明日から本気だすユキさんは怪人退治をしてくれません
「明日から本気だすからぁ」
「だめです、ユキさん、そろそろお仕事してください」
「やだ、だるい、外は寒いし」
そういうところだけは即答。
僕と彼女はしばらく沈黙する。
その間に僕はどうしようかと考えた。
やる気のない彼女。
なんとかしてこんな彼女を動かすことは僕の仕事でもある。
明朝体で『琵琶湖生活安全快適環境課』書かれた看板が入口に掲げられている部屋。
長ったらしい名前だと思う。
そんな部屋の中からは、窓越しに広い湖が見える。
広い。
そりゃ、そうだ。
対岸がうっすらともやがかかったように見える、そんな日本一の大きさを誇る湖。
琵琶湖だ。
夏になれば、うっとうしい琵琶湖虫がわんさか飛んでくる湖のほとり。
沈黙が続いている間にも、彼女はバタバタと足を動かして抗議をしているようだった。
机に突っ伏したままの彼女、その肩まであるストレートの黒髪はぶわっと机に広がっている。
僕はため息まじりに口を開いた。
「彦根城に怪人が現れたんですよ、はやく行かないとひ○ニャンが殺されてしまいます」
「えー、彦根の○いニャンコが代わりにがんばるから問題ないよお」
あんな人形、まだ売られているんだろうか。
パクり商品と言えば、北海道の『白い〇人』の大阪バージョン。あれは大阪駅のキオスクに堂々と置いてあるのはみたけれど。
なんだっけ、面白いなんとか。
時計台の代わりに大阪城があるやつ。
……気になる。
いや。
まて。
そんなことはどうでもいい。
僕は頭を振ってそんな思考を吹き飛ばした。
本題、本題。
「だめです、あれはグッツだけで着ぐるみはありませんから」
なんてうまいこと言ったつもりだった。
「重千代君がやっつければいいじゃない」
彼女のツッコミを期待していたが、スルーされた。無視された。
くそう。
「え? なんか面白いこと言ったつもり」
彼女は机に突っ伏したままなのでその表情は読み取れないが、間違いなくバカにしているのはわかった。
本題に戻ろう。
二回目。
「まあ、そんなことはどうでもいいですから、ほんと仕事してください」
「だから、重千代君たちでやっつけちゃってよ、お給料もらってるんでしょ」
「そりゃユキさんも同じ」
怪人ハンターである僕たち。
でもユキさんは僕たちエージェントとはちょっと違う。
別格だ。
「残念、一昨日やっつけられました」
僕は鼻、頬、顎に貼り付けた絆創膏を指差す。
実際体じゅうが痛い。
ユキさんには見せれないけど、作業服の下は痣だらけだ。
……彼女は繊細だから、そういう姿を見せれない。
傷つくはずだ。
きっと。
彼女は突っ伏していた顔をゆっくり上げ、切れ長の目をさらに細め、僕を見た。
眉をひそめ、目を合わせることなく、また机に突っ伏した。
「弱っ」
ぼそ。
前言撤回。
この野郎……訂正、この女が傷つくはずがない。
か弱い人間様をなんだと思っているんだ。
ちくせう。
「そりゃー僕はユキさんと違って生身の人間なんですよ」
ムスッとした声を隠さない。
「相手は怪人ですよ、一応元神様ですよ、そんなんに僕たちが勝てるはずないじゃないですか」
僕が言い終えると、彼女はむくりと上半身を起こした。
そして、僕を見てニヤッとする。
「言い訳していいわけ?」
くくくとオヤジギャグを言った彼女は、自分の言葉で笑っていた。
趣味悪っ。
イラ。
怪人。
あまり知られていないが、たまーに人間に悪さをする神様がいる。
怪人。
だれかがそう言った。
人間というのは勝手なものだなっと思う。
神様でも自分に害をなすと判断したものは、そう言って区分するのだ。
そんな神様モドキ――怪人――を退治……というか、ちゃんとした言葉で言うと『ご遠慮願う』組織が『琵琶湖生活安全快適環境課』なのだ。
近江県の。
ちなみにこういう組織は名前を変えて各都道府県にある。
変だと思う。
僕自身、こんな仕事は警察じゃないか? なんて思う。
誰かが言っていたが、警察からすると鎮圧する対象が「人」じゃないから管轄外らしい。
そうは言っても、町に迷い込んだおサルを保護したりしてるじゃないか……というツッコミは置いといて。
