第一話「ノーカウント」
この世界には魔法という概念が存在する。
それは、物語の中だけのファンタジーではなく、人間が実際に使える物だ。
数十年前に、魔素と呼ばれるエネルギーが発見され、その魔素は何百種類も存在する事が分かった。
魔素は他の魔素と結合し、魔力と呼ばれる力へと変わる。
そして、魔素の種類によって魔力の性質が変化し、肉体を強化したり、自然現象を起こす事も実験で証明された。
今ではその現象を魔法と呼び、その魔法の強さを競うスポーツ、魔道が盛んになっていた。
しかし、俺、魔渡真中は魔法が嫌いだった。
魔法とは、魔素の結合によって生じた魔力の作用効果の事である。
だが、本来人間一人では魔法を使う事は出来ないのだ。
何故なら人間の体で作り出せる魔素は限定されており、魔法を放つには外部から魔素を摂取しなくてはならない。
その魔素は必須魔素と呼ばれ、魔力の精製に必要不可欠とも言われた。
そして、その食べ物とは……。
「…………はぁ。やっぱ食えん」
田舎と都会の中間にある平凡な街のマンションの一室。
真中は朝のコーヒーと共に用意した“バナナ”と睨めっこしていた。
ただしこのバナナ、普通のバナナでは無い。
魔素が発見されて早数十年。
魔素を外部から取り入れる方法として、一番効果が大きかったのが“果物”である。
とある農夫が栽培した果物から大量の魔素が検出され、高値で取り引きされた事から、全世界の農家が魔素を含む果物の栽培に夢中になったのだ。
今ではそこら辺のスーパーで売っている果物は魔素を含み、産地と共に魔素の種類が書いてあるくらいだ。
そんな魔素入りバナナ。
それは、真中の大嫌いな食べ物であった。
否、バナナが嫌いなのでは無く、果物が嫌いなのだ。
昔、腐ったバナナに当たり。死んだ方が楽になれる体験は未だ記憶に新しい。
頬に汗を一粒流し、バナナの皮を剥く。
むっとしたバナナの匂いが鼻腔に遠慮無く上がり込んで来る。
「やっぱり……無理だこんなもん! 人間の食べ物じゃねぇ!」
勿体無い事に、真中は剥いて一口も口にしていないバナナをゴミ箱に放り投げた。
「あぁもうやってらんねぇ……つか、魔力くらいこんなん食わなくても作れるっつの」
真中はコーヒーで口直しならぬ花直しをして、学校指定の鞄を掴み、家を出た。
真中の家は学校から大体徒歩10分。
6帖の洋室にダイニングキッチン付きの1DKである。
高校生の真中には身の丈以上の物件だが、親がこのマンションのオーナーで、親バカな所もあり、寧ろ住まわされたと言った所か。
真中が家を出て向かった先は、近所の商店街だった。
魔法の説明では魔法を人間一人で使う事が出来ない筈なのに、使えてしまう真中はこうやって学校をサボろうとする。
何故なら、真中は他人とは違う自分を恐れていたからだ。
まあ学校で無理やり果物を食わされる所為も半分くらいの割合で存在したのだが。
「今日は新しく出来た本屋でも行くか……」
商店街は店の移り変わりが激しい。
寂れた店はいつの間にか美容室に変わっていたりするし、飲食店や居酒屋も新しい店が並んでいるのだ。
「……なんか、変だな」
店が変わっている事では無い。
マンションから見えた商店街は早朝にも関わらず、学生や社会人で賑わっていた筈だ。
にも関わらず、現在真中の周囲に人は居ない。
「あぁん? 人除けはしたんだがなぁ」
真中は急な声に反応して振り向いた。
人気の無くなった商店街の通りに一人、黒のローブを羽織った謎の男が突っ立っていた。
顔はフードで見えないが、口元は嫌らしく歪んでいる。
「まぁいいか。おい、この辺でちっけぇ黒髪の女を見なかったか?」
「見て……ないな」
上手く動かない顎を無理やり動かして答えると、ローブの男は舌打ちをし、踵を返した。
「逃げられたか、しゃあねぇ……」
気が付くと男は消え、人は何時も通りに戻っていた。
(……なんだったんだ?)
冷や汗を拭い、商店街を脇に逸れる。
何故だか今は、この賑わう商店街に居たく無かったーー。
室外機が風情無く回る商店街の路地。店の裏側は住宅街で、次第に静かになってくる。
一回家に帰るか、路地の角を左に曲がって自宅に戻ろうとした時、真中の目に驚く物が写った。
いや、物では無く、人だった……。
「おい! 大丈夫か、しっかりしろ!」
学生向けアパートのゴミ捨て場。
捨てられた人形の様に横たわる少女に慌てて声を掛ける。
「……ッ!?」
よく見ると傷は浅いが体の端々から血が流れている。
そして、近付いて分かったのだが、呼吸が浅く、息を吸う間隔が狭い。
酔い潰れた大学生の兄ちゃんみたいな症状だが、大学生には見えない。そう、恐らく違う。
これは、魔力切れの兆候だ……。
どうする?
