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「なあ、あんたたち悪魔は、俺たち人間が考えることはもうほとんど全部を理解してるの?」
俺はふと、そんな疑問を思いついて口に出していた。ムスフォトは視線を空の一角から俺の顔に移し、眩しいものを見るように目元に皺しわを寄せた。そうしてじっと俺の顔を見ていた。もしかしたら、その時に根ざす感覚のようなもので俺を見ているのかもしれない。
俺が鏡の前に立てば、現在の自分の姿は見える。俺は自分の立てる音を聞くことができるし、俺は自分の手のひらの匂いを嗅いでみることもできる。舐めて味がするのか確かめてみることもできる。舐められた手は舌の感触をそこに認め、舌は手の肌のザラつきを感じる。
それで、⋯⋯それで人間の五感は全部だ。それ以上のチャンネルで、人は自身を知ることはできない。
ムスフォトは割りに長い時間そうしていてからゆっくりと言った。
「バック君。きみはヒトへの興味を掻き立てるよ。不思議な存在だ」
「俺はただの人間だよ。あらゆるものは、大きすぎも小さすぎもしない。キャンディーのコマーシャルと一緒さ。特別だから食べられる。誰もが特別だから全員が食べられる」
ムスフォトはまたいつもの癖で、空中に漂う言葉の糸をつかもうとするように手指を揺らめかせながら言った。
「確かにそうと言えるのかもしれんがの、言葉の上では矛盾もするが、それこそが実に得難えがたいものなのじゃ。それを自身、意識し飲み込んでいること、けれどもそのことは、はるか遠いもののように忘れている。君は自分で思うよりずっと稀有な感覚の上に、つま先で立っているような男じゃよ。
そしてそれは、誰もの頭の中にある境地でありながら、誰もが足の指一本そこに重ねて立ってはいない。実に、実に絶妙なバランスなのじゃ。それが君の中で、いつも右に左にユラユラと揺れておる。揺れておることによって、『つまりはこれが真ん中と同じことだろう?』とでもいうようにシレッとした顔をしておる。そんなもの胸に飼ってる人間は、今はなかなかいないんじゃよ」
まるでムスフォトのその言葉に応えるように、砂地の上を風が吹き始めた。木陰に気配を溶かし込んでいたデオがまたライターの音をさせて、ゆっくりと煙を吹き出しながらニヤリと笑った。火点と両目の三つが、赤い光でグルリと揺れたような気がした。ほとんど気にならなくなっていた銃型のライターが、妙に尖った印象を放なった。
ムスフォトが空中を弄っていた指を、宙に浮いた透明な果実でも掴むみたいにピタリと一箇所に定めた。
「そう⋯⋯。我々は君という人間に興味を持ったよ。ちょっと持ちすぎるくらいにのお」
その場に、なにか間違った空気が流れているような気がした。空を浮いていた雲の腹の翳かげりが濃ゆい色に沈み、地面の上に積もった粒子は風で鋭く舞い上がった。
自分の心臓の音が、人間の形に切り取られた部屋の中の時間を硬く早く押し縮めているような息苦しさがやってきて、影は影であることに強い意志を持ち、日向は日向であることに決心を新たにしたように感じた。俺たちの周りだけ、世界は細かい音符を刻んでいるみたいだ。
この感じは、イデオナが十字路の道端みちばたに最初に姿を現した時と似ている。彼らは悪魔で、俺は人間だった。
ムスフォトの瞳の中にある幾筋かの光が金色に流れた。




