chapter 1-3
家に入ってすぐのところにあった地下へと続く階段を降り、僕とイールさんは薄暗い地下室へ足を踏み入れる。奥へ進むたび、家外から入る光は届かなくなり、周りはどんどん暗く陰り、見えなくなっていく。
だけど、景色は見えなくても音は聞こえる。男の興奮したような、荒い息遣いが部屋の中には響いていた。その不快で気持ち悪い音に、僕らはだんだんと近づいていく。
と、イールさんがパチンと指を鳴らした。その摩擦に反応したように、ぱちっと指先が光り、部屋の中を照らした。
部屋の壁一面に飾られた、美しいドレスに身を包んだ少女の人形、人形、人形。床にもたくさんの人形が転がり、そのどれもがそこだけ手入れの行き届いたような不自然なほど綺麗なブロンドの髪を持っていた。
自然と背筋が凍るような、異様な光景の真ん中に置かれたベッドの上に、キーリくんを握り締めた手を背中から生やしたままの男が覆いかぶさっている。その男に組み敷かれていたのは、キーリくんより少し幼い、薄いブロンドの綺麗な髪を、ツインテールに結んだ、少女。
……嘘、だろ?
そう驚くのも一瞬。認識したその瞬間に、僕の感情はすぐに別のもので塗り替えられた。
「時魔法“一時停止”!」
僕は間髪入れずに自分の得物である三日月型の杖を男へ振りかざすと、魔法を込めた緑の閃光を発射する。僕の詠唱に男はようやく侵入されたことに気付いて反応したけど、それよりも先に時魔法が男に炸裂し、男は体が固まったかのように動きを止めた。
「き、キサマァァァあ!まだじゃゃゃまするかぁぁアア!!」
体は動かせないものの、口だけは動かせる男は恨めしそうに僕に吐き捨てる。が、それを僕にいうのか?
正直、僕の方が君より怒ってるよ。
僕は男に近づくと、杖を振り上げた。
「時魔法“切り取り”!」
そう杖を振り下ろし、男の背中の腕を手首あたりで切断するように切り裂くと、フッ、とキーリくんを掴んだ手がキーリくんごと消える。
「ガッ!!」
空間を切り取る強い力で無理やり手をちぎられた痛みに、男が悶絶した。僕はそのまま下ろした杖をバトンのようにくるくる回すと、後ろで見ているイールさんの隣の空間にびし、と先端を向ける。
「“貼り付け”!」
そう唱えると僕が杖で示した先にフォン、と先程切り取ったキーリくんを握る手が現れる。すかさずイールさんが鞭を取り出ししならせ、その手にビシリと一撃を与えるとそこからボロボロと手が崩れていきようやくキーリくんが解放される。
「お前オマエおまえェェェェええぇ!!よクもじょょうものヲぉおおをぉぉ!!」
激しい痛みに僕の魔法による拘束が解けたのか、男は咆哮をあげながらちぎれた背中の黒ヘドロの腕をぼこぼこと再生させ新しい手を形成する。そして、その手をぐっと広げ僕を掴むように指先に力を込めると、鋭い爪を鉄砲玉のように飛ばしてきた。
「時魔法“コマ送り”!」
僕は杖を横一文字になるように両手で握ると前に突き出し、防御の構えを取る。
爪が杖が作り出した擬似的な盾に触れた瞬間、フッと僕の背後に瞬間移動しカランと落ち崩れる。僕に当たる前に、僕を貫いた後の時間まで飛ばしてやったのだ。当然、僕に当たった時間は飛ばしたので無傷だ。
「コシャャクナァァアァああ!!!」
激昂する男は、今度はキーリ君を襲った時のように背中の大きな腕をぐわっと僕に伸ばしてくる。僕は杖の構えを変えずに、唱える呪文だけを変えた。
「時魔法“反転”!」
そう唱えると、擬似盾に触れた腕がぐにゃりと曲がり男に向きを変える。それを確認すると、僕は杖を再び片手に持ち替えて、方向転換したばかりの手に杖先を向け魔法を放つ。
「“早送り”!」
すると魔法が当たった腕が、男めがけて加速する。
「ナッ……!!」
などと驚いたところでもう手遅れ。男の腕の圧倒的な速さの鋭い突きが、男自身を貫いた。
「ギャャャャャアあぁァァァ!!!」
耳をつんざくような悲鳴とヘドロ塊を吐きながら、男の体が崩れていく。ザァァと黒い影を散らしていきながら、その中からことん、と黄色い宝石のような石を落として、男は跡形もなく消えていった。
「おお、おお。時魔法は相変わらず強いこったね」
そう手をパンパンと叩き心のあまりこもっていない拍手をしながら、イールさんがゆっくりと僕へ近づく。そして足元に残った宝石を拾い上げると、複雑そうに顔をしかめた。
