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「そうそう、音楽を掛けねば⋯⋯」
ムスフォトが言って、脇に積んである荷物の中から小さなトランクケースのようなものを持ち上げた。中にはピッタリと機械が収められていた。
彼はそこから電源のコードを引き延ばし、表の発電機に繋がったドラムコードに差し込んだ。
そしてフムフムと呟くように喉で唸りながら、中に何枚か入っていた黒い円盤のうちの一枚を選んだ。それはレコードだった。
トランクはポータブルオーディオだ。
そして、月と恋の歌が流れた。フランク・シナトラの歌うフライ・ミー・トゥザ・ムーン。俺はあっけに取られながら、その音をしばらく聴いていた。それで思ったことを言った。
「⋯⋯悪魔の選曲の趣味というのは、俺にはよく分からないよ」
デオが三杯目のワインをカップに注ぎながら言った。
「そうねぇ。わたしたちにしても、原理的には『それを聴いてる人間の真似をしてる』だけなのよ。
でもね、音の響きが作る感動の真似があり、身体の中から暖かさの滲み出てくるような震えの真似があり、踊りだしたくなるような衝動の真似があり、そして踊りの真似をしたりもするのよ」
「それって、本物と何が違うの?」
シナトラがちょうど甘い声で、「それを言い換えるとだね」と歌った。デオは小さく笑って説明を続けた。
「わたしたちは本物を持ったことがないから分からないわ。例えば⋯⋯非認可の工場で非認可に作られた自動車のようなものなのかしら。
ちゃんとドアが閉まってエンジンが掛かり、ちゃんと100キロで走ることもできる。けどシリアルナンバーも登録もないために、それがどのバッジを付けた何の車なのかを言い表すことはできない」
俺はその話について考えた。ワインを一口飲んで言う。
「そりゃ⋯⋯そりゃもう本物なんじゃないの?」
デオは俺よりさらに深く考え込んでから静かに言った。
「そうね。そうかもしれないわ」
チャーミングなピアノの音と「アイ・ラヴ・ユー」の響きで曲が終わった。偉大なフランク・シナトラ。その夜遅くまで、レコードプレーヤーは古い歌を鳴らし続けることになった。
「イデオナ、タバコをくれよ。ワシのはもうほとんどないんじゃ」
酒を飲んでいたムスフォトが言った。
「いいわよ。わたしのはたっぷりあるから」
「ハッハッハ! こりゃきっと、バックくん達の感情で『羨ましい』というやつに違いない」
「ま、仕方ないわよね」
その部分については、二人が何を言っているのかよく分からなかった。だいぶ日にちが経ってから、成る程 当然と納得してしまうわけだが。
ムスフォトそれを、ゆっくりと味わうよう喫った。リラックスして細められた目が、時々その隙間を細めたりして金色に光った。
俺にはそのように見えたというだけで、気のせいなのかもしれない。




