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人々はその歴史の中で悪魔という存在と歩みを共にし(出会ったのか、創り出したのかは分からない)、それに様々な顔形を与え、物語をこしらえた。
その伝播はヒトリアルキの生易しい範疇を超え、今や荒唐無稽、形骸化して、創作に想像、伝説やホラ話として世の中に染み込んでいる。
まるで壁紙にタバコの油脂が少しずつ付着していくように⋯⋯なんていうのが、個人的にはシックリくる感覚だ。
だから今更も今更の話だが、ある男がこう言ったとする。
「俺は、悪魔に会ったことがあるよ」
男の言うことに、あなたは耳を傾けたいと思うだろうか。この物語はとどのつまり、そういった話だ。
もっとも優れた小説作品の一つに、俺はスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビィ」を上げる。その物語はたしか、語り部であるニック・キャラウェイ氏の自己紹介で始まっていたはずだ。
差し出がましくなく、人の話をよく聞くように育てられたため、人生において実に色々な人物が彼の元を訪れ、空っぽのゴミ箱に物を投げ入れるように様々な打ち明け話をしていったとか、まぁ云々⋯⋯。
物語を伝えようと思った時、その出だしの部分というのは、語る方としてはやり方に迷うものだ。全ての作品を「昔々、あるところに⋯⋯」と言って始めるわけにはいかない。
だから俺も、先の作品に倣って自己紹介から話を始めようかと思う。この物語が偉大なもになるだろう⋯⋯とか、なにもそんなことを示唆するわけではない。ただ単に、取っ掛かりが欲しいだけだ。そう、トッカカリ。
簡潔にいこう。「器用貧乏」という言葉がある。数多の知的・技術的財産をその身に保有しながら、そのどれもが二流、三流品という意味の言葉だ。「凡人」よりも優れるところではあるが、あまり良い意味では使われない言葉だ。まさしくそれ! という人物を想像して欲しい。それが俺だ。
歳は30の前後らしい。性別は男。そのような男が身につける、典型的な一つの才能がある。平均より少しばかり、楽観的に物事にあたるという癖のようなものだ。まあ、それで面倒に巻き込まれることも、ちょっとした運を拾うことも、どちらもある。
大学を出てからは転々と仕事を変えていた。なぜなら少しばかり楽観的な性格だからだ(その頃からすでに、ね)。それ以外の理屈はあとから付いてくるだけで大した意味はない。ある種のカニがハサミに生やしている茶色い苔のようなものだ。大した意味はないんだ。
その取っ替え引っ替えの会社の最後の一つは俺に海外での勤務を命じ、現地での仕事が板についてきたと思った矢先に倒産した。倒産にもヒドいものからマシなものまでランクがある。俺のいた会社のそれは、かなりマシな方だったらしい。一応の生活費は残った。
任せっきりにしていたビザやら何やらが、法規的にどのような位置にあるものなのかはよく分からない。
けれどもとにかく会社が連絡係として紹介してきた弁護士の言うところでは、のんびり日本に帰っていけば大丈夫だし、それからいくつかの事務的な手続きを経れば、また普通の市民生活ができるということだった。
「普通の市民生活」⋯⋯実に非実態的なところがいい。少しばかり楽観的な俺に言わせた場合には、ということだけど。
俺は会社が用意していたアパートを引き払わねばならなかった。しかしそれも、胸を締め付けるような出来事ではない。狭いし、よく停電したし、隣が安酒場なので夜中までうるさかった。
そんなものとオサラバをするだけだ。何の未練がある。清々しいくらいだ。野良犬がうろつき、ファミリーレストランもない片田舎の小さな町。石造りの安ビルと屋台のパラソル、さらば片時の我が町。
ってなところか。
倒産の話は突然降って湧いたわけでもなく、いくらか前から内々では着実に進んでいたことだ。俺にはアパートを出てからやってみようと思っていることがあった。といってもまあ、ほとんどただのオモイツキなのだけど。
それは中古車を買って大陸を走り回るということだった。何の予定もなく、何日もかけて。こんなことはいつ誰でもおいそれと実行できるものじゃない。
退職やアパートの引き払いに関する瑣末な手続きが一応のひと段落を迎えたある日の夕方、俺は町の中古車ガレージに出かけた。旅のための手頃な車を物色するためだ。
自動車に関する知識は、これも俺のライフ・テーマに沿って中の上といったいったところだろう。電子切り替えの四駆システムにいくつかの種類があることは知っているが、それぞれを分解した部品の一つひとつがどんな形と役割をしているのかは知らない。そんなところだ。
今までに二台の中古車を買ったことがある。そのささやかな経験が示すところでは、中古車を選ぶなんていうのはハッキリ言って、徒労に近い疲労だった(目的が達成することは達成する。まったくの無駄ではない)。
いつもいつも、予算の内ではどんな車もイマイチ決め手に欠けるのだ。けれどもそれは、きっと予算の方に問題を抱えているためだろう。俺は車の性能の内で一番に、「安く買える」というのを望んでしまう。それは立派な性能の一つだと、ある自動車評論家が言っていたことなのだ。
しかし今回に限って言えば、その選択に迷う余地はなかった。