出張編28話 離婚したって本当ですか?
ヒムノン少佐はリリスからヒムヒムなる愛称で呼ばれているようです。
シャングリラホテルのスーペリアで目覚める朝にも、もう慣れてきた。
昨日はミコト様からの贈り物、零式ユニットを受け取って一日が終わった。
明日からはまたカリキュラムが始まる、貴重な大都会での休日をどう使おうか。
珈琲を飲みながら思案していると部屋に備え付けの電話が鳴る。
「ハァイ、ハニー。元気してる?」
「リリスの忍耐がどこまで持つかを心配して夜も眠れない。」
「嘘おっしゃい。作戦命令よ、まず今夜6時にペントハウスに私を迎えに来る事。合流したら移動を開始、行き先はウィッシュボーンスタジアム、作戦の本番はそこからね。」
「楽しそうな作戦だな。作戦概要の説明を頼む。」
「超絶美少女をエスコートしながら、リグリットコンドルズ対ショーキョーブレーズのワールドシリーズ観戦を楽しむのが成功条件。」
パワーボールのワールドシリーズのチケットが手に入ったのかよ!リリスさん、愛してる!
「任務了解♪作戦開始時刻に会おう。」
「通信終わり、再見♪」
夜はとびっきりのお楽しみタイムときましたよ。となるとそれまでの時間はお勉強と鍛錬にあてよう。
午前中は座学に費やし、午後は人気のない砂浜まで行き夢幻一刀流の鍛錬に汗を流した。
ホテルに戻ってシャワーを浴び着替える。
服装はカジュアルでいいか。革のジャケットとチェックの長袖シャツ、紺のスラックスってトコかな。
着替えを済ませたオレは足取り軽く、ペントハウスに向かった。
スタジアムへ向かうダックスフントみたいな長~い車の車内でリリスがボヤく。
「作戦に予定外の要素はつきものだけど、とんだ邪魔が入っちゃったわね。」
「………そうね。邪魔。」
「言っとくけどナツメ、アンタも邪魔者なんだからね!」
「………カナタは来てもいいって言ったし。」
「お出かけスタイルでバッチリめかし込んでるアンタに、チキンハートの准尉がイヤって言える訳ないでしょ!」
「まあまあ、せっかく司令がプラチナチケットを4枚も用意してくださったんだ。仲良くビッグゲームを楽しもうじゃないかね。」
「ヒムヒム!まずアンタが邪魔者一号なんだからね!」
ヒムヒムなんて愛称で呼ばれたヒムノン少佐はまんざらではなさそうだ。
「士官学校入学以来、二十有余年もコンドルズを応援し続けてようやく、ようやくワールドシリーズ制覇の瞬間がやってきたのだよ。是非とも歓喜の瞬間をこの目で見たいじゃないか。」
ヒムノン少佐の声はいつもよりトーンが高い。テンション上がってますね。
気持ちは分かる。二十年以上も応援してる筋金入りのコンドルズファンなら、このビッグゲームはそりゃ見たいよなぁ。
「ヒムヒム、気分が高揚してんのは分かったけど、コンドルズが勝つとは限んないわよ? 下馬評じゃブレーズ有利って言われてるんだから。」
「その前評判を覆して最終戦まで持ち込んでいるんだ。流れはコンドルズにあるはずだよ。カナタ君はどこのファンなんだい?」
「パワーボール観戦が好きなだけで、特にどこのファンでもありませんけど、そういう事情なら今日はコンドルズを応援しますよ。」
「うんうん、是非そうしてくれたまえ。今日は良いことがあったし、きっとコンドルズも勝ってくれるはずだ。」
「良いこと? 何があったんです?」
ヒムノン少佐は左手をオレの顔の前にかざした。
「左手がどうかしたんですか?」
「ニブイわね、准尉。指輪がないでしょ?」
あ、そういうコトか!でもそれって良いことなのかなぁ?
