15
「オッケー。止めて」
デオの言う通りエンジンを切り、俺もボンネットの方へ回った。
考えてみれば、俺は「陽気なおっさん号」のボンネットの中を始めてみる。
古い時代の機械だ。余計なカバーはなく部品はほとんど丸出し。細かい隙間には、長い間の煤が積もって黒くなっていた。
デオはエンジンとタイイヤハウスの出っ張りの間あたりを指差した。
「この辺ね」
「それで?」
「⋯⋯それ以上は何もわからないわよ」
まあ、そんなところだろう。エンジンはV型6気筒。デオの指差した辺りには、吸排気の管が一本のルートに集められている。
その場所に金属の地肌をした殻が被せられていて、一塊りの部品を覆っている。ターボだ。それを吟味して俺は言った。
「ふーん。もし調子が良ければ、なかなかおもしろいエンジンだったのかもしれない」
「直せば今でもよく回るんじゃないの?」
「いや古いからなあ。新品だった頃には敵わないだろ」
「ふうん⋯⋯」
俺はボンネットを閉じた。さて、どうしたもんか。
⋯⋯そう簡単にダメになりはしないわよ。シラードのエンジンはね⋯⋯
「俺はとりあえず、今夜ここに宿を⋯⋯どうした?」
デオの顔に、不思議な考え事をしているような表情が見えた。気のせいかもしれない。
「ううん、なんでもない。わたしもここに泊まるわ。先を急ぐわけでもないし、車が直るのかも気になるしね」
俺としては、すぐに他の車を拾えばいいんじゃないかとも思った。けれども彼女は、自分で言う以上に礼儀正しいのかもしれない。あるいは慈悲深いとか、もしかして御節介とか。
俺たちはホテルの別の階にそれぞれ部屋を取った。ホテルの駐車場は満杯だったので、車は先の修理工場の敷地に置かせてもらうことにした。まあ勝手にというわけだが、別に誰が迷惑するという話でもないだろう。
俺が部屋の窓を開けてのんびりとタバコを巻いていると、ドアをノックする音がした。
「開いてますよ。どうぞ」
うっかり日本語で応える。久しぶりに、一日中馴染みの言葉でお喋りをしていたせいかもしれない。ドアに向かって立ち上がりかけると、それは外から開いた。
立っていたのはイデオナだった。上着が薄いシャツに変わっていた。物騒なホルスターのベルトもなくなっている。
「食事にでも誘おうかと思って」
部屋と照明の形の関係で、彼女の胸から腰の高さまでだけが光に切り取られていた。シャツの下には昼間と同じインナーシャツを着ている。
その胸元には、金のプリントで緻密な頭蓋骨が付いていた。それはヒトのものではなく、角を生やした草食動物のものであった。俺は言った。
「いいね、ちょっと待ってて。今夜喫うタバコだけ巻いちゃうからさ」
俺は袋の中の葉を指でつまみ、作業を続けた。デオはドアを閉めて部屋の中に入ってくると、机の上を覗き込んだ。そこにはタバコの葉とペーパーと、それから使い慣れたアルミのカップに注いだウィスキーが置いてあった。
「バック、あなた飲める方なの?」
それが、デオが勝手に付けた自分の呼び名だということを思い出すのに一瞬の間が掛かった。
「いやまあ、嗜む程度さ」
「ワインは?」
「好きだよ」
デオはアルミのカップを取って一口飲んだ。俺は聞いた。
「お、いけるクチかい」
「どうかな。まあね」
「ふうん⋯⋯」
俺は5本だけ巻いたタバコをシガレットケースに挟んでポケットに入れた。
「で、なに食う?」
「近くに美味しい羊を出す店があるんだって。ねえ、行ってみない?」
俺は小さく溜息をついた。デオはそれを見て小さく首を傾げた。まったく、これ以上我慢してもいいことはなさそうだ。
「白状する。羊の肉、ホントは苦手なんだ」
デオは驚いた様子もなく、深く頷いた。
「そうじゃないかとね、思ったのよ。⋯⋯昔の有名なシェフがこう言ったわ。『嫌いになるのはその食べ物との出会いが不幸だっただけだ』ってね。あなたきっと、ホントに美味しいのを食べたことがないだけなのよ。ね、奢るからちょっと付き合ってみてくれない?」
いつもなら、そんなことは御免だと思う。けれどもデオの言うことには不思議な説得力のようなものが感じられた。ひょっとして、何かの魔術に拐かされてるのかもしれない。
けれどもまあ、たまにはそういうのもいいだろう。そこで俺は、一つの「まさか」を感じた。
「もしかしてその服の柄、羊の頭蓋骨だったりして」
デオはインナーの胸のあたりを引っ張った。
「そう! あなた、なかなか勘がいいんじゃないの?」
「どうかな。あんまりそれが役に立った憶えはないけど」
「そういうもんよ。きっとね」
一体どういうものなんだろう。とにかく俺は、羊との決着を付けに出かけることになった。




