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6.田浦の動機

「田浦さん。まず年齢とご職業をお教えいただけますか?」


 メモ帳とペンを取り出して、新しいページに田浦永典の名前を書いた。僕は壁に寄りかかり、ベッドにどかりと座った田浦に視線をやった。物珍しそうに部屋を見渡していた田浦の耳が器用にぴくりと動いた。


「歳とか仕事とか、そういうの関係あんのかよ? もし俺が危ない仕事とかしてたらすぐに犯人扱いとかされる訳?」


 ポケットに手を入れて荒々しく足を組む。そして下から睨み上げた。未だ上達しないその表情がこの男の本質を示しているような気がしないでもない。しかしそれを追及したりはせず、冷静に対処する。


「まさか。通例の質問ですよ。こういう基本的なところから始めないと事が進みませんから」

「ちっ、昨日から思ってたが、お前何かむかつくな。いけ好かねぇ、ってお前みたいなのに使うんだな」

「それは残念です」


 あくまでその態度を示すと、盛大な舌打ちに続いて大きな溜息をつく。それから吐き捨てるように、二十八、工場勤務、とだけ答えた。

 やはり画家ではないらしい。それならその出で立ちは趣味なのだろうか。素直にそう訊ねると、田浦はかっと目を見開いて喚いた。


「趣味だと、あ? 工場勤務だからって馬鹿にしてんのか。こっちは画家になるために必死こいてんだよ! それくらい見抜けよ、探偵なんだったらよ!!」


 無茶なことを言う、と思ったが確かにもう少し言い様があったとも反省する。失礼しました、と謝罪すれば鼻を鳴らしてそっぽを向かれてしまう。これでは肝心な話が聞けないかもしれない。

 田浦が今の状況を悩んでいるということだけは分かった。それが仕事へのコンプレックスなのか、画家として芽が出ないことへの劣等感や焦燥感からなのかは不明だが、とにかくそうした問題が田浦の“地雷”になっていることは確かだ。

 どうにか体制を整えなくては。どうしたものかと思案していたが、ふと思い付いてポケットから写真を取り出し手を伸ばす。


「この写真を覚えておられますか?」

「あ?」


 田浦は僕が差し出す写真を受け取らずにじっと見て、それからはっと目を大きくした。


「これはいつ頃の写真でしょうか?」

「……五年前。あの店に通い始めた頃だから、四月の初めだ」

「どなたが撮られたのですか?」


 写真には田浦と北川さんのほぼ全身が写っている。地元の人間が写真を撮るのにわざわざ通行人に頼むというのは考えにくいから、誰か知り合いが――柴山辺りが一緒に居て撮影したのだろう。 そう思ってした質問に、田浦は呆れたような顔でこちらを見ていた。


「撮ったのは北川さんだ」

「え、でも」

「三脚とセルフタイマーがあるだろうが。探偵ってのは馬鹿でもできんだな」


 言われて気付く。その可能性は考えなかった。馬鹿にされても仕方がない。

 しかし最近は手軽に写真を撮れるようになったというのに、三脚まで使って撮るとはなかなかに本格的だ。そんな考えが伝わったのか田浦がにやつきながら、教えてやるよ、と言う。


「北川さんはな、カメラが趣味だったんだ。でもその実力はプロ並みだった。その写真もかなりいいだろ?

 あの人はすげぇ人だった。こんな田舎の小さな画材店じゃ収まらねぇくらい、すごい人だ。」

「実績が、ということですか?」

「それだけじゃねぇ。センスも感覚も、並外れてた。俺みたいな凡人とは違って、生まれながらに芸術の神に愛されてんだ。

 ……だから俺は、あの人が凉原奏だって知ってもそんなに驚かなかった。憧れだった画家が北川さんで、寧ろ納得したくらいだ」


 田浦の言葉や表情には、終始北川さんへの厚い尊敬の思いが込められていた。しかしそんな才能の人を間近で見てきたことは、夢を抱いた彼にとって自身を苦しめる結果になったのではないかとも思う。無意識に比較しては、才能やセンスの違いを見せつけられて自分は凡人だという思いを強めてしまった。

 それがこの五年前と今との表情の違いに表れているのかもしれない。


「田浦さんは北川画材の常連だったんですね」

「あの店では何でも揃うからな」

「五年前に通い始めてから今まで、北川さんに変わったところはありませんでしたか?