自問するが、急な出来事に一つしか思い浮かばない。
それは、真中の持つ特異な能力、絶対あり得る筈の無い力。
魔力渡し。
他人に魔力を譲る能力。
魔素を果物で摂取して魔力を生産する普通の人なら眉唾ものの能力だ。
だが、だがこれがバレたら……。
脳裏で逡巡する真中。
今までひた隠しにしてきた能力をそう安々と使って良いのか?
「……うっ……ぁ……」
少女の苦しそうに歪んだ表情を見て、真中は決意する。
「チッ、おい、落ち着け。今から魔力を渡す……ちゃんと受け取れよ」
真中は少女の唇に唇を合わせた。
水々しく柔らかい。
少しだけ開いた口に自分の魔力を並々と注いで行く。
「……んっ……ん?……んん!?」
目をパッと開いた少女と目が合ってしまう。
瞬間、ボッとライターの火が着いた音が聞こえ少女は顔一面が真っ赤になった。
「ぷはっ……え、ええ……!?」
大分狼狽している少女。
だが、説明する訳にも行かず、これでは唯の変態じゃないかと思えて来た。
「……楽になったか?」
「え? ……あ、そう言えば」
「ん、なら良かった」
今度は服がボロボロなのに気付き、制服のブレザーを放り投げる。
「わっ……」
少女の視界がブレザーで遮断されている間にその場を後にした。
(魔力送ってる間に起きるとか……最悪だ……)
しかし、まあ大丈夫だろうと楽観的に考える。
なんせ相手は小学生にしか見えない程小柄だったのだ。
ノーカウントって奴だろう。
サボる気も失せた真中は進路を学校へ変えた。
時間はまだ間に合うし、家に居ても今日の出来事が異質過ぎて大人しくしていられる気がしなかったからだ。
「真中、いつも私はゆとりを持って行動しろと言っているのだが、お前の耳は飾りなのか?」
教室に着くとHR5分前だった。
机に鞄を乗せると、目の前に巨大な双丘が現れた。
顔を上げるとクラスメイトの姝刄凛恵
「姝刄……」
「その名は好きじゃない。へんてこだからな。私の事は凛恵と呼べ……これもいつも言っているのだがな」
名前で呼ばない真中に溜息をつく凛恵。
女子が苦手な真中は基本女子の名前を呼ばない。
だから、何時も名前で呼ぶ事を要求してくる姝刄には困っていたのだ。
それに容姿が非常に整っている故、余り親しくすると男子の視線が気になる。
この学校では、真中は不良で通っているので真中が気にする事は無いのだが本人は自覚していない。
「そういやさっき可笑しな事があってよぉ……」
「ふむ、聴いてやらなくもない……」
なんとも微妙な返答に呆れる真中だったが、これは何時もの事で「じゃあ聴いてくれ」と、言うと「心得た」と返す姝刄。
この凛とした金髪の少女は、騎士を彷彿とさせる言葉使いで有名だ。
「して、妙な話とやらを聞こうではないか」
「それが商店街でよ……」
話し始めた真中だったが、直ぐにそれは中断させられる。
HRの時間だ。
担任の藤本先生が生徒を座らせた。
「仕方あるまいな」
「ああ、また後で聞いてくれ」
姝刄は頷くと席に戻った。
クラスが静まると、藤本先生はにこやかに話し始めた。
「えー今日は、このクラスに転校生がやって来ました!」
藤本先生の言葉にクラス騒然。
一斉に喋りだす生徒達を「静かにしてっ」と宥めて。咳払いを一つ。
「こほんっ。それじゃあ一之瀬さん。入って来て」
ガラガラ。ゆっくりと開けられた扉から小柄な少女が入って来た。
(あ、あいつは…………)
嫌な汗が吹き出る。
あの少女は、さっき商店街裏の路地で助けた女の子だ。
小学生だと思って油断して居たが、真中はどうやら勘違いしていたようだ。
「一之瀬環薙です……ちらっ」
(うげっ……こっち見やがった)
よく見ると手には紙袋が握られている。
中身は恐らく……真中の制服。
「それじゃあ席は彼処ね、間渡君、前の席なんだから仲良くして上げてね」
最悪だ……。
よりによって後ろの席なんて。
一之瀬は俺の横で止まると、制服の入った紙袋をドサっと落とした。
「……ふんっ」
そして、可愛い鼻息を一つ吹くと自分の席に座った。
背後と先程のやり取りを見ていた連中の視線が痛い。
あぁ、何て日なんだ……。
真中は逃げ場を失い机に突っ伏した。
本日、22時に第二話投稿予定です。