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寺院に囲まれた少し大きめの街で、俺は狼男に会う。それが次に起こったことだった。狼男といっても、月を見て変身したりはしなかった。
ただ個人的な感覚として、俺にはその男が狼男のように感じられたというだけの話だ。
国境を越えてからの道は野性味にあふれていたが、不思議と同時に観光地としての色彩も濃かった。色々なものがあるところには色々なものがあり、ないところにはない。
すれ違うバスの窓には、色々な国からやってきた色々なタイプの人間たちが見られた。
バックパッカーや、裕福な老夫婦や、なにやら分からない組み合わせの人々だ(バラバラの格好なのに人組のパーティーであることが間違いない、という人間の見え方がある)。
もしかすると、記者と写真家の組み合わせだったりするのかもしれない。
車の景色にはまず森の中の寺院が見え、その先には決まって町があり、通り抜けるとまた別の寺院があった。町が小さい時には前か後ろ一方の寺院が抜け落ちる時もあり、町が大きい時には寺院の規模と数も多かった。
それほど多くの修行僧たちが悟りの媒液のようなものを次々と汲み上げてしまえば、それはあっという間に枯渇してしまうのではないかとも思ったが、またハンドルを握りながら考えているうちに別のことも思いついた。
この辺りにはそういったものが流れる見えない河のようなものが流れていて、上流から途切れることなく豊富な水量を押し流しているというものだ。どちらかというと、その感覚の方がシックリと馴染めそうだ。
そのようなことを考えて頭を遊ばせる合間にデオの横顔を見ると、彼女は不思議な顔で外の景色を見つめ続けていた。物珍しそうにも見え、また懐かしそうにも見えた。
道はゴロゴロがたがたと続き、デオが地図で指した目的の街には夕方に着くことができた。
部屋を取ると、デオはまた中にこもって何かの用事を進めた。俺は何日か前にステーキのことを考えていたのを思い出し、ホテルのフロントで聞いてあつらえ向きのレストランを教わり、そこへ向かった。
街は相変わらず古く雑然とした場所の連続の中にあるのだが、観光客向けに行くつかの建物だけはキラキラとした自己主張を路上に振りまいていた。ネオンや看板の光、呼び込みの威勢、扉が開くたびに溢れる新しい音楽。
何日も古いカセットテープ一本だけを聴いていると、それらの煌びやかさはとても新鮮に神経を揺らせた。チクチクと痛いような気もする。俺の神経は車の揺れと森の蒸気とで伸びきってしまっているらしい。
まあ、それもいいだろう。場所には場所の表情があるべきで、過度の単調さは何より人の神経を擦り減らす。それ以外のものであれば、最低なものではないのだ。