じゃあ自衛隊。
治安上問題ないから治安出動にはあたらない。
らしい。
獣害対処とか災害派遣名目で出ることもできるが、そんな無理して変な神様を相手するほど、自衛隊も馬鹿ではない。
そんなことで関わりたくないらしい。
餅は餅屋。
花火はたま屋。
神様には神様。
怪人には超人。
超人と言っても、筋肉ムキムキのあーゆーものではない。僕たちが怪人と区別するために読んでいる人間に害をなさない、共存をしている神様たちの通称だ。
そういうことで各都道府県の怪人退治組織には、神様を対怪人超人として出向していただいていた。
この目の前にいる娘。
神々(コウゴウ)しさのかけらも見当たらないやる気なし娘。
そんな『諏訪雪』も一応超人だった。
出身は長野県諏訪市、諏訪湖にいる神様のうちの一人らしい。
――八百万ってのは伊達じゃなく、わたくしみたいなのもたまーにいるし。
と、彼女は言っていた。
「あーあ、都会って聞いたから出てきたのに」
田舎で悪かったね。
「長野の山の中と変わんなーい、どこが都会よ、ぜんぜん田舎だし、田んぼと山と湖だし」
大津市だったら、三〇分で京都市内にもいける。
都会といったら都会だ。
だが、僕たちの事務所は本庁舎にはなく、ちょうど琵琶湖の東側の真ん中あたりなのだ。
おかげで南部特有のドブ臭さはあんまりなくて、夏は助かるんだけど。
「目的が修行なんですよ、遊ぶために来たんじゃないですから」
彼女は修行ということで諏訪湖から、もっと位の高い琵琶湖に来たという。
「イケメンもいないし」
「ガテン系で申し訳ありません」
元自衛官、しかも施設科ですが何か。
「わたくしの青春返してー」
「修行と青春は両立できません」
「くそー、サキッチョマンの癖に」
「いろんな意味ですごく愚弄された気がします」
サキッチョマン。
僕のコードネーム。
エージェントを支援する特別戦隊。
僕のような生身の人間は特別な訓練を受けて戦隊に入る。それぞれコードネームを与えられ男性は『~マン』女性は『~ナ、~リン』などと付けられ『~』の部分は超人が好みで付けるのだ。
僕『山崎重千代』はコードネームが『サキッチョマン』
ちなみに同僚の『山本健二』さんは『ホンジマン』と名前がついている。
ご理解いただけたであろうか。
かなり適当チョップな命名なのだ。
こんなセンスのかけらもない娘の戦隊なんかなったら最後。わけのわからない名前をつけられてしまう。
まずはモチベーションの維持だけで精力を使い切ってしまいかねない。
「ねえ、彦根城が壊されて、ひ○ニャンが殺されたら何か問題あるの?」
「ありありです」
「たかだか建物とぬいぐるみ」
「あまり、物事に対して『たかだか』なんていっちゃいけません」
「なに、偉そう」
「あれが壊されたら、県北一番の観光地としての収入が減ってしまうんですよ」
「彦根城に憑かれても、まだまだ荒神山や観音寺山があるから、あそこらへんの魑魅魍魎が大津や京都に行くのは抑えられるし……ちょっと彦根市に変なのがでるぐらいは問題ないでしょ」
――どーせ今の時期は雪しかないんだし。
なんて酷いことを平気で言うだ。
あんたんとこの長野もそんなもんだろうという言葉は飲み込み僕は話を続ける。
「さらりと、またあっちの世界の事をいいますね、え、あそこってそんなやばそうなものがあるんですか、なら、なおさらやばいじゃないですか」
「だから、怪人がそこに憑いても、まだまだ守れる地形があるから慌てなくていいんだって」
「あんた、それでも神様かい」
「わたくしは面倒くさいのが嫌い」
ああ、始まった。
「わかりました。退治できたら、高級鮒寿司おごります」
「やだ、臭い、そんなのじゃつられませんよーだ」
「ブラックバスのてんぷら」
「そっちかよ!」
「ひ○ニャンのぬいぐるみ」
「もう持ってる」
持っているんかいっ。
「近江牛の……」
「でっかくでたー」
「焼肉」
「やきにくっ」
「じゅーじゅー」
「じゅーじゅー! のったっ! わたくし彦根に行く、ひ○にゃん助ける」
……こいつ、ほんとうにめんどくせえ。
なんとか、彼女をやる気にさせることはできたけど。
