第9話「救世主」
得意な一撃が決まり、リリィはくふ、くふふと愉快そうに笑った。
環薙は目の前で起きた出来事に理解が追い付かず、呆然とその場で立ち尽くしている。
「……ぁ」
上手く言葉が紡げない。
環薙は凛恵が居たであろうその場所を見詰める事しか出来なかった。
亡霊が魂を貪るかの様にその場で浮遊している。
環薙は震えた手を差し伸べる。
一縷の期待に手を伸ばすように……。
「くふ、残念だけどあの子はもう居ないわよ? あの攻撃は魂を喰らい尽くしちゃうの。ホント、ざーんねんっ」
「うわあああああああああ!」
環薙は現実を突き付けられ咆哮する。
あいつは許さない。
全部許さない。
全部消えちゃえ……。
(…………私、は……)
リリスの攻撃、収悪霊砲により全魔力を削り取られ、意識を失っていた。
(……死んでしまったのか?)
では、この意識は何であろうか?
天国にでも来てしまったのだろうか?
否、まだ死んでは居ない!
カッと目を開くと、そこは暗く禍々しい闇の中だった。
(天国では無く……地獄だったか?)
目を覚ました凛恵は歯を強く食いしばると再び目を閉じようとした。
「大丈夫か………姝刄?」
その時、ぶっきらぼうだが暖かい声が投げ掛けられた。
「ま……なか……?」
「ああ、俺だ……」
夢でも見て居るのだろうか?
今、凛恵の体は真中に支えられている。
居る筈の無い真中に……だ。
「ふ、私の中にも女子の心が残って居たとはな……」
死ぬ間際に気になる男子に介抱される夢。
「……魔力がねぇのか……くそ、俺の魔法じゃこいつら抑えるのがやっとだってのに……」
ボソボソと真中が呟くが、凛恵の耳には届かない。
さっきからマラソンの後の息苦しさを感じていて、ぼんやりとしていたのだ。
それは魔力切れの症状なのだが凛恵に気付く術は無い。
「姝刄……俺には魔力を別ける事が出来る。だが、なんつーか方法がちょっとアレなんだ」
魔力を別ける。
ああ、やっぱり夢だった。
そんな事出来る人間が居る筈無い。
「何でも、してくれ……どうせ、夢なのだから……接吻の一つでもしたらどうだ?」
切ない表情で凛恵は言った。
恋愛を許されず生きて来た凛恵の唯一の願望。
夢の筈なのに気恥ずかしくて、ふいと横を向いてしまう。
本当にされたらと思ったら頬が紅潮して熱を持つ。
「良いんだな? ……まあ、あれだ。これは人工呼吸だと思って、ノーカンにしといてくれよ?」
真中のゴツゴツした大きな手が、凛恵の頬に添えられて正面に向けさせる。
「…………ぁ」
迫った真中の唇は、待った無しに凛恵の唇へと誘われた。
ぴとっ。触れ合う様なキスに凛恵は「……ん」と、くすぐったそうな声を漏らす。
そして、決壊したダムの水の様に真中から流れ出てくる魔力に目を大きく開いた。
「……んん!!? あ、ふ……まにゃか……何か、んん……くるっ」
初めてのキスに呂律の回らなくなった凛恵は押し寄せる真中の魔力にあっぷあっぷする。
「……くちゅ、受け入れろ。早く貰ってくれねぇと……理性が持たねぇ」
真中は一回離した唇を再び合わせる。
出来るだけ、優しく触れていた唇が次第に荒っぽくなってくる。
真中の中の男の部分が、普段見せない凛恵の表情に反応して居るのだ。
(暖かくて、いっぱい……これが、真中の魔力……)
ごくり。溢れた唾を飲み込むと真中の魔力が身体に溢れた。
真中に一言言おうと顔を覗くと、先程の凛恵の様な苦しい表情をしていた。
「大丈夫か真中!?」
「ああ……大丈夫、だから……こいつらを如何にか……して、くれ」
真中が途切れ途切れの言葉で現状の深刻さを告げる。
魔力の大半を渡した真中がリリスの攻撃を未だ受け止めていることは、単に真中の根性の賜物だろう。
玉の汗を流す真中に力強く頷くと、右手で掴んでいた正宗にありったけの魔力を流した。
すると、鈍い紫色の光が刀身から溢れて来る様だった。
「こいつは腹っぺしでな。魔力を食わせれば食わせる程に強くなる。今の正宗にしてみれば、こいつらなんぞ餌に過ぎん……真中、お前の魔力、有難く使わせて貰うッ!」
ハァァッ!
