chapter1-1
カランカランとドアベルがなる。
この喫茶店に、また別の誰かが来たようだ。
「うふふ、来たわね」
フランさんがそう微笑むので、僕も振り向いて来客の姿を確認する。
そこには桜色のフワッと跳ねた髪をうなじ付近で一つに束ねた、モノクルをつけた女性が立っていた。
蛇のような真っ赤な瞳を見開いて、楽しそうに口角を吊り上げている。
──この人が僕を導いてくれる人なんだろうか?
「やあやあマスター。例の子はその子かい?」
女性は楽しげにフランさんに手を振ると、僕の横の空いた椅子にどかっと腰をかける。
「いらっしゃい花の魔女。そうよ、その子をお願いするわ」
フランさんはすぐさま棚から赤いボトルを取り出しグラスに注ぐ。
特に注文もなく注がれたボトルは、いわゆる取り置きのマイボトル、というところだろうか。ああ、この人はここの常連客なんだろうな。
僕がまじまじと女性を見つめていると、女性はニカっと笑いながら僕に手をヒラヒラと振る。
「あの、貴女が僕を導いてくれるんですか」
「ん?違うけど」
バッサリと否定され僕はポカンとする。
女性はそんな僕を見てクックッと喉をならして笑った。
「導きはしないけど、迎えには来た、って感じかねえ?」
「はあ……」
僕が反応に困っていると、再びその様子を見て女性はまた楽しそうに笑う。
「相変わらず性格悪いババアだな」
と、一連の流れを見て、ナッちゃんさんが吐き捨てた。
すぐさま女性はナッちゃんさんの方を振り向く。
「ナッちゃんじゃないのさ!いつもはあたしが来ると出てこないのに!相変わらず口も目付きも態度も悪いねえー!」
女性は嬉しそうに笑いながらナッちゃんさんに手を振るが、ナッちゃんさんは「ケッ」と一瞥するとカウンターの奥へ引っ込んでしまった。
「おや、相変わらずつれないねえ」
女性は残念そうに口を尖らせる。と、フランさんがボトルの中身を注いだグラスをテーブルへ運んできた。女性の前にグラスを置くと、僕と女性の向い側の空いた椅子にそのまま腰かける。
「世間話はほどほどにして、そろそろ本題に入りましょうよ。ナイトくんが困っちゃってるわ」
あれ、そういえば。
「あの、僕、名乗りましたっけ」
「ん?ああ、いいのよわかるから。アタシはなんでも知ってるのよ?だから今更自己紹介なんかいらないわ!」
フランさんはニッコリと笑う。なんでも知っているという言葉が気にはなったけど、不思議とこの人ならそうなんだろうという気がして納得した。
そんな僕の様子を気にも留めずに、フランさんは改めて本題を切り出す。
「まず彼女の紹介から。彼女はイール。花と夢を司る魔女よ」
イールさんはフランさんに紹介されると、最初に僕にしたように、再び手をヒラヒラ振って軽く挨拶をする。
「次に状況のおさらいね。今、貴方は精神と肉体を分離された状態よ。それをやったのはアタシ。で、ここは夢の世界。厳密にはこれから夢の世界に入るわけなのだけれど、その夢の世界を管理しているのがイールなのよ」
フランさんが先程よりもう少し詳しく説明してくれた。
まず、さっきはナッちゃんさんがここは夢の中だと言っていたが、厳密にはこの喫茶店は夢の世界ではないらしい。
ここは全ての世界から断絶された、空白の場所。時空も空間も完全に独立した場所で、他の世界からの干渉も受けなければ、その逆も起こらない。
そしてこの場所は全てフランさんの思うがままにできる。だから僕の精神だけをこの場所に繋ぎ止めることもできたのだと言う。でも、彼にできるのはそこまでで、僕をここから外に出すのはできないそうだ。
そこで、イールさんの力が必要だった。
イールさんは、僕らの世界の夢の管理人らしい。僕らは夢を見るときは、必ずイールさんの管轄の夢の世界にいるんだそうだ。
その夢の世界と、この喫茶店を一時的に繋げる。そうして僕を夢の世界に送り込むのだという。
「ま、夢の世界に入ったらあとはあんた次第さね。あたしが面倒見るのは夢の世界に招くところまでさ」
イールさんは目の前のグラスに手をかけ、グビリと飲み干す。
「で、準備はできたかい?坊や」
イールさんがイタズラっぽく僕に聞いてくる。僕もフランさんが入れてくれた、ジュースを一気に飲み干して空のグラスをテーブルに増やす。
「僕を待っている人たちが、僕の力が必要な人たちがいるんでしょう。なら、とっくに準備は出来ています」
「……何も言われていないのにそこまでわかるとは、時の鷲獣の称号は伊達じゃあないね。なら、早速行くよ」
イールさんは僕の答えに満足気に頷くと、席を立ち喫茶店の入口へと向かう。
僕はフランさんを見る。フランさんは「いってらっしゃい」と微笑みながら手を振って僕を送り出す。
イールさんがドアを開けると、再びカランとドアベルが鳴る。
「さ、行こうじゃないか。坊やの夢に、幸せがあらんことを」
イールさんが先に外に出ていく。僕も後に続いて外に足を踏み出した。
途端、周りがぶわっと明るく光る。一瞬にして喫茶店は光に包まれ白く消えて行く。まぶしい、とても目を開けていられない。
カツ、カツと前に進んでいくイールさんのヒールの音だけが響く。僕は目をしぼめながらも、置いていかれないように慌てて音を追いかける。
そうやってしばらく歩き続けると、だんだんと光が弱くなっていき、目を開けられるようになる頃には周りの風景がガラッと変わっていた。
石畳の通路に、レンガ造りの建物が連なる。
通路の奥には高い建物。あれは、時計塔だろうか?
