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俺は仕方なく、その後も寝てるんだか起きてるんだかよくわからないデオをホテルまで引きずっていき、デオが借りた部屋に放り込んだ。
ドアを閉めるときだけちゃんと起こして、俺が出て行った後ですぐ鍵を掛けるように言い、その音がしたのを確かめてから自分の部屋に引き上げた。
窓を網戸にし、自分で巻いて持ち歩いていたタバコに一本だけ火を点けて喫った。それはさっきの、不思議な味のしたデオのタバコを思い出させるばかりで、妙に味気なく感じた。
俺は靴と上着を脱ぎ、そのままベッドに横になった。そうだ、そういえばこの靴のおかげで愉快な思いができたのだっけか。
大陸の真ん中の、長い道の途中にある町は夜になると何の物音もしない。無音を聞きながら、俺はそのうちに眠ってしまった。
だからその晩に、俺は自分の部屋に入り込んだ者があったのに気がつかなかった。
窓枠もドアの鍵も、どんなに小さな音も、どんなに小さな動きもしなかった。
空侵入者は、小さく呟いたときにはただ、もう部屋の中にいたのだ。
「⋯⋯秘密だ。パパにもママにも友達にも言わないこと。どこかで悪魔が聞いているかもしれない⋯⋯」
床には、部屋の中に忍び込むわずかな光をそっと掴んでいるような靴が置きっ放しになっている。
「まったく、言ってくれちゃうわ」
それから侵入者は、また何の音もさせずに、ただただその部屋からいなくなった。
翌朝目を覚ました俺は、覚悟していた二日酔いの気配が全くないことに気がついて驚いた。これもデオのいう食べ合わせの問題なのだろうか。
腕時計もつけっぱなしで眠ってしまったらしい。それを見ると、まだ随分早い時間だった。
もう一度眠ってしまおうかと思ったが、あまりに頭がシャッキリと目覚めてしまっていたので、シャワーを浴びて散歩に出ることにした。
この町の朝は早いようだ。街道の端はすでに、パラソルを開いた屋台や露店がひしめき合っている。
色とりどりの果物や野菜が並び、料理を蒸す蒸気や、肉を焼くいい匂いの煙が道の上をゆっくりと漂っていた。
町の外から吹く青草の雫を含んだ風が、それらの匂いをゆっくりと攪拌しながら、一枚の透明な風呂敷に包んでるどこかへ持ち去っていくようだった。
けれども人々の活気は、次から次へと湧き上がってきては路上を満たす。健康そうに日焼けした薄着の子供達が、何人かずつまとまって街道を走り抜けていく。
今日の日の下で、目を覚ました人々と目を覚ました町だ。
俺は車の様子を見に行った。錆びた吊るし上げ看板の車のボディーは、爽やかな朝日を浴びながらもさすがに陰鬱な影を含んでいる。
その下のガレージには相変わらず人気がない。経営者のファミリーは、予定通りに長いバカンスを楽しんでいるらしい。
いや、正確な予定というものがあるのかどうかも分からない。
敷地の中に停まった「陽気なおっさん号」は昨日と同じ場所にあってピクリとも動いていない。
しかし、そのボンネットを開けて上半身を突っ込んでいる人影があった。一瞬ハッとしたが、それは袖のないシャツ姿のデオだった。
俺は歩み寄って声をかけた。
「おはよう。どうだい、直りそうかい」
もちろん冗談でそう聞いてみただけだ。彼女が調子の悪い車を修理してしまえるとは思っちゃいない。
彼女は夢中になっていじっていた機械から顔を上げた。何を覗き込んでいたのかと不思議に思ったが、デオはしっかりと軍手を汚し、地面には何本かの工具が置かれていた。
「あら おはよう。解ったわよ。これならわたしにでも修理できるわ! あなたラッキーよ」
俺は驚いた。そういえば、彼女は車のキーなしにどうやってボンネットを開けてしまったのだろう。
「なあ、俺はうっかり車の鍵を掛け忘れてたのかな」
彼女は腕で汗を拭い、不思議そうな顔をした。
「何言ってるの? 夜中のうちに貸してもらったじゃない。明日の朝様子を見てみるからって」
俺にはまったく、そのような記憶はなかった。俺の顔を見てデオは続けた。
「あらあら、飲みすぎて記憶が混乱した?」
いや、飲みすぎて使い物にならなくなっていたのはイデオナの方だったじゃないか。それは改めて記憶を掬ってみるまでもなく、俺がハッキリと覚えていることだった。
あるいは、俺が前後を作り変えてしまうくらい器用な記憶違いをしているのだろうか。なんだか自信がなくなってきた。
「そう⋯⋯だったっけか」
「そう。そうよ」
やはりどうも、自分の記憶が信用できない方であるような気がした。




