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俺は座っているデオの後ろから両腕を回して、留められていた一つ目のボタンを外した。シャツのデザインからいうと第二ボタンだ。デオの様子に変化はない。俺の肌が薄っすらと汗をかくのが分かる。
外れたボタンの両脇からそっとシャツを引っ張る。デオの滑らかな肌が襟の下にほんの少し現れる。彼女は動かず。
俺は呼吸を深くし、一つのことに思い当たる。どうして部屋の窓が締め切られているのだ。こんなに暑い夜なのに。俺の顎を汗が伝って落ちる。
次のボタンに指で触れ、それを外す。デオは相変わらず身動き一つしない。汗一粒かかない。クソッ。暑すぎる。俺はまたシャツを少しずらす。
喉がカラカラに、いやパリパリに乾き、砂漠の風のような息がその隙間から痛々しい音を立てて漏れた。このままでは意識が飛びそうだ。
そこで俺はカラクリに気づいた。危うく命を落とす前、といったタイミングだったのかもしれない。俺は自分で、温度が上がるスイッチを操作していたのだ。
デオのシャツをずらしていくたびに、俺の身体は暑さのために渇いていっていた。
俺は暑さのために朦朧として、後ろの床に倒れるように座り込んだ。
「どうしたの? あと一つのボタンくらいなら、生きて外せるかもしれないわよ」
デオは椅子の上で身体を捻ってこちらを見ていた。俺は限界だった。下着の色を盗み見るどころの話じゃない。
「あなたはムスフォトに会ったのね」
水が飲みたい。
「それで、わたしのことを悪魔だと知った」
喉が渇いて仕方がない。デオは立ち上がって一歩、俺の方に近づいた。デオは続けて言う。
「それが本当なのか、どうしても試したくなった」
俺の身体はどれくらいの水分を失ってしまったんだろう。吸い込む空気がヤスリのように喉を擦る。
「いけない人。あなたの身体は⋯⋯、」
彼女は開いたシャツの胸元に手をやった。それからため息をついてシャツのボタンを戻した。手早く、最初の状態と同じまで。その瞬間、俺の身体は正常に復した。
「あなたの身体は水分なんか失っちゃいないわよ」
ヒヤリとした空気が喉から吸い込まれた。生き返るような気分だ。デオは言った。
「ちょっとイヤラシイんじゃないの? もし見たいなら普通に頼んでみればいいじゃない」
「⋯⋯胸を?」
俺はやっとのことで冗談を絞り出した。
デオは呆れかえって、さっきの三倍くらい大きなため息をついた。
「なにか悪魔のチカラとか印とか。決まってるでしょ? あなたって、憎たらしいと思われながらけっこう長生きするタイプよきっと」
どうだろう? 長生きではあっても幸福とは言い難い人生のような気がする。
「それで、なんの用事だったかしら?」
俺はノソノソと立ち上がって頭を振った。
「いや、きみの言う通りだ。俺は飲み過ぎてるらしい。寝るよ」
「そうね。その方がいいわ。おやすみなさい」
自分の部屋のベッドに潜り込むと、ドッとした疲れと眠気がやってきた。俺は引きずり込まれるようにして眠った。なんの夢も見なかった。
翌朝、荷物を背負って小さなロビーに降りていくとデオがいた。
「おはよう。ムスフォトと話したのよね。わたしたちに連いてくるんでしょ?」
俺はアルコールの残りでぼんやりとした頭で言った。
「命の危険がないならね」
「おかしなことしなければ大丈夫よ」
デオは澄ました顔で言った。優位というのは素晴らしいものであり、そして手に乗せてしまえば羽根のように軽いものなのだろう。
ここからはムスフォトの用意した車で山道をゆく。俺の車はホテルの駐車場に預かってもらうことになった。ホテルはあまり忙しいとはいえないようだ。少しばかりの料金で、支配人はそれを快諾してくれた。
「もし1ヶ月戻らなければ売り払ってしまって構わないよ」
冗談で俺がそう言うと、支配人は少し反応に困ってしまったようだった。
「⋯⋯なに、物好きな買い手が付けばの話さ」
そしてデオと俺は、荷物を持ってロビーを後にした。




