喋るピザ、食べる俺、迫る母
※作者の趣味が如実に現れています。ご注意ください。
「アンタのことを言うのよ、ヒキニート」という、顎の下から響いた女性の声を脳裏で反復する。そして、片手で支えている一切れのピザに視点を移す。
信じ難いことに……その暴言の持ち主は、俺が持っているピザから発せられたものだった。
ピザが……喋った……?
……ふっ、全く、今時のピッツァは口が悪いな。注文したのが『辛口』だったからか? ニートの行動力を舐めるなよ(家の中限定)。早速Eメールで店にクレームを入れ──
しばしの静寂。
停止された自身のニューロンを無理矢理再稼動させると、自然に、感情を司る前頭葉が熱くなった。止まった思考が復活する。
「ピ、ピザが喋った!?」
喋るピザという概念をやっとのことで認識した俺は、驚きの声を上げた。ついで、持っていたピザを宙へ放ってしまう。
ピザは「痛っ!」と鳴いてテーブルの上に着地した。
痛覚有るのか、ピザに。
無いだろ、ピザに。
「ああ、もう……いつまでたっても食べないから口に出しちゃったじゃない」
ピザはお構い無しに会話を続ける。
え、何なの? 俺の知らぬ間にお喋りピザが世界的常識になってるの? ピザの悲痛な鳴き声を聞きながら食すのがトレンドなの? サディストなの?
疑問蠢めく状況の最中、一つの質問が俺の頭上にパッと浮かんだ。己が最も知りたいこと、己が最も確認したいこと、それはこのピザが『ピザ』なのかという哲学的問いのみだった。
俺は生唾を飲み込んでから、ピザと思しき物体に質問する。
「あなたは……ピザなんですか?」
「私は魔王よ」
ダメだ。思考が追い付かない。
自分を魔王と呼ぶ厨二病真っ盛りのピザは、俺の思考を置いてけぼりにしたまま、冷ややかな声色を絶やさなかった。
「この近辺の情報はあらかた取得したけど、特殊な言語や文化ばかりね。かなり魔力を消費したわ。しかも……なんか変な雰囲気。周りの魔力が微塵も感じられない。アンタ本当に魔力使いなの?」
「魔力使い? 童貞のまま30歳になればジョブチェンジできる魔法使いのことですか?」
「何言ってんのアンタ。魔法陣結成してるじゃない。魔力使いじゃなければなんなのよ」
「え? 魔法陣? そんなもの組んだ覚えは無いんですが……」
「組んだから私がここにいるの!! 丸いものか何かそこにあるでしょ!!」
丸いもの……?
「あ、もしかして、このピザのことですか?」
「ピザ? ……ちょっと待って、アンタ、今、私が何に見えるわけ?」
「まごうことなくピザです」
まごうことなくピザである。
「ピ、ピザ!? アンタ私をこんな低俗な食べ物に召喚させたわけ!? 信じらんない!!」
「召喚って何ですか?」
「魔法陣の中央に供えた魔物に自分の体液を掛けてから、手を合わせて呪文を唱える継承の儀式よ!」
体液……?
「あ、もしかして体液って、俺が噴き出したがぶ飲みメロンのことですかね?」
「がぶ飲み……っ!? アンタそんな意識の低すぎる飲み物を儀式に使ったの!?」
「合掌して呪文というのも、日本の古来からある食への感謝の様式ですね、はい」
「なんでそういうところだけ無駄に行儀がいいのよ! ニートのくせに!」
「母さんからちゃんと躾られて育ったんだ。逆に褒めてほしいところだね」
「いや、アンタニートじゃん。躾失敗してるじゃん」
魔王は切れのあるツッコミを続ける。そして、眉間にシワを寄せて悩んでいるような表情を浮かべた。いや、ピザに表情ってあるのか? ……とにかく、ピザはそんな雰囲気を醸し出していた。
「ということは魔法陣の位置も偶然合致したってこと……? 奇跡ってレベルじゃないわよ……いや、微力な私の魔力と唯一繋がったのがこのクソゴミニートの魔法陣だということなら納得がいくわ。そもそも魔法陣と魔物を一緒くたにして召喚できるなんて知らなかった……勉強不足ね」
などと魔王ピザは意味不明なことを呟いており、俺には話を遮る暇がありません。
「……ということはアンタ、魔法使いでも何でもないってこと!?」
ピザはその場で景気良く跳ねた。
そう、俺は魔法使いではない。だが、あの匿名掲示板に記載されていたことが真実ならば話は別だ。
「でも、ほら、30歳になればあるいは――」
「なれるわけないじゃない。アンタこっちの世界で言う馬鹿でしょ? 大馬鹿でしょ? しかも童貞でしょ?」
「どどっっどどど童貞じゃないし! カアーッ! 魔法使いになれなくて悔しいなあーっ!! カアーッ!」
「動揺しすぎ……」
ピザはおずおずと自分から距離を取り始める。ピザから見下される俺って一体……?
向けようのない怒りを露わにしながら、俺はピザを指差した。
「そもそも! どうして魔王がこの世界にやって来たんだ! おかしいだろ!」
「……色々あるんだけど、簡単に言うと、魔王の精神そのものに寿命が尽きた時の恒例行事みたいなものなのよ」
「恒例行事?」
「何百年に一度の精神継承儀式よ。魔王の身体自体は不死身なんだけど、魂だけは別なの。そうね、精神をリレーみたいに繋げていくの、記憶や魔力もね」
「よく分からないけど、俺も魔王になれるってことか!?」
「そうね。魔法陣に置いた魔物を食べて、首を掻っ切って死ぬば魔王になれるわ」
「……は?」
首を掻っ切って死ぬ……だと……?