ひきこもりのエージェントを引っ張り出すことには成功。
安月給で焼肉は辛い。
最近は公務員叩きが強いから、県もお給料上げてくれないもんね。
まあ、でも。
一応彼女とデートの約束もできた。
うん、まあ、費用対効果は悪くない。
そんな僕の仕事と下心。
なんにしても彦根城の怪人退治の再チャレンジが決まった。
今度はビビらず、覚悟を決めないといけない。
どっちも。
※ ※ ※ ※ ※
問題。
大問題。
僕は困っていた。
先の彦根城での戦い。
ユキさんの戦隊は僕を含め三人いる。
いた。
今はその三人がそろっていない。
僕をのぞいて他の二人は病院送りになっていた。
だから二人で怪人を倒さないといけない。
単純に僕たちの戦力は半分という問題。
ちなみに彼女は諏訪湖にいる神々の中のひとり。
その一族は水それも氷の属性が強いということで、氷の柱でぶんなぐったり、氷の塊を投げつけたりする特技がある。
けっこう肉弾戦派だったりする。
そして、僕。
もう一人のホンジマンさんと近距離、物理攻撃担当。
一応、僕も武術武道は人並み以上にやっていたので、そういう特技を生かしている。
武器は小太刀。
その流派では中傳と指導員をもらったぐらいの腕。
無名の脇差にはユキさんの念を入れてもらって強化しているが、この前の戦いでは散々な目に合ったぐらいだから、まあ神様に比べればなんの役にもたたないのかもしれない。
しゃあない、だって人間だもの。
先回の彦根城。
戦った相手はよくわからない。
とりあえず赤い甲冑を付けた武者だった。
神様というより亡霊のような怪人。
僕たちはその武者の刀による物理攻撃と、炎による攻撃で撃退された。
顔の絆創膏をはがすと火傷の跡が残っている。
今までユキさん抜きで退治したこともあるけれど、彦根城の怪人はまったく別格だったと思う。
そんな怪人を二人で相手しなければならないのだ。
僕はそんな事を考えながら車を運転していた。
四方に『近江県』と書かれた軽バンが道路を走る。
経費がないから高速は使えず下道だ。
「田んぼー、田んぼー、山だー、山だーだだっ広いな、田ー舎ーだーなー」
タイヤとアスファルトが擦れる音に負けない声でユキさんが歌って……いや叫んでいた。
音痴だ。
「重千代君」
歌い終わった彼女が話かけてくる。
彼女はマイペース。
歌ったと思えば外を見て、僕が話しかけても無視をするし、こうやっていきなり話しかけたりする。
「無視するなコノヤロー」
答えないとそう言って耳を引っ張ってくる。
「はいはい」
「返事は一回、ちゃんときびきびと答えろ」
自衛隊かよここは。
「はーい」
「あのね、重千代君は鉄砲撃てないの?」
「てっぽう」
「遠くからぱーんって撃てば、怪我しないし」
「いや、ぱーんって」
「わたくし、弾に念込めることもできるけど」
「……脇差の方が好きなんです」
「だって、元自衛官でしょ? 鉄砲パンパン撃ってたんでしょ」
「パンパンって、鉄砲は鉄砲でもこう長い小銃……ライフルタイプのものなんですよ」
眉をひそめるユキさん。
スマフォを取り出しうつむく、どうせ『小銃』とか検索しているんだろう。
「小銃なんて撃てば、射程も長いし、遠くの人に流れ弾が当たるかもしれないし、危ないということでうちは取り扱ってないんです」
そもそも僕は射撃が下手だった。
「拳銃は?」
「なんでそこだけヤクザ映画みたいな」
「だから、チャカは?」
「苦手なんです」
「えー、元自衛官なんでしょ?」
「僕は土木業みたいなことやってたんで、拳銃は撃ったことないんです」
「情けないなあ、意味無いなあ、自衛隊のくせに」
元、ね元。
「なんでもかんでも匍匐前進しかしていないなんて思わないでください」
「ねえねえ、匍匐前進以外何していたの? なにか資格とったの?」
「大型や大特の免許ぐらいです」
「ダイトク?」
「大型特殊、ブルドーザーみたいいなの」
「へー」
聞いておいて関心のなさそうな反応。
「僕は土木業みたいな自衛隊でも格闘技が強かったから、そっちばかりやってたんです」
「なーんだつまんない」
どーせ、つまんない人間ですよ、すみません。
「そういえば、彦根城って誰のお城か知ってます?」