「離婚が成立したんですか。おめでとうございます、でいいんですか?」
ヒムノン少佐は晴れやかな顔で笑いながら、
「おめでとうでいいのだよ。司令に感謝しないといけないね。」
「司令に? 司令が関わってるんですか?」
「ああ、家内、いや元家内は離婚は承諾するが、全ての財産を自分に寄こせと言いだしてね。愛してもいないのに結婚した負い目があるから、私は了承しようとしたんだが、司令に待ったをかけられたのだよ。」
司令じゃなくても待ったをかけるよ。ヒムノン少佐だけが悪い訳じゃないもの。
「ヒムノン少佐、お人好しすぎますよ。元奥さんには若い愛人がいたんでしょ?」
「私の心が自分にないと悟った元家内が寂しさを紛らわす為に若い男に走ったのかもしれないからね。だが司令が御堂財閥の興信所を使って調べてくれた結果、そうではない事が分かったんだ。」
「どういうコトだったんです?」
「お互い様だったって事だよ。家内の愛人は一人じゃなかった。その内の一人とは私と結婚前から関係があったのさ。つまり家内は世間体の為に私と結婚しただけだったという話だね。」
ヒデエな。どう考えてもヒムノン少佐より元奥さんのが有責率が高いだろ、それ。
「証拠を揃えた司令は家内と父親の大佐をホテルに呼び出し、「なかなか交遊関係の派手な娘さんのようだな? 当然、財産分与などナシだ。それから少佐に慰謝料を払え。さもなくば週刊誌が騒がしい事になると思うがな?」と脅しをかけた。その時の元義父の顔と言ったらなかったよ。子供が出来なかった事で、義父からは散々な扱いをされてきたからねえ。溜飲が下がるとはこういう気分なんだなぁ。」
………司令は脅迫のプロだからな。親子ともども縮み上がっただろう。
「他人の不幸を楽しんじゃいけないんだろうけど、ちょっと見たかったような気がしますね。」
「私は見てたけど実に面白かったわね。親子ともども最初は威勢が良かっただけに、次々証拠を突き付けられて怒りの赤から恐怖の青に顔色が変わっていく姿は滑稽としか言いようがなかったわ。」
「でも父親の方にはそこまで恐怖はないだろ? 娘の不行跡は恥じ入っても、娘だっていい大人なんだ。素行の全てに責任が持てるワケもない。」
リリスがニンマリ笑って解説してくれる。
「イスカは脅迫のプロよ? 親父の汚職の証拠も掴んでたの。公金での私的旅行だから弁済すればクビは免れるかもしんないけど、軍務官僚としてはもうお仕舞いよね。」
さすが追い込みのプロだ。手際が違うわ。
「司令の怖いところは私に慰謝料が振り込まれた後に、浮気と汚職のネタを週刊誌に流して息の根を止める算段だったという事だね。そこまでは忍びないので頼み込んでやめてもらったが。とにかく司令には絶対に逆らってはいけない、よく分かったよ。」
ヒムノン少佐もオレと同じ真理に到達したらしい。
ヒムノン少佐の離婚話が終わる頃に、ダックスフントはスタジアムの駐車場に入っていた。
車を降りたオレ達は黒服にエスコートされ、エレベーターホールど真ん中の一番立派なエレベーターに乗り込む。
「司令が用意してくれたのって、VIP専用席ってヤツですか?」
「このエレベーターはVIP専用の個室行きだよ。私も上官の随員として入った事があるが、それは立派な部屋だ。」
「ヒムヒム、イスカが用意したのはエンペラールームよ。入った事あるの?」
「エンペラールームなのか!いや、さすがにそれはない。い、いささか分不相応じゃないかね、我々には。」
司令ってホント気前がいいよなぁ。
案内されたエンペラールームは、エンペラーの名に恥じない広さとゴージャスさだった。
スタジアムを一番高いところから一望出来るだけでなく、ミニシアターみたいな画面の立体画面が複数。試合だけじゃなくベンチの様子まで鑑賞出来るようになってる。
繊細な模様のクロスがかけてあるテーブルの上には、シャンパンが冷やしてあり、キャビアやチーズ、フルーツバスケットと飲食物もバッチリ用意してあった。
「ま、エンペラーって言うからには、こうじゃなくちゃね。」
贅沢慣れしてる伯爵令嬢のリリスは本革のソファにどっかり座って、葡萄を口にする。
気後れを知らない無愛想娘のナツメもソファに腰掛けると、卓上のメニューを手に取って食い物の物色を始める。
「………カナタ、海老のコキールが食べたい。注文して。」
自分でしろよ、そんぐらい。別にいいけどさ。
「せ、せっかくの機会だ。カ、カナタ君、エンペラールームでビッグゲームを楽しもうじゃないか。」
貧困家庭育ちのヒムノン少佐は、おずおずとソファに腰掛ける。
「ヒムノン少佐はVIPルームには来たコトあるんでしょ? そこまで緊張しなくても。」
「随員として来た事があるだけだよ。それにこのエンペラールームはVIPルームでさえ霞むような豪華さだ。今まで色んな席に随行してきたが、主賓になるのは初めてだし………」
「悲しい小判鮫人生ね、ヒムヒム。」
バッサリですね、リリスさん。でも釘は刺しとこう。
「リリス、ヒムノン少佐はもう仲間だ。年長者にあんまりなコトを言うもんじゃない。」
アスラ部隊にリリスより年少の人間はいないってコトはさておきな。
「いいんだ。リリス君の言う通りだし。巨大鮫から栄養をもらうべく奮闘する小判鮫人生も悪くないさ。」
「ヒムヒム、小判鮫は片利共生、巨大生物側に利益はないの。でももう違うでしょ? ヒムヒムはアスラ部隊の役に立てるし、立たなきゃいけない。その気構えがあるなら堂々としてればいいのよ。」
「………それもリリス君の言う通りだね。エンペラールーム如きで萎縮してるようじゃ話にならない。しかし10歳の子供に人生の気構えを説かれるとは………リリス君は大物だねえ。」
全くだよ。どんだけ大物なんだ、この天才少女は。
お、ファーストダウン10からゲームが始まったぞ。今は心おきなくビッグゲームを楽しむコトにしよう。
ブシメシってグルメマンガが大好きなんですけど、映像化されたブシメシも最高でした。