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外にはさっきと同じ、間抜けなほどに明るい光が降り注いでいた。背の低い茂みや草の葉が、それを静かに吸い込んでいる。
寺院は不思議な物体に見えた。そこからは時間の流れている気配がしない。
俺はその時はじめて、人の住む建物からは時間の流れる気配が絶えず漂っていることに気がついた。
それがないと、サッパリとしたような、突き抜けるような、少し寂しいような、そんなものが混ざった不思議な気分になる。
タバコを取り出すところから、1、2、3、と手や指の動作を細かく数えた。頭が空白に馴染んでないのかもしれない。
6、7つ目でライターのホイールに指が掛かり、8つ目で火がつく。それは聞き慣れたいつものフリント・スクラッチに聞こえなかった。
10、息を吸い込んで火を移し、12でライターの展開を閉じる。それをポケットにしまい、フィルターのあたりを摘まんで煙を吹き出した。
17。時間の流れる速さは、町のそれの1/17ということになった。⋯⋯なったのだろうか。
「史跡なんか見ても何がいいのか分からない」
昔の話だが、そう言っている人がいた。飲み屋ではときどき顔を合わせる、知り合いの知り合いといった距離の人間だ。
金持ちで気前は良かったが、自分の価値観の外にある物事に対しては多少攻撃的になる癖がある中年の男だった。なに、その突進の正面に立たなければいいだけのことだ。
「退屈なだけだ。ただの古い痕跡だ」
俺はその話を耳の端に聞いていただけだった。特に気分は害されない。ただこうして、後になって少し考え込むだけだ。
退屈かは個人の価値観に委ねるしかない問題だが、「ただの古い痕跡だ」ということに関しては男の言うことに一理あるような気がする。古くないのか? いや、古いだろう。
痕跡とは逆の意味のものか? いや、確かに何かの痕跡だろう。特に、現役の何物でもなくなってる場合では。すると、
「ただの」?
ただの物と特別なものの間にはどんな違いがあるだろうか。彼にとってインカの宮殿はただのインカの宮殿であり、彼にとってギリシャの神殿はただのギリシャの神殿でしかない。
歴史学者や観光庁のような組織にとっては、それらはただの◯◯として放り出してはおけないものだ。結局は、退屈さと同じで感じ方の違いでしかない。
まあ、当たり前のことといえばそうかもしれない。
では今、目の前にある廃寺院は俺にとってただの古い建物か。
俺はゆっくりと建物を見上げた。眺め回した。今は誰もいないが、それなりの繁栄とそれなりの転機、そしてそれなりの没落を経て蔦に巻かれているのだ。
その物語が印刷されたブックレットが世界に一冊として置かれていなかったとしても、その歴史は絶対にあるはずだ。
ただの人類がただ歴史を駆け上がって転げ落ちる。この寺院は、ただのその一部だ。ただの原子力発電所が発明され、ただの戦争が起きる。ただたくさんの人が生まれて死ぬ。
あるいは先の男の言っていたことが正しいのかもしれない。一つのテーゼが嘲笑われ、一つのアンチテーゼが持て囃される。あるいはその逆。
ただ一つの星があり、ただ文明が歴史を刻むだけだ。それにただ泣き笑いする人間がいるだけ。そういうこと。
おかしいね。ただの古い痕跡が胸に迫るなんて。
俺はそこに立ったままタバコを二本喫い、外から寺院のカラカラになった石の壁を眺めながら、草の上を少し歩いた。頭の後ろでずっと男の声がした。
「ただの古い痕跡だ」
実にその通り、なのかもしれない。