 例えば、何かに悩んでいたとか」


 ねぇな、とすぐに答えが返ってくる。


「店には通ってても、それだけだからな。そもそも変化に気付けるほど北川さんのこと、よく知らねぇし」

「ではどういった経緯で、彼が凉原奏だと知ったんですか?」


 その顔は明らかに何かがあると語っていた。

 田浦が北川さんのことをよく知らないというのは本当のような気がする。答えた時の表情もこれといった変化はなかった。けれど正体を知った経緯について訊ねた瞬間、秘密を暴かれたみたいに不安でどうしようもないような目をした。口を塞ぐように唇をしきりに触ってもいる。恐らくこれが、田浦の疚しい何かなのだ。


「そりゃ、教えてもらったからだ」

「徹底して隠してきたものをそんなにあっさり明かすでしょうか?」

「そ、そんなこと知るか! あのおばさんだって知ってただろ。俺が知ってちゃいけないのかよ?」

「久留米さんは“北川廉太郎”については知らなかった。でも貴方は両方を知っている」


 今のこの段階では、彼の持つふたつの顔をどちらも知っていることは、彼との関係性を計る上で大きなポイントになる。


「北川さんのことはよく知らないと言いましたよね? それは同時に、北川さんも貴方のことを然程知らなかったということにもなります。

 言っては悪いが、五年とはいえ貴方はただの常連客。そんな相手に話すほど、その秘密は軽くない筈です」


 はっきりそう言うと、反論する言葉がないのか口篭る。開いた唇から噛み締めた歯が覗き僕を威嚇するが、それとは裏腹にその瞳は不安定に揺れていた。


「僕は貴方の心の内を暴きたい訳じゃない。ただ可能性をひとつずつ消して、真実を知りたいだけなんです。」


 話してもらえるようできるだけ誠実に、懇願するように言葉を掛ける。

 弱く頼りないが虚勢を張る田浦はきっとこうすれば話してくれる、そんな自信があった。これは僕が弱いやり方だった。――この男は、どこか僕と似ている。

 視線を彷徨わせる田浦はぐっと強く目を瞑って、同時に皺になるほど膝元の生地を握り締めて、そのまま口を開いた。


「ただの好奇心だった……」


 告白は、そんな言葉から始まった。


「丁度一年くらい前だ。その日は、貸してもらってた画集を返しに行った。感想とかも話したかったから晩飯を一緒にとか考えて、閉店ぎりぎりの時間を狙った。

 でも行ってみたらもう店は閉まってて。諦めて帰ろうかと思った時に、その先を北川さんが歩いてるのが見えて、声を掛けようと追いかけた」


 この常連客は画集の貸し借りをするほどには親しい間柄だったようだ。そして北川さんが凉原奏であることを知ったのは、約一年前。久留米よりも半年は後らしい。


「それで、声を掛けた?」

「いや……歩くのが早くて追いつけなかった。薄暗くて見えにくかったのもあって、辛うじて背中が分かるくらいの距離でそれ以上詰められなかった。

 もう途中からは、どこに行くのかとか、どんなとこに住んでるのかとか、そんな好奇心で後を付けてた」


 本当の田浦はこちらなのだろう。先程までとは打って変わって静かで大人しい。被っていた狼の面を剥がされた子羊のように、一回り小さく縮こまっている。この男もやはり、隠し事は苦手なようだ。言ってしまった方が楽になれると感じたのか、止まることなく話してくれる。


 蔦で覆われたアトリエを見た時、自分が物凄いことを成し遂げたように感じた、と田浦は言った。ひっそりと隠されるように建つこのアトリエに辿り着いたなら、確かに宝を発見した主人公のように気分は高揚するだろう。その気持ちもよく分かった。


「だから気が大きくなって、何も考えずドアを開けた。鍵はまだ閉まってなくて、開けて中を覗いたら、北川さんが驚いた顔で俺を見てた」

「そうして彼から聞くことになったと」

「多分、あの人はまだ隠すつもりだったと思う。でも俺がサインの入った絵を見つけたんだ。昨日まで描いていた作品だって後で言ってた。

 俺がそれを見つけたから、仕方なく話してくれたんだ……」


 田浦はそこまで話すと、俯いていた顔を勢いよく上げて僕に縋りついた。思わぬ力で腕を掴まれて、持っていたペンが床に落ちる。


「俺はやってない、殺してなんかない! 脅そうなんて、そんなつもりもなかったんだ、ただ!」

「お、脅す?」

「違う! だから違うんだ!」


 落ち着いてください、と声を張って半ば錯乱状態だった田浦を宥める。抑えた肩が少し震えていた。

 脅す、とは何だろう。凉原奏であることをネタに? そんなつもりはなかった、とは二人の間のやり取りに近いものはあったということなのか。でもそこには認識の違いがあった?

