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第一之譚:たゆたう水面と並木道(7)



【1‐7】



相互関係が跳躍するといった突飛な展開が用意されていた訳でもなく、隆慈は端的な経緯を二人に話したのち、ほんの少しだけ名残惜しい別離を経験した。


再会は絶望的。

――のはずだった。


それを覆したのは、別れ際に白樺灯から手渡された、一枚の札。

“札”とは髄に古風な物言いだが、万が一それを紙切れと直訳すれば、前後の状況からメールアドレスと誤認しかねない。駐車場の彼女は、初対面の男に連絡先を渡すようなちゃちな真似とは無縁に思えた。筋合いも筋書きもない状況化で彼女がアドレスを託すとは、金輪際、考えられない。


隆慈の認識作法は、一撃必中。即、離脱だ。




「名詞……だよな?」

ヒーターの熱を半身で感知しつつ、隆慈は再認識の言葉を呟いた。隆起した片膝の頂に乗せた右手には、一枚の札。



名詞っぽい。



赤い正方形崩れの札には、粗のない白い活字でこう記述されていた。




有限会社

〔メリーメリー〕

秘書/白樺 灯

社員尽力の限り、ほほえみの華を咲かせます。




らしい。

裏面には細かな字で、住所と番地、電話番号が添えられていた。そこは、駅から歩いて十分とかからない距離だ。


宗教の勧誘ではなさそうだ。それより、あの歳で肩書きが秘書とは……。格差社会の浸透。恐るべし。


『いつもの』に戻った自分の考察は相変わらず洒落が効いている。

軽く自覚しつつ、隆慈は体勢を解きながらブラザーを脱ぐ。名詞はそのときにブラザーの内ポケットに収めておいた。ついでにヒーターに休暇を与える。善意ではない。


「…………風呂」

言い捨て、特筆すべき箇所が見当たらない部屋を後にした隆慈は、一階へのアクセスポイントである緩い階段を下った。


階段の存在から言うまでもなく一軒家であることは判るが、契約者の存在が失せた今なおローンは継続中。つまり、一軒家として完全体ではない。

想い出にかかる霞みのように淡い白で統一された一面の壁は、隆慈の視た限りでは純心を忘れずにいる。叔母の配慮だろうか。いずれこの場所に帰って来ると、叔母が信じている実の姉への……。


煩わしい雑念を熟練の術で払い、隆慈は境界なく広がる一階の居間リビングに意識を移す。

品のない笑い声が聴こえた。叔母なはずがない。


中央のソファーでは、上下スーツ姿の叔母が膝にスフレを束縛しながら、定位置に在る無限の窓口へ顔を向けていた。ただのテレビと言えば、それまでだ。

そういえば、スフレは帰宅済み。どういう訳か自主的に。


自分の苦労は何だったんだか……。


そんなことを隆慈が思っていると、

「ありがとね。隆慈」

画面上で繰り広げられる寸劇に顔を向けたまま、うんと優しい声色で叔母は感謝を示した。隆慈は意味もなく癪に感じ、

「なんで?」

と聞き返す。

動作は冷蔵庫の開閉。ちょっとした隆慈の癖だ。




「ふふ……どうしてでしょう」

叔母は振り返らずに一言。漏れた鼻息は、画面上の茶番に対してか?あるいは、西洋の魔女がする不適な笑みか?

あいにく、隆慈には判断つかない。


「は?意味解んないし」


呆れた口調で隆慈は会話を締めくくった。主目的は風呂だ。いらぬ感謝ではない。



雪は止んだのかな?



気になった隆慈は、正真正銘の『窓』を横目で窺う。キッチンに備え付けの窓はやたら狭い。



積もらなかったか……。



曖昧な紫に染まった街の風景に、白はない。




雪は止んでいた。










殺人的な木枯らしを引き連れて、朝は新潟の地に訪問した。

山籠もりの仙人が言うほど、朝は清々しいものではない。一編、厚生機関が世論調査でもしてみたらどうだろうか?


栓なき考察は健康の証。いつもの倦怠感に包まれた朝を察知した隆慈は、一晩のうちに気だるさの巣と化した部屋の換気と共に、さりげなく自身の健康を診断した。

結果、不調ではない。好調かもしれない。


「悪くない……か」寒いけど。

呟き、風で飽和したレースっぽい幕を払った勢いに便乗してベッドを離脱。そのまま迷うことなくトイレに直行。一日の序盤、最初の目的地は階段を下りた先にある。


一日は間もなく、




オン・エア――










「『それに……暗いから危ない』な〜んて、さらりと付け足すんだからぁ。もう、キザかよ!こいつっ……てさあ」

笑っちゃうでしょお、と降参のモーション付きで話す畆宮。

机を舎弟か下僕として扱う畆宮を中心に、周囲にはちょっとした集落が形成されていた。否、前言撤回。集落は過言だ。


「――あれ、智子どした?」


年頃娘の爆笑が炸裂する朝の教室で、ひととおり戯れ言が披露されたのち、畆宮は違和感から尋ねた。

智子と呼ばれたモデル風の女子は変わらぬ姿勢で――笑う畆宮を真剣そのものの顔で直視して、静かに言った。

「チカさ、昨日……なんかあった?