僕が辺りを確認していると、イールさんはくるりと振り向き、街を紹介するかのように手を広げた。
「ようこそ、あたしの夢の世界、夢の中のクロッカ王国へ!」
*
「お帰りなさいお師さん!」
僕はイールさんに案内され、街から外れた郊外の林の中にポツリと立つ、トンガリ屋根のレンガ造りの小さな家に入った。
ここはどうやら、イールさんの家のようだ。
「はいはい、お弟子。変わったことはなかったかい?」
家につくなり、僕よりもう少し歳の小さそうな少年がイールさんを出迎えた。
「三丁目のジョンお爺さんが、またシラバス公園で鳩を解き放って、鳩のフンまみれにしていました」
「またかい!あの人はいい加減マジシャンの夢から離れてほしいんだけどねえ」
イールさんは苦笑しながら、部屋の奥にある書棚へ向かっていった。僕はどうしていいかわからないまま、玄関に立ち尽くす。
「あの、どうぞソファーにでも座ってください」
弟子くんが気を利かせてくれたのか、僕にソファーを勧めてくれた。僕は言葉に甘えてソファーに座らせてもらうことにする。
「しばらくお待ちくださいね。初めての方はお師さんが活動地区を割り振るんです」
弟子くんはペコリとフワフワなブロンドの短髪を下げると、台所の方へ引っ込む。それと入れ替わりに、何やらノートを抱えたイールさんが戻ってきて、僕の向かい側にあるもう一つのソファーにどかっと座る。そして、弟子くんが引っ込んだ台所の方を見ると
「おや、そういえばあんたのこと伝え忘れてたねえ。まあ、いいか」
と大したことでもないかのように言い、抱えたノートを広げる。
「あんたを導いてくれる人だけどね、本当につい最近ここに来たんだ。場所は教えてあげるさね、直接会いにお行き」
イールさんは続けてノートに挟んでいた地図を広げると、とある場所をトントンと指で示す。
そこに書かれた地名は「ハルジオン地区」
街の真ん中にある時計塔を中心に見て、今いる林から、ちょうど対角線上の真反対の位置にあるその場所に行けば、夢の世界で僕を導く人に会えるのだと思うと、少し緊張してきた。
が、すぐに落胆に変わる。
「ダメですよお師さん。ハルジオン地区は今橋が落ちてて入れないんです。スカーレット区のスミアさんが花火で壊しました」
「まーたかい!あのお転婆娘は!それじゃあ誰も入れないじゃあないか!」
台所から三人分の紅茶を運んできた弟子くんの言葉に、イールさんは頭を抱える。
そして申し訳なさそうに僕を見る。
「すまないねえ、夢の世界だからみんな夢の続きを叶えるため結構好き勝手暴れるんだ。だからこれから橋を直しに……」
イールさんはそこで言葉を切ると、お待ち、と考え込んだ。
「そうさね!せっかくだからあんたも一緒に来な!この夢の世界の性質を知っといた方がいいだろう」
うんうん、とイールさんは頷くと、すぐさまソファーを立ち玄関に向かう。
「お師さん!紅茶!」
弟子くんがそう声をかけると、イールさんは忘れてたと言わんばかりに目を丸くし、くるりと弟子くんに振り向くとニッコリ笑った。
「キーリ!あんたも来るんだよ!」
そう言うとイールさんは颯爽と外に出ていってしまった。
部屋に紅茶と共に残された僕と弟子くん──キーリくんは、しばらくの間ポカンと顔を見合わせた。