 重要な部分が抜けていまいち話が見えなかった。


「脅していると北川さんに勘違いされていたんですか?」

「……あの人が俺を疑ってたなら、そのことしか、考えられない……」

「一体何があったんですか? どうしてそんな勘違いをされたんですか?」


 問いに反応して僕の顔をじっと見る。痛々しいほどに眉間に皺をよせ、それから項垂れるようにして俯いた。薄く開いた口から零すように言葉を吐く。


「絵を買いたいって言っただけだ。……けど、断られた。何回もお願いしたけど、毎回断られた。」


 絵が欲しい、と強請ったのかとも思ったがそうではないらしい。ただ買いたいと申し出ただけだった。それをどうして脅していると勘違いするだろう。寛容な彼がまさかそんな風に思うとは思えなかった。――僕が短時間で見た彼は偽りだったということなのか。

 しかしどうして断ったのか。買ってくれると言っているのに断る理由が見つからなかった。


「断られた理由は、分かりますか?」


 聞いてはみたが、ふるふると首を振るだけ。その時気が付いた。田浦が彼に対して呟いた、理由くらい教えてほしかった、という言葉。それはこういう事だったのだ。

 ――どうして絵を買わせてくれなかったのか、納得のいく理由を教えてほしかった。

 だがそれが分かっても、田浦が犯人かそうでないかを判別する材料にはならなかった。

 僕みたいに臆病な人間は、人殺しのような大きな行動を起こすことはできない。どれだけ感情が煮詰まってもそこまでだ。田浦も同じようなタイプだろう。けれど稀に行動を起こせてしまう人が居る。弱いのに、いや弱いからこそ、感情が自分の許容範囲を越えて走り出してしまうのだ。田浦がそうではないと一概には言い切れない。


「……君だけは裏切りたくない」

「え?」

「純粋に凉原奏を憧れとしてくれた君だけは、裏切りたくない。……そう言われた」


 それが彼の理由だった。とても漠然として、不可解だ。純粋に尊敬してくれている相手なら尚更、その申し出は嬉しい筈。裏切る、という言葉が金銭的な問題を示しているとは到底思えなかった。

 田浦に絵を売ることが本人への裏切り行為になると、本気でそう考えていたのだろうか。相手の求めに応えることが裏切りとなるのは、一体どんな時なのだろう。

 また、「純粋に憧れとしてくれた君だけは」というフレーズもさらりと流すことはできない。つまり田浦がそうでなければ――凉原奏を憧れとする画家志望でなければ、売る意思があったということなのかもしれない。


 聞けば聞くほど、北川廉太郎という男の存在が遠くなっていく。答えを見つけるためには彼自身のことをもっと深く知らなければいけないのかもしれない。


「分かりました。北川さんは他にも何か隠しているのかもしれない。それを知れば、彼が絵を売ろうとしなかった理由も分かるかもしれない。

 引き続き協力していただけますか?」


 田浦は本当かと問うように僕の瞳を覗く。正直なところ絶対とは言えない。それでも、卑怯だと言われても僕がしなくてはならないのは犯人を見つけることなのだ。

 自信ありげに頷いてみせると田浦は素直に、分かった、と答えた。隠すものが無くなったからかもしれない。幾分落ち着いた表情で小さく息を吐いた。


「では、アトリエに戻って柴山さんを呼んでいただけますか?」

「……あぁ。おっさんは古い付き合いらしいから、色々知ってると思う」


 のそりと立ち上がってゆっくりとドアまで進むぎこちなさに少し心配になる。ノブに手を掛けた田浦は振り返らずに一言零す。


「……頼んだ」


 出て行く背中を見送り、手にした写真に目を落とす。絵を買わせてもらえなかったことで、拒絶されたように感じたのかもしれない。自尊心の欠け始めていた田浦に、それは大きなダメージとなった筈だ。不信感よりも寂しくて、ただ明確な答えが欲しかった。そうして自分を変えていく姿は、親の気を引きたくて反発する幼い少年のようだと思った。




<お話しは終わったの?>


 左耳のイヤホンから声が聞こえる。久留米の声だ。

 田浦との話の最中、誰の声も聞こえなかった。大した音すらなかった。互いに気を遣っているのか、動くことすらできないほど物思いに耽っていたのかは分からないが。


<おっさん、次はあんただってよ>

<そうか>


 床と靴が擦れ合う音が近付いて、遠のく。続いてドアが閉まる音がする。

 暫くしてコンコンとドアを叩く音を、右耳で捉えた。小窓から寂しい頭が見える。どうぞ、と声を掛けると柴山が入ってきた。


 

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