「ひ○ニャン」
「馬鹿ですか?」
「冗談よ。わたくしのこーしょーな笑いについていけない重千代君こそ馬鹿」
相手にしてはいけない。
ムカッとしたら負けだ。
息をすって六数える。
結構使えるアンガーコントロール。
「そんなことより、琵琶湖修行は上手くいっているんですか? なんだか、竹生島の神様とはケンカしたらしいじゃないですか」
話題を変えてみる。
「それ、めっちゃムカついた、あのじじい、いきなりわたくしの体を触ってきた」
「え、そんなたいしたことのない、おっぱいっぽくないおっぱいを……じーさんもモウロク」
「(呪)」
「え、今何しました? なんだか運転している腕がものすごくだるく……うう……眩暈が」
「謝れ」
「いや、竹生島のじいさまも物好きだなっと……うう」
軽バンが中央車線を割って対向車線に入る。
さすが田舎道。
見通しがいい道路、そして対向車がいない道。
「いいから謝れ、謝らないと死ぬぞ」
「す、すみません」
彼女は指先で僕の肩に触れる。
ハッと意識がもとに戻り、僕は慌てて車を元の車線に戻した。
「尻、お尻をさわってきたの」
自分も命の危険があったはずなのに、ユキさんは何事もなかったかのように自分の話を進める。
「いいじゃないですか、減るものじゃないし……で、どうしたんですか、どうせ手を凍らせたりしたんでしょう」
「ああ、あのじじい氷の柱でぶん殴って湖に沈めた」
「……お師匠さんになんてことを」
彼女は僕のツッコミを無視してガラス窓の流れる田んぼとその奥にある琵琶湖をみつめる。
「都会に行きたい―、都会の神様は結構上品だと聞くんだけどなあ」
「はいはい、すみませんね田舎で」
僕の生まれた琵琶湖の北西の町よりは都会だと思うが。
「もう、修行なんてしないくてもいいぐらいなんだけどなー」
「んじゃ、早く帰って諏訪湖凍らせてくださいよ、最近凍ってないってニュースでいってましたよ、ユキさんの一族ってみんなそんな感じなんですか?」
「なーんかお父様も調子悪くてなかなか凍らせきれないみたい」
「調子が悪いとかいってただ、面倒くさいだけじゃないですか? ユキさん見ているとそうとしか思えない」
「なにそれぶじょく?」
「いいえ、ぶじょくではありません、冗談です」
「ならばよし」
「えっと、ユキさんが帰ってやったらどうです?」
「……前にわたくしが勝手に湖を凍らせたら、お父様にめっちゃ叱られたの」
「えーなんでですか、サボってる父親に代わって、仕事したんでしょ、凍らせたんでしょ」
「うん」
「修行なんてやる必要ないじゃないですか」
そしたら、こんな面倒な仕事から解放される。僕は晴れて普通の地方公務員に戻れる。
大津の本庁に戻って都会生活を満喫できるかもしれない。
彼女とは、離れてしまうけど……。
「うん……別のものまで凍らせちゃったの」
「別のもの?」
「あれ」
彼女は天井を指した。
「長野で、大雪降って孤立集落がいっぱいできた年、あったでしょ」
長野だけではない、あの年は近畿の日本海側から北海道まで豪雪で、それはすごいことになった。
ここ近江北部でも大雪で屋根がつぶれる家もあった。
なるほど、日本全体を凍らせてしまったのか……。
恐るべしユキさん。
なんとなくしゃべりにくくなってしまった。
なにが怒りの引き金になるかわからない人なのである。
僕なんて一瞬で凍ってしまう。
そうしているうちに、彦根市付近に近づいてきたようだ。
風景が白一色に変わっている。
「反省」
彼女はいつものように唐突に口を開いた。
「え?」
「一昨日、あなた達だけで行かせたことは反省している」
彼女は窓の外を向いたままだ。
「体調不良ってのもあったけど……無理してでもいけばよかった」
「やる気も体調の一部なんですね、わかります」
「(呪)」
「う……すみませんあの日でしたか……」
「(呪)」
「ゴメンナサイゴメンナサイ」
「重千代君セクハラ」
「ゴメンナサイ、イキテテゴメンナサイ」
「神様だっていろいろあるの」
神様にもあるんだ。
「まさか、病院送りになるとは思わなかったし」
