲られ、心と身体をズタズタに引き裂かれていた日本から転移してきて、もう5年。
そして、フィーリアと出会って3年目くらいになる。
彼女は出会った当初、心が死んでいた。
親と同年代の子たちに暴力とイジメを受けていたから。
父親が暴力的な人だったらしい。そんな夫が嫌で、母親はフィーリアを置いて夜逃げした。そうして、フィーリアが殴られる回数が増えてしまう。
そして、いつもボロボロの体と服を着たフィーリアをきみ悪がり、近所に住む同年代の子たちはフィーリアを友達として扱わなかった。代わりに、的として使ったそうだ。石当てようの的として。
彼女はそんな状態に耐えきれなくなり、とうとう逃げ出す。しかし、その時彼女は14歳。
逃げ出したとしても何もできず、野垂れ死ぬのを待つしかなかった。
そんな状態で街角に座り込んで泣いていた所を発見して、どうにも見捨てられずに連れ帰ったのが出会いだ。
最初は無口で従順で、近付いただけで『ごめんなさい』と言いながら肩を震わせていた。
そんな彼女に、俺は同情してしまったのだ。この子は寂しくて、辛くて、悲しいんだろう、と。
全ては俺の思い込みでしかないが、それはともかく。この時、同情を抱いた時、俺は誓った。
この子を笑わせてやろう、ってね。
チンケな決意だとは思うけれど、それくらいしか思いつかなかった。
そして、その時の俺は異世界人生をどう生きようか、なんて課題にようやく向き合えた時期で。つまり、人生の目標を探していた。
そんな時に誓ったもんだから、それがとりあえずの人生目標になったな。
「……5年、ねぇ……」
最初の2年は、ガムシャラに、みみっちく、泥臭く生きて。フィーリアを拾ってからは、誰かと生きる大変さを突きつけられた。
「よく、生きてたなぁ〜……」
本当に、よく生きてここに立っていられると思う。
ーーガチャリと、ドアの開く音が聞こえた。
「……? 何してるの?」
フィーリアだ。
きっと、外を眺めながら黄昏ている俺を見て怪訝に思ったのだろう。
「いやな……。生きてて良かったって、思ってさ」
異世界転移前に、学校の屋上から飛び降りたことを思い出す。
あの時の、『死』が迫る恐怖は忘れない。
「ふふふ」
鈴らかな笑い声が耳に入る。
フィーリアの微笑みは、耳を癒してくれるから好きだ。
「そうだね。生きてて良かった。本当に」
「ああ……」
フィーリアが近づいてきて、俺の横に並ぶ。
窓から見える木の枝に、2羽の青い小鳥がとまっていた。互いの体を突っつきあっている。
「……私が生きてるのは、フミヤのおかげ」
フィーリアが突然、気恥ずかしいことを言ってくれた。
なんとも奇妙な感覚が胸を満たす。柔らかく暖かい感覚が。
「……俺が生きてるのも、フィーリアのおかげだよ」
「ふふ、そうだね。フミヤ、料理下手だし」
「いやいや、それ関係ないから。料理出来なくても生きていけるし。……たぶん」
いざとなったら、その辺にいる虫とか食えるしな。いけるだろ。異世界の虫って結構美味いし。
ふと、うっすらと窓に映るフィーリアの顔と目が合う。
「……ふふふ」
「……ははは」
自然と互いに笑みが漏れた。
柔らかく暖かい何かが胸に広がっていく。
これを『幸せ』と言うんだろうか。
(今俺は、生きていて『楽しい』し、嬉しいな……。いろいろ、大変ではあれけどね)
窓に映った自分と目が合う。
好き、とまでは行かなくても、嫌いではない男がそこにいた。
みっともなくってもさ、生きてればいいことあるかもね。