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Epilogue

「いててて……」


 消毒液の独特な臭いが鼻を掠め、右の頬に痛みが走る。かっと熱くなった気がした。


「このくらい我慢するのよ!もう、無茶したら駄目よ?」


 視界一杯の高橋さんが呆れ顔で言う。そして逞しい指で力強く絆創膏を貼ってくれた。――余計痛くさせられている気がする。

 だけど感謝しなくてはいけない。救急箱なんて用意のない僕のために、わざわざ家から持ってきてくれたんだから。


「木から飛び降りるのはやめなさいね」

「前回はちゃんと着地できたんですよ?」

「……やめなさいね?」


 高圧的な顔面が怖すぎて、はい、の返事が裏返った。好きで飛び降りた訳ではないのだけれど。

 前回できた左頬の傷はもう完全になくなっているが今回の傷はもう少しかかりそうだ。それでも降りれなくなった子猫を助けられたから良しとしよう。


「じゃ、帰るわ。頑張るのよ。探し物屋さん」

「はい、ありがとうございました」


 高橋さんは地響きと共に帰っていく。また階段が欠けていくのを想像して少し悲しくなった。

 開け放した窓からは高らかな蝉の鳴き声がする。子供の駆けていく足音や奥様方の豪快な笑い声も聞こえてくる。熱を持った頬を冷やすような、真夏にしては心地の良い風を受けながら、瞼を閉じて呟いた。


「平和だな……」



 彼のような人にはもうこの先も、会えないような気がしている。

 あれから約一ヶ月。彼の死はひっそりと伝えられた。混乱を防ぐため、“凉原奏”というワードは一度も出てこなかった。ただ彼が亡くなったことと、柴山が自首したことだけが端的に報道されていた。

 同時に“凉原奏”は引退を表明した。目の病について正直に告白したFAXがマスコミ各所に送られたのだ。日本、いや世界中で惜しむ声が上がっていた。ニュースでは専らそのことが取り上げられ、隣の県のここですら田舎の小さな事件には興味がないとでも言うように、彼の死の悲嘆さは押し流されていた。


 これで良かったのだと思う。警察に掛け合ったのは僕だし、FAXを送ったのも僕だ。全ては二人のためにお願いされた通りに行なっただけだけれど。それでもやはり、その無常さに何度も後悔しそうになった。

 本当のことを知れば人々はどんな反応をしたのだろう。裏切られたと思うのだろうか。誰に向けてかは分からない哀れな思いを抱くのだろうか。

 しかしどんな反応を示したところで、やがては風化し初めからなかったみたいに消えていく。あまりに無常で、空虚で――人間らしい。

 

 今、彼等はどんな思いで大切な人を失った日々を過ごしているのだろう。

 アトリエは田浦が譲り受けることになった。そこで二人の“凉原奏”の思いに寄り添って、今まで以上に本気で画家を目指すそうだ。真新しいつなぎを身に着けた田浦は少しだけ精悍な顔付きになっていた。

 画材店は久留米が細々と経営することにしたらしい。絵を愛する者としてどうしてもその店を残したいと思ったと言う。彼の仕事仲間達が手を貸してくれ、もうすぐ正式に再開できることになりそうだ。

 彼等は強い。彼を心に刻み込んで、ひたすらに前を見つめて進んでいる。その姿は眩しくもあった。 


 僕はどれほど人を愛せるだろう。そして、どんな風に歳を重ねていけるだろう。


 そう赤々と海に落ちる夕日の風景を眺めながら思う。

 写真の絵と見比べてもやはりよく似ている。保管室に残っていて破られなかった()原奏の絵だ。


 サインを変えている理由を彼は、問うためだと言っていた。

 それは凉原奏を称賛する人々に真実が見えているかを問うものだと、僕は思っていた。確かにそれもあった筈だが、柴山が連想したのはそうじゃなかった。


「……戻ってくる日を問われていたのだろうな」


恐らく彼は柴山が描きたいと願ったなら全力でサポートしただろう。柴山の絵を唯一待ち望んでいたのは彼だったのだから。

 

 ――どうか、北川廉太郎のことを忘れないでほしい。勝手なお願いだが、どうか。

 この絵を差し出しながら告げた柴山の顔は、どこまでも彼を慕う友のそれだった。溢れ出す涙を拭いもせず、ただそう願う姿が無性に心を騒めかせた。

 忘れる訳がない。あんなにも無条件に友を思った彼という存在を、忘れてはいけないと思う。


 柴山は犯してはならない罪を犯した。それは身勝手で許されないことだ。しかし北川さんの決定もまた明らかな間違いだった。

 二人は誰よりも近くに居て長い時を共にしながら、誰より相手を理解できていなかった。隣合っていながら互いを見ず、二人して前方を見つめているだけだった。

 やはり囚われていたのだと思う。――肩を並べることに。全てを受け入れることに。

 そうして囚われて抜け出せなくなって、見失った。喜びや悲しみを共有してきた時間を。肩を組んで笑った、二人で居る時間を。


 空しい殺人だった。失わずに済んだ筈の関係が、命が消えた。しかしそれを嫌悪できないのは僕が弱いからだろうか。目を逸らしているのだろうか。よく分からなかった。

 ただひとつ願う。彼が願ったように、柴山の未来が少しだけ平穏であるように。自ら大切な友を失ったその心が彼を思い出す時、少しだけ平穏であるように。



 沈まない夕日がいつまでも僕を照らす。あの日見た夕日の色に似ていて、何故か心が凪ぐ。

 彼の――北川さんの思いの強さが表れているようなその赤は、情熱的で美しい。そしてそれはいつまでも僕の一番傍にあり続ける。




 心を掻き乱すような“偽物の探偵”のお仕事はこれでおしまい。

 “探し物探偵”としてたまに傷を作りながら、それでも平和な日々をまた過ごしていく。



プルルルルと聞き慣れない電子音が、一人になった事務所に響く。

 僕の事務所には固定電話はない。設立当初の予定では依頼殺到で常に外を走り回っている筈だったからだ。そのため仕事用の携帯電話がある。しかしこの携帯電話は掛けることばかりで鳴ることは殆どない。――そういえばプライベート用の携帯の着信音も久しく聞いていない。だけどこの音は確か仕事用だ。


「って、出なきゃ!」


 ソファの背凭れを飛び越えて、奥に置いてあるキャビネットの上で充電中の携帯電話を取る。大口の依頼を願いながら急いで通話に切り替えた。


「はい!“探し物探偵”神咲歩です!!」





END

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


本作には「網膜色素変性症」という実在の病名が出てきますが、この病気を抱える方に対する偏見や差別的意図は決してありません。

ですが、この病と犯人とを結び付けたことに関して、不快に思われた方が居られましたら、この場でお詫び申し上げます。

また、最後までお読みいただいたことに再度御礼申し上げます。


お読み頂いた全ての方に、心からの感謝を! 絃羽

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