「こいつは金髪の精巧な作りの人形を集めていた人形収集家だったんだねえ」
その宝石の輝きの中に嫌なものを見つけたかのように、イールさんは軽蔑の眼差しを宝石に向ける。
「だけど、こいつが好きなのは人形じゃなく金髪の少女だった。だからそれを模した人形を集めることでその欲を抑えていたけれど、当然というか、次第に人形じゃ物足りなくなってきて、本物の金髪の少女を収集したい欲に駆られた。んで、夢の中ならやってもいいだろってことで暴走したんだろうねえ」
そうイールさんは大きくため息をつくと、そのまま宝石を力任せに握り潰してパリンと砕いた。
「行き過ぎた欲望は悪意になり、そしてナイトメアになる。今こいつの秘めたる欲望を砕いてやった。次に夢の世界に来たときは、ただの人形好きの男になってるはずさ」
さらさらと粉状に細かくなった宝石を手から溢しながら、イールさんはやれやれと首を振り、そして僕を見た。
「じゃ、家に戻るよ坊や。あたしはキーリを運ぶから、坊やはその子をおぶってついてきな」
イールさんがベッドに力なく横たわる少女を指差しながら僕にそう指示を出す。僕はそれに素直に従って、少女をゆっくり起こして背中に背負うと、同じようにぐったりした様子のキーリくんをおぶったイールさんの後を追ってイールさんの家に戻った。
*
イールさんの家に戻ると、イールさんが言った通りに僕はおぶった少女をソファに寝かせた。それとは反対にイールさんはキーリくんを乱暴に床に転がしてから、奥のキッチンに向かいゴソゴソと何かを取り出すとすぐに戻ってくる。
何かのエキスが入った二本の小瓶のうち、片方の蓋をキュポンと開け、床に仰向けで転がしたままのキーリくんの口を狙って、雑に中身をタポタポとかける。
「が、がぼぼっ」
液体を乱暴に飲まされて少し溺れたような声を出しながら、キーリくんはハッと目を開けると飛び起きた。
「お師さん、手が!!」
「おはようお弟子。もうそれは終わったよ」
呆れたようにいうイールさんの言葉に、キーリくんはキョロキョロと辺りを見回す。そしてここがあの男の家ではなくイールさんの家だということに気づくと、ついでに自分の顔がイールさんにかけられた液体でベタベタしていることにも気づく。
「お師さん!また花の蜜!!もっと丁寧に飲ませてくださいよ!!」
「だってあんた起きないんだもんー。起きないお弟子が悪いさね」
わあわあと抗議の声を上げるキーリくんを軽くあしらいながら、イールさんはもう一本の同じ小瓶を僕に渡した。
「これはあたしの魔法で育てたバラを蜜を、お弟子の光魔法を込めて煮詰めた特効薬だよ。これをその子に飲ませればすぐに目を覚ます」
説明を聞きながら僕は小瓶を受け取ると、すぐにキュポンと蓋を開ける。そしてソファで眠る少女の頭を軽く起こしてやり、呼吸をするために薄く開けられている口元に瓶の口を優しく当てて飲ませてあげた。
こくん、と少女の喉が動き、薬を飲み込んだ。すると、ゆっくりと少女はまぶたを開き、僕と同じような緑に澄んだ瞳が現れる。
「あれ……兄上……?」
「イブニー!無事でよかった!」
呆けた顔の僕の妹を、僕は思いっきり抱きしめた。
イブニーは今の状況をよく飲み込めていないようでしばらくぼうっとしていたが、だんだんと自分の状態が整理できたのか急に大声を上げた。
「兄上ッ!兄上の方こそ無事ですかッ!」
イブニーは必死の形相で僕を掴むと、小さい子供とは思えない力で僕をガクガクと揺さぶる。
「あの時、私は兄上を庇って……!兄上を守って……!そうしたらここに……でも、兄上がここにいるってことは、私は……」
イブニーの顔が段々と青ざめていく。彼女が何が言いたいかはわかったので、僕は安心させるように口を開く。
「大丈夫だよ、ここは夢の世界。僕らは今夢を見てるだけだ」
「夢……?」
キョトンとするイブニーに、イールさんがニコニコと近づくと笑いかける。
「そ!ここはあたしが管理する夢の世界。現実世界で眠り夢を見る時、みんなこの世界にやってくるのさ。って、ここら辺はあたしの弟子が説明してるはずなんだけどねえ」
と、チラリとイールさんは顔を濡タオルで拭くキーリくんに刺々しい視線を向ける。キーリくんもその気配を察して、びくりと肩を跳ねらせた。