「……それは、絶対に死なないといけないのか?」
「ええ、絞首斬首銃殺溺死切腹なんでもいいわ。魔物が胃の中に残ってる状態で死ぬのが条件よ。今回はピザだけど」
「そ、そんな簡単に死ねるわけないだろ!」
「ええ、私もアンタなんかに期待してないわ。さっさとこのピザを捨てて消えてちょうだい」
ピザは相変わらず厳しい口調を俺にぶつける。正直ピザに憐憫の気持ちなど抱かないが、単純な好奇心から純粋な問いを俺は口にした。
「……お前はこれから、どうするんだ?」
先ほどまでズバズバと応答していたピザだったが、この問いにはジットリと間を置いて、歯切れの悪い答えを漏らした。
「……そうね、また、精神世界で魔法陣を探しに行くわ。寿命も魔力も残り僅かだから、急がないといけないわね」
「そう、なのか……」
魔王と言えば、『ファンタジーの世界で勇者と対立する最強の魔族』といった印象だったが……彼女の今にも泣きだしそうな掠れ声は、俺の想像上の魔王とは180度異なる弱々しいものだった。
仮に、継承する度に魔力やスキルを引き継げるのなら、魔王は常に最強のはずではないのか? それが、『寿命も魔力も僅か』だって? 一体魔王に何が起きたのか、小さな島国のニートである俺には知る由も無い。しかし、彼女が、あるいは世界が、何かしらの危機に見舞われているのだと、俺は勝手に悟った。
久しぶりに家族以外の人間と雑談をし、無意識に気持ちが高揚していた俺は、再び質問を投げ掛けようとしたのだが――
『ただいまー。……あれ、なんか、チーズの匂いがするんだけど』
その問いは、一階から響く母さんの声で遮られた。
「まずい! 母さんが帰ってきた!!」
俺は光の速さでピザ全体にタバスコを振り掛ける。
「ちょ……捨てるんじゃなかったの!?」
「捨てるなんて勿体ないだろ!!母さんの金で買ったピザだぞ!!」
魔王はぴょんぴょん跳ねながら狼狽している。俺は戸惑うピザに気も止めず、追加で頼んだタルタルソースを急いで塗りたぐった。
『ピザの魔王』の出現によって『毒の有無』という重大な議題をド忘れした俺は、1ピース欠けているピザを無造作に分け始める。そして、グワシャグワシャと口の中に放り込んだ。
1ピース目……! 次に2ピース目……!
「嗚呼ッ!」
ピザのジャンクテイストが至福の時をもたらして、俺の舌が舞踊る。
これだよ! このジャンクフード感! タバスコで熱くなった喉にタルタルソースの油とチーズの油とサラミの脂が混ざり合ってもう油って感じ! すっげえ油だよこれ! 超油だよ! かなり油! ただの油!
「ま、まぁ、アンタが死なないで、ピザの消化さえ終了すればそれでいいんだけどさ……」
俺は魔王の独り言を無視して、次々と油を飲み込んだ。
3ピース目……! 4ピース目……!
『ちょっと、開けなさーい。………………ピザでも頼んだんでしょ?』
ギクゥッ! まずい! 察しの良い母さんがもう部屋の前まで来てる!! 父さんの不倫には気付かない癖にッ!
俺は油まみれの十指を巧みに操って、ピザ生地を泥団子みたいにズラズラと丸めていった。硬球と化したピザ達は、油でテカテカして滑りが良くなっている。投げたら凄いカーブ掛かりそう。
そして俺は、ハムスターが頬袋に種を貯蔵する要領を真似し、次々とピザを口内に詰め込んでいく。
5ピース目……! 6ピース目……!
――ウッ
……まずいな。いや、ピザ自体は美味いんだけど、詰め込みすぎて胃が逆流しそう――
魔王は俺の早食いに圧倒されたのか、魔王に似つかわない心配そうな声を上げている。
「そんな一気に頬張らなくてもいいんじゃ……」
「出前取ったことがバレればどのみち殺されモゴモゴモg……」
『ちょっと、誰と喋ってるの。……まさか! 幼女監禁なんてしてないわよね!!』
謂れのない犯罪黙示録を母さんから叫ばれ、小心者である俺の動きが一瞬固まる。直後、「ダンッ!」という衝撃音が鼓膜に突き刺さった。
なんということだ……一定の感覚で部屋のドアが振動している。おそらく母さんが扉をこじ開けようと体当たりをかましているのだろう。ラガーマンかお前は。
『ニートでロリコンだったなんて絶望したわ!! いつかやるとは思ってたけど絶望したわ!! 開けなさい!! こら!!!』
罵詈雑言を浴びせられながらも、俺は、最後のピース……魔王を手の平に乗せる。
一拍置き、口袋に貯めた三・四個のピザが喉を通ったタイミングで、蓋をするように、最後の一切れである魔王をガバリと頬張った。
全てのピザを飲み込んだ瞬間──
食道に詰まるような痛みが走り、俺はぐわんと目を見開く。両手で胸を押さえて、空中で溺れてるかのように、もがく、もがく、もがく。
ばたばたばたと死に際の蝉の如く縦横に暴れた後、膝を床に落として、ゆくりと前のめりに倒れた。
折り畳まれた己の上半身から微かな心拍音が聞こえていたが、それは段々と小さくなっていき、やがて、消滅した。
俺は死んだのである。
罵詈雑言でもよろしいのでコメントや評価をしていただければ、作者が布団の上で裸ブリッジするレベルで喜び狂います。