「僕たちも、ユキさんの体調不良とは知らず……ただやる気がないだけだと思ってたので、つい感情的になって」
「やる気がなかったってのもあったけど」
「おい」
「だるいし、まあ明日からでいいかな、って」
「いや、まて」
「変なこと言った?」
「やる気が無いだけだろ、それ」
「神様にそういうこと言わない」
「ええ! そういうまとめかた? にごしたつもり?」
「だから反省しています! 反省しているったら反省してるの!」
「今日は本気出すから」
彼女はジッと僕の目を見つめていった。
こんな人でも一応仲間が病院送りになったことに責任を感じているようだ。
「マジと書いて本気ですね」
彼女は僕の絶妙なボケに突っ込むことなく僕たちの目的地のシンボルともいえるものを睨んだ。
彦根城の天守閣。
現場到着だ。
※ ※ ※ ※ ※
城下町特有のクネクネした道。
やっとこさ見つけた有料駐車場に軽バンをとめた。
僕達は県職員用の水色の作業服に紺色の防災コートを着ていたが、この日の彦根市は底冷えがひどく車から出た瞬間、ぶるっとするぐらい寒かった。
堀の外からだけど、この城をじっと見ているとその違和感に気付く。
今は二月。
滋賀県でもこの地域は南部と違い雪が深い。もちろんこの街に雪はある。
ただ、堀を挟んで内側の雪がないのだ。
「うわ……メンドクサそう」
彼女はそうつぶやいて歩き出した。
「前言撤回、やっぱり今日は本気出すのやめる」
眉をひそめる彼女。
「わたくし、すごい粘着質な相手は嫌いなの、うざい気配をむわんむわん感じる」
嫌がる彼女の手を引っ張り、立ち入り禁止のテープをくぐる。
お城はこのように立ち入り制限がかかっていた。
警備に立っている警察官に身分証を見せペコリと頭を下げる。
ご苦労様ですとか、そちらも大変ですね……と若い警察官と言葉を交わし、ずいずいと道を進んで行くとお城の庭にたどり着いた。
ふと気づくと、何か禍々しいものを発散している赤い鎧の怪人が目の前にいた。
何をすることもなく。
じっと立っている赤い鎧。
「やるか」
僕は作業服を投げ捨てる。
その下に着こんでいた特殊繊維の全身タイツのような服が露わになった。
小脇に抱えていた、そっち方面のいかにもなヘルメットを被る。
三〇過ぎたらこれを被るのはつらくなるのかもしれない。
一方ユキさんは、面倒くさそうにポケットに手を突っ込んだまま歩いていたが、ため息をついたあと、一瞬でその黒髪が銀色になり、そして服も作業服から白い着物に変身していた。
最初はそんな変身に違和感ありまくりだが、まあ神様だから……と、今は自分を納得させている。
「寒いし、はやく終わらせて焼肉屋に行こー」
声とやる気は変身できないらしい。
残念だ。
※ ※ ※ ※ ※
戦いは終わった。
僕は痛感する。
彼女を本気にさせてはならない。
絶対に。
反省、いいや猛省だ。
猛烈に反省。
今までの戦いでちょうどよかったのだ。
手を抜いたぐらいで。
氷の柱でぶんなぐるぐらいの彼女の方が……。
※ ※ ※ ※ ※
僕達支援組の戦い方は単純だ。
ユキさんが氷の柱で怪人をぶん殴れるように、三人で連携して近距離と遠距離でその隙を作る。
弓矢の遠距離担当の女性が怪人を追い込み、ホンジマンが槍で突っ込む。サキッチョマンの僕は奇襲で懐に入り一撃、そして彼女が氷の柱でぶん殴る。
彼女が『ジェットストリーム〇ッタク』と名づける連携攻撃だ。
パクり過ぎでコワイぐらいだけど。
それがいつもの必勝パターン。
だが、今日の支援組は僕一人なのだ。
二人でそれをしようとした。
そういうことも手伝って、僕だけじゃ突っ込む前に怪人の炎のつぶてに散々やられてしまい防戦一方になってしまった。
二人だからというよりも、この赤い鎧の怪人が強すぎるのだ。
防戦一方。
そして、ふとした隙に、怪人が接近し奴の刀で斬り付けられた。
僕は逆にそれをチャンスと思い『猿回』という技――ただ、でんぐり返しで一気に間合いを詰めるたいしたことない技――で相手の懐に入って、刀が振り下ろす前に小手を斬りつけようとした。
だが、赤い鎧武者の怪人は器用に刀を振り下ろしながら、片足で足払いをしてきたのだ。