「い、いや、あの時は色々と住人の方が問題起こして案内しかできなくて……」
しどろもどろと言い訳をするキーリくんからずっと視線を戻して、イールさんはイブニーに説明を続ける。
「あんた達は今、深い眠りについている。それは自然に覚めることがない、呪いにも似たものだ。だから目覚めるために、あんた達はこの夢の世界から抜け出さないといけない」
すとん、とソファに座り、イブニーの頭を撫でながらイールさんは薄く笑った。
「お嬢ちゃん、あんたがお兄さんを導くんだよ」
その言葉に、僕もイブニーも驚く。
そうか、イールさんが言っていた案内人は、イブニーのことだったのか……。
イブニーもイブニーで今の言葉に何かを感じ取ったようで、静かに俯くと確認するかのように小さく呟いた。
「そうなんですね、それが、私の役目……」
そう伏した瞳は、僕よりもずっと大人びていて、遠い先を見ているかのように感じた。
「でも、抜け出すと言ってもどこに行けばいいんですか?」
僕はイブニーからイールさんに顔を戻すと、そう質問する。案内人を見つけたのはいいけれど、この先はどこに向かえばいいのかはわからなかった。クロッカから出ることは間違い無いだろうけど、出た後に進むべき場所は、今の段階ではさっぱり見当もつかなかった。
僕のそんな思考を見透かすかのように、イールさんはニッコリ笑うと、す、とイブニーを指差す。
「大丈夫さ。お嬢ちゃんが導くから」
僕がもう一度驚いた顔をすると、その反応にイールさんはどこか満足気な表情になった。
「お嬢ちゃんが役割を自覚した今、お嬢ちゃんにはその力が宿った。あとは、その導きに従うだけさね」
ニシシと笑うイールさんが座るソファの後ろに、漸く顔を拭き終わったキーリくんが来ると、そのままイールさんにのしかかる勢いで背もたれから身を乗り出す。
「お師さん、この人達もしかして住人予定の人じゃなかったんですか!?」
キーリくんの驚きっぷりに、思わずぽかんと呆けるイールさんだったけど、すぐにああ、とキーリくんの反応に合点がいったようで少し馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ああ、今頃気づいたのかい。まあ言ってなかったからねえ」
ヘラヘラとするイールさんに、キーリくんは「そういう大事なことは先に言ってください!!」とプリプリし出す。そんな彼の気持ちもわからなくもないなあ、と思いながら、僕はイブニーにソファから立ち上がるように促し、小競り合いを続けるイールさんとキーリくんの二人に改めて頭を下げる。
「イールさん、キーリくん、ありがとうございました」
僕の礼の言葉に二人は争いをやめると、同じように姿勢を正して僕ら兄妹をまっすぐ見つめた。
「あたしはこの世界を守るため離れられない。だから、坊や達が代わりに救っておくれ」
イールさんもソファから立ち上がり、ゆっくり僕らの前に立つと、ぽん、と手を片手ずつ僕らの頭に優しく乗せた。
「しっかりおやり」
そう背中を押され、僕らはいよいよ旅立ちの時を迎えた。
ととと、とイブニーがイールさんの家のドアに手をかける。目を閉じてドアノブに力を込めてからそっとドアを開けると、ドアの先にあの空白の喫茶店でこの世界に来たときのような、白い光に包まれた世界が広がっていた。
「兄上、いきましょう!」
「うん」
イブニーの声に僕は力強く返事を返して、後ろで僕らを見送るイールさんとキーリくんに振り返る。
「それじゃあ、行ってきます!」
「お気をつけてー!!」
キーリくんはそう言いながら僕らに大きく手を振る。イールさんは何も言わなかったけれど、優しい顔で小さく手を振る。
二人の見送りをしっかりと目に焼き付けてから、僕はドアの外へと再び視線を戻し、イブニーと共に光の世界へと足を踏み出した。
「ところでお師さん、ボク、あの男になんで拐われたんですか?」
「ん?ああ、あの男は金髪の子供が好きだったんだ、だからだよ」
「もしかして、少女って言われたこと気にしてんのかい?」
「ボク、少女なのかな」
「さあ、どうだろうねえ。あんたが思う方でいいんじゃないのかい?それがこの世界でのあんただからね」
「そんなもんだよ、この夢の世界ってのは」