腹に貯めた息を思い切り吐き出しながら正宗を振るった。
スパンッと小気味の良い音を弾けさせると、目の前の闇から光が滲んだ。
「……待たせたな、友達」
その声は、怒りに打ち震えていた環薙の心を現実に戻した。
はっとその声に気付いた環薙は振り返って大声て呼んだ。
「……遅いわよ、友達!」
リリィは凛恵の復活にそろそろ潮時だと思っていた。
魔力はかなり消費し、相手は負傷どころか攻勢に転じている。
このままやり合えば負けるとは言わないが負傷で済むかどうか……。
(くふ、まあ目的は達成したし……そろそろ逃げようかしらぁ?)
逃避の一手を投じる寸前にチラリと視線を動かす。
(あの少年は……ファティルが言ってた変な男かしら?)
ふん、と鼻息を吐いて「まぁいいわ」とドレスを翻す。
「ご機嫌な所悪いけれど、私はもう疲れちゃったから帰るわぁ。ばいばーい」
「……んな!? 逃げる気!?」
「そっ、代わりに私のかわいこちゃんを置いて行くから許してねっ」
そう言い残して黒い煙となって消えたリリィ。
消え去ったその場から黒い濃霧が吹き出し彼女が言った通り、代わりとなる者が現れた。
ーー悪霊の騎士〈首無〉。
頭部の無い鎧の騎士がガシャリと四肢を軋ませる。
「逃げられたか……」
「でも、まだあいつが残っているわ」
「そうだな、環薙……ここは私に任せてくれないか?」
「……え、でも」
「案ずるな、一撃で屠ってみせる」
「……分かったわ!」
環薙は下がり、凛恵が前に出た。
首の無い騎士と日本刀を持つ西洋の騎士が相対する。
「……行くぞ」
正宗を下段に構えると、その場から消えた。
否、消えた様に見えた。
環薙の視界に映ったのは、凛恵が首無の後ろで正宗を鞘に収めた瞬間だった。
「魔呀残月……」
カチン。刃を収めた音が響くと、首無〈デュラハン〉を形成していた魔力が残り香が揺らめく様に正宗に吸われて消えた。
「この技は魔を砕く」
ふっ、と鎧が消え去ると元の服装に戻る。
振り返ると、だきっ。環薙の小さな体が飛び込んで来た。
「心配したじゃない。バカ……」
「すまない、環薙……」
そのやり取りを真中は遠くで眺めていた。
今回自分がやれる事は少なかったが、知り合いの二人が仲良くなった様で良かった。と。
次第に人が集まり始め、フラつく足でその場を去ろうとする。
凛恵が気付くが、真中は人差し指を立てて「しぃ」と口を動かす。
何故なら今消えれば環薙にバレずに消える事が出来るのだ。
あれだけ仲良くなった凛恵にキスしたのがバレたら……。
(最悪、マレフィキウムされかねねぇ……はぁ)
太陽神の天罰が下るに違い無い。
しかし、相当魔力を消費した真中は、帰り際八百屋で魔素が含まれたリンゴを買ってシャクリと齧る。
(甘ぇ……)
晴れて橙色の夕日が照らす街並みを今回の功労者はゆっくり歩いて行った。
「ねぇ、どうやってあの時助かったの?」
一方、環薙は凛恵に不思議に思っていた事を尋ねていた。
凛恵は真っ赤に顔を沸騰させると、目を閉じ、言い訳を考え、一番しっくり来た言葉で答えた。
「私の王子様が、助けてくれたのだ」
その笑顔は、中学の時、助けてくれた真中に向けた笑顔と同じ輝きを放っていた。
ごめんなさい、間に合いませんでした。