僕は面白いぐらい見事に足をすくわれ、数秒宙に浮いたような感覚を味わってから受身を取れず地面に叩きつけられた。
そう、さすがにこれは死んだな、と観念した。
あーあ。
たいしたことねーなーと思った。
怪人の刀の切っ先が僕の目の前、顔面の上に突き立てられる。
あんまりそこのところの記憶はあいまいだ。
あまりにも一瞬のことだったから。
振り下ろした瞬間にくるりと避けるチャンスはあった。でも、目線の真上に切っ先があって、刀が切っ先と鍔しか見えない状態だった。
距離感がなく突き刺す瞬間も気づくこともできず串刺しにされることだろう。
ふと、人ごとのように思った。
動けば今すぐ刺される、動かなければそのまま刺される。
その時だ。
仰向けになって空を見上げる僕の目がハレーションをおこした。
急に黒い雲が渦巻いて……稲光が光って……ぼんやりとそういうことを覚えている。
その後、巨大な氷の柱が天から落ちてきて、怪人を貫いたらしい。
僕は必死に転がって地面を這い蹲り、怪人の刀の切っ先から逃げて、転がって、見上げた。
そこからは、はっきりとその光景を覚えている。
彼女の目が赤く光り、銀色の髪が静電気を帯び扇のように広がっていた。
ユキさん。
たぶん、それはユキさんだった。
※ ※ ※ ※ ※
「近江牛の……」
彼女が口を開こうとした瞬間、僕の人生でいちにを争うぐらいの早口で店員にまくしたてるようにして注文する。
「豚ホルモン、豚トロ、豚バラとウインナーあと、しいたけ、以上!」
そして店員の復唱も許さず、彼を追い出すかのようにして注文を終えた。
「おかしくない?」
「何が? 近江牛のある焼肉屋ですよ、ここ」
「注文」
「僕は豚が好きなんです、豚ミンというぐらいにビタミン豊富で、美容にもいいですからね、ユキさんも美容は大切でしょう」
「だよねー」
「だいたい、牛なんて食べたら、今日は皿洗いすることになります」
約束どおり、僕と彼女は焼肉屋に来ている。
ちょっとしたデート。
「この前、ユキさんのお父さんが諏訪から飛んできた時はびっくりしましたね」
文字どおり飛んできた。
岐阜の山を飛び越えてやってきた。
「すっごい怒られた」
「でしょうね」
「だれのためだと思ってる? 他人事みたいに」
「ありがとうございます本気出していただいて、命の恩人様」
「うん、よろしい」
「まあでも、怒られますね、世間一般常識的に」
神様にそれがあてはまるかは置いといて。
「さすがに琵琶湖凍らしたのは、やばかったみたい」
彼女は豚トロを頬張りながら言った。
勢い余って、氷のエネルギーが琵琶湖に到達し、ほんの数時間だけだが琵琶湖の表面が凍ってしまったのだ。
もちろん、東は関ケ原、西は平野部の京都大阪まで雪が積もり、交通は麻痺した。
彼女がなぜ琵琶湖に修行に来たのか。
その持て余る力と激情の心を抑える精神修養のためだったという。
それには、穏やかな琵琶湖の神様達の教えを請うのがいい。
「ねえ、重千代君、あなたのことをお父様が褒めていた」
「どういうところをですか?」
「お前と、付き合える奴なんていないと思っていた、重千代君はなかなか骨があるって」
「はあ」
「人間なんかやめて、神様の下っ端でもならないかって」
「え、それ、死なずにできるの?」
「ううん」
彼女は笑顔で首を横に振った。
「でも、重千代君がいいっていうなら、手伝ってもいいけれど」
何か怪しい光をユキさんの目の奥に見た気がする。
赤い。
ちょっとキランと光った危ないもの。
「とりあえず、遠慮しておこうかな……」
「あ、そう」
「でも、この借りはまだ返さないといけないから」
「また、焼肉?」
「ラーメンで勘弁」
「安くない?」
「だって焼肉にもう一回いったらそれで終わっちゃうし」
僕はお給料以上の遊びはしないことにしている。
安いところだったら、何回もご飯にいける。
「で、神様にならない?」
――死なずにできるの?
――ううん。
首を横に振るさっきの彼女を思い出す。
……神様になるのも、なかなか考えものだ。
僕はそう思って、お皿にいっしょに盛られているキャベツをかじった。
今はこうして二人で食事ができるから、まずはここからでいい。
【了】