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一人で長い時間過ごしていてから急に人の相手をすると言うのは、神経の切り替えに少しばかりエネルギーを使う。
加えて相手は、荒地の真ん中に突っ立っていた女だ。脇には拳銃型のライターを持っている。背は女性の中ではいくらか高い方だろう。
東洋人のようで、少なくとも日本語には習熟している。女は行き先の大まかな方向だけを確認し、それからタバコの喫える車かどうかを聞いた。
これだけで何が分かるかというと、つまりそれとは逆の要素を持った人間ではないということが分かる。
男ではなく、銃器を使って金品を巻き上げる強盗ではなく、喫煙者で、⋯⋯俺が見つけた時には身辺の状況が不自然だったということだ。女は今、例のライターで火をつけたタバコを喫っている。俺は女に訊いた。
「なあ、あんな荒地の真ん中で、一体「わたしの名前はイデオナ。よろしく!」
女は俺が言ってることを無視して名乗った。それから、サイドブレーキの真上あたりに右手を差し出した。その手は相手を求めて軽く開かれている。
俺は仕方なく左手でハンドルを抑え、右手でイデオナと言った女の手を取った。
「コバ・クニオだ。よろしく」
イデオナは手に力を込めて、上下に軽く揺すってから放した。張りと芯の感じられる手だった。ヒヤリと冷たい。
⋯⋯いや、俺の方が血が巡りすぎているだけかもしれない。ついさっき心臓が散々跳ね回っていたことを思い出した。
「『バック』ね」
「⋯⋯なにが?」
「あなたの呼び名よ」
俺は今まで、そんな風に呼ばれてきたことはなかった。まあ、なんでもいい。
「イデオナってのは珍しい名前だな」
少なくとも日系・中華系ではないと思う。
「『デオ』って呼んで」
「うん? ああ、よろしくなデオ」
「ええ、よろしくね。バック」
デオとバック。まるで強盗コンビだ。パンプキンとハニーバニーみたいに。
「⋯⋯目的地は、どこなんだい?」
「とりあえずはこっちの方でいいの。ずっと先の方だから」
「⋯⋯ふうん」
話が止むと、ブルーズと風とタイヤの音が空気を震わせた。自分よりも彼らの方がよっぽど雄弁なように思えた。俺だけが、何かリズムのようなものを掴み損ねているような気がした。
一人で車を運転している長い間、俺は一体何を考えていたんだろう。今ではそれが思い出せなかった。
イデオナと名乗ったその女は、隣で煙草を喫っている。ときどき灰皿に手を伸ばし、火口を静かに擦って灰を落とした。
彼女は何か考え事をしているようにも見えたし、あるいは何も考えていないようにも見えた。
俺は今までに出会った女の中に、このイデオナという女に似たような雰囲気の人間がいたかどうかを思い出そうとした。
背格好が近い者は何人かいた。寝た女もいた。けれどもこんな風に、どことなく落ち着かない気分にさせられるようなことはなかったと思う。
隣に座っているのは、ほっそりとして背の高い女の格好をした、何か全然別のもののような気さえした。
イデオナはだいぶ短くなるまで煙草を喫ってから、それを静かに確実に灰皿に擦り付けて火を消し、そしてパタンと灰皿を閉じた。
上着を着たままの腕を組み、ただ静かにシートに座っていた。
自分の車とは別のエンジンの音が、自分の車の立てている音の間に小さく聞こえた。
ルームミラーを見ると、一台のピックアップトラックが「陽気なおっさん号」の後ろを走っていた。その距離はジリジリと詰まっている。
俺は道の端一杯に詰めて走り、窓から手を出して先に行くように促し、ほんの少しだけスピードを落とした。トラックはスピードを上げて横を通り過ぎた。
景色はしばらくの間膜がかかったように白んだが、二台の車が離れていくと元に戻った。土埃は風に吹き流されている。
「この車、もしかしてあんまり調子が良くないの?」
デオが簡潔に聞いた。
「そう。次の町に行って修理で診せようと思ってる。無理させなきゃ、それまでは保つだろう」
「長い間乗ってるの?」
「いや、今日で⋯⋯4日目か? 貰い物なんだよ。出発した町の車屋はちょうど店仕舞いをするところで、売り物はほとんど残ってなかった。常連客の一人がこの車をくれたんだ」
俺はガレージで酒を飲んでいたオッサン達のことを思い出した。
「そこにいたのは陽気なオッサン達だったよ」
デオは満足そうに頷いた。
「そう。よかったわね」
そう。とてもよかったのだ。




