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 彼女は脇に置いてあった小さな部品を取って見せてくれた。それはパイプを差し込んで止めるための、ビス締めの輪っかだ。鉄の輪ゴム。その一箇所が割れて、輪っかはそうでなくなっていた。ただの短い鉄の紐だ。


「ターボのインテーク。その部品にヒビが入って、振動があるところまで来るとビリビリと音を立ててたのね」


「じゃあ、パイプごと交換しないとダメかな?」


 彼女は首を振った。


「差し込んだチューブが留まらなくなってるだけだから、耐熱テープか何かでグルグル巻きに留めてしまえば元の機能に戻るわ。テープか、針金とか、それは今から探しに行かなければならないけど」


 ⋯⋯耐熱⋯⋯ヒート・プルーフ⋯⋯。俺はそのキーワードでピンと来るものがあった。


「そういうものが車に積んであるかもしれない」


「ほんとう?」


 俺はトランクの中や後部座席の足元をまさぐって、どこに放り込んだか忘れてしまった、その小さな箱を探した。

 後ろから助手席の下に滑り込んでしまっていたらしい。俺は狭い隙間に突っ込んだ手の先の感触で、目当てのものを発見した。


「あった、あったよ。テープって、こういうやつのことじゃない?」


 それはボブ・マーリーを信仰する、暇を持て余した路上の神父がくれた箱だった。コウモリのキャラクターがプリントされている。デオはそれを手に取り、箱を開けて満足そうに言った。


「まあ、なんて偶然なのかしら」


 俺はその言葉の響きにどことなく白々しいものが聞き取れるような気がした。

 昨夜彼女がくれたタバコのことを思い出す。デオはまた、ボンネットに身体を突っ込んで作業し始めた。


「⋯⋯ところで、その工具はどこにあったんだい?」


「ガレージの裏に出しっ放しになってたわ。終わったら元に戻しておくわよ」


 ふうむ。それもどうだか、怪しいような気がしてしまう。俺は疑心暗鬼になっているのか。




 デオの修理は大したものだった。エンジンを吹かしても不快な振動が出ることはなくなり、「陽気なおっさん号」は気持ちよく走った。

 ターボの効きも、今までは不完全だったものがピシリと決まり、パワーには芯があった。朝食をとって町を出発し、俺たちは距離を伸ばす。


「器用なもんだね、驚いたよ。そして助かった」


 俺はハンドルを握りながらデオに言った。


「まあね。昔取った杵柄とでもいうか、ね」


 デオはまるで何か別の考え事に集中しているような様子であっさりと言った。

 俺はその昔のことが気になったが、もしかするとデオの方では、今はそれをあまり話したい気分じゃないのかもしれない。なんとなくそんな気がした。


 そのような機微きびは俺に、ある昔の女の子のことを思い出させた。彼女はいつも「特にそう口に出すわけではない」女の子だった。




 時間を余らせた若者が集まる小さなバーで知り合った女の子だった。互いに同性の友達とつるんでそのバーに入り浸っていた他人同士だ。

 あるとき何かのきっかけで、その女の子とカウンターで隣同士になったことがあった。きっと両方ともいつもの仲間の到着が遅れていたか何かだったのだろう。


「ときどき見かけますね」


 彼女の方から先に声を掛けてきたのを憶えている。彼女の方は愛想も良くてキラキラと目立つタイプだったし、特に目立ったところもない自分と何か話して面白がるような相手じゃないと思っていた。


 よっぽど退屈していたのかと思ったものだが、それから彼女は店に俺の姿を見つけては、決まって声を掛けていくようになった。友人の一人は言った。


「彼女、君に気があるんじゃないの?」


 それにしてはどうも感触が違うと思っていた俺は、冗談を言うに留まった。


「きっとマンションか壺でも売る相手を探してるんだろ」

 俺はゲームの盤面に視線を戻した。


 当時友人たちの間で、五目並べのように対決する立体パズルの簡単なゲームが流行っていたのだ。酒の代金を掛けて、それで相手と勝負した。俺の強さは中の上といったところだった。


 ゲームはパスタ掬いのように棒がついた四角い板を使うもので、その棒に自分の色の石を通し、縦でも横でも斜めでも、4つ揃ったら勝ちというルールだ。算盤そろばんの石のように色が積み上がっていく。


 相手の裏をかいてリーチを揃えたり、またそれを抜け目なく妨害するマメさが必要だった。


 ⋯⋯そして、女の子はそのゲームのルールを聞いてみたいというだけで俺に親しく接していたのだった

「だったら最初からそう言えばいいのに」


「どうも苦手なのよね。最初に聞きたいことを聞いてしまうのが」


 不思議な性向だと思った。けれどもその頃には、俺と女の子はだいぶ仲良くなっていた(本題を切り出すまでには、本当に長い時間が掛かったのだ)。2人で車に乗って出かけ、何度か寝た。


 その女の子は、外食先を選ぶ時も見たい映画を選ぶ時も、その性向を貫いていた。

 時間の限られた場面では彼女の希望が最後まで分からず、大凡おおよそこの辺だろうと手を打つことも多かった。


 キレイで明るい子だったし、望めば恋人同士になることが出来たと今でも思っている。

 けれども俺は結局、精度の低いレーダーを頼りに夜の空を飛ぶような選択と緊張がいつでも顔を出すのに最後まで慣れることができなかった。


 俺は自然消滅的に彼女との関係を解消した。




 デオのちょっとした様子が俺に思い出させたのは、そんな懐かしい違和感だった。


 デオが言った。

「どうしたの? 顔がニヤついてるけど」

「え。そんなことないよ」

 俺は顔をゴシゴシとこすった。

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