…………ヘン」



ヘン?

――変??



不自然に穏やかな凪のように猛りが萎えた女子の様子に、近くの机に突っ伏した男子が顔を上げた。あの騒音に晒されながらも寝ていたのかどうかは判らない。

窓際では数人の男子が、校門を経由して校内に進入する生徒群を遠目で検査している。知った顔でも探しているのかもしれない。


「あ!五十嵐じゃね?」

一人が下界を見下ろしたまま言った。


「あぁ……五十嵐だな」

「マジ?今日早いじゃん」

「ん、どこ?」


判らない様子の若干二名に渋い顔で一瞥を加え、

「あそこだって。ほら、校門とこ。ビミョーに死角だけどさ」

と、解説する発見者。


「……おぉ、いんじゃん。ココロ容れ替えた……とか?つかよ、朝の待ち合わせじゃね?」

誰かが、そんなことを言った。



待ち合わせ?!



当てのない憶測を信じる自分に気づき、畆宮は鼓動が速くなるのを感じた。周囲にたむろしていた女子は、窓に向かって拡散しつつある。


「ちょっと、行ってくるから」

沈殿した空気の中に一言残し、畆宮はアクションスターさながらに机から疾走の補助をまかなった。マックスゲージの勢力を維持して廊下へ躍り出る。


「行くって、どこに?」

「チ、チカ!?」

「待ちなって」


間際、信頼の置ける数名から声がかかった。説明している暇はない。



ごめん……。



友を無視して突っ走った自分に嫌悪しつつ、畆宮は廊下を駆ける。

これってドラマみたい。と、不本意にも笑みが溢れたが、すぐに気持ちを切り換えた。




勝負。なのだから。










新潟では並木道が流行っているのだろうか?



代わり映えのない。否、季節に足並みを揃えて装いを替える通学路を歩ながら、隆慈はふと思った。

今、隆慈の眼前に広がる情景は、学園ドラマの撮影にはうってつけと言える。ここにハツラツとした主役ヒロインでも駆けていれば、まさに『言うことなし!』なのだが……。


隆慈の躰が命令に離反して固着する。主役ヒロインのフレーズで連想された昨日の下級生の顔を起因にしてだ。無理もない。

あれは、明らかに自分に気がある。素振りが、ではない。態度が、でもない。あえて言うなら、

視線が、

であろうか……。


外部から侵食する“想い”を寸のところで一蹴し、隆慈は造作ないはずの歩行を再開した。足取りは気のせいか重い。隆慈は無視して歩く。



今は“入”のみに一貫されている校門が見えてきた頃、隆慈は壁に寄りかかる不良を視界に捉えた。くどいようだが、五十嵐勝御。


振り向き、五十嵐の口は『お』に変じた。

気づかれた。もっとも、気づかれずに校門を通るのは、例え忍者でも困難かもしれない。


「おう!リュージくん。待ってたぜぃ。これはこれで感動の再会」


身を起こし挨拶っぽい台詞を述べた五十嵐は、手招きで待ち構えるつもりらしい。周りを気にした様子はない。

不自然に速足へとシフトした周囲一帯を横目で窺いつつ、隆慈も軽く同調してみる。足並み揃えてを実践するのは、これが初めてではなかった。


「おぉっと、ちょいちょい。待てば成るって。

リュウちゃ〜ん。最近どうもオレに冷たくねェ?」


背中越しにすがりつく甘えた低い声を聴きながら、淡々と隆慈は速めの歩行を続ける。

まさか、五十嵐とて背中から抱きついたりはしないだろう。そんな認識を隆慈は、微塵も軽率だとは思わなかった。数秒後までは、の話だが……。




???


――隆慈の躰に何かが纏わりついてきたことで放たれた奇声、

「んぬぁあッ?!!」

を意訳するのは、隆慈自身にも無理であろう。


「んな叫ばんでもよくねぇ?」

と、こめかみに吐息がかかる。

背後より癒着する五十嵐勝御から隆慈は全力で離脱し、ふざけんなっ、と短い怒声を水分を渇望する舌でまくしたてた。


隆慈が警戒“全開”で振り返ると、

「男同士のスキンシップだろーに」

隆慈の警戒を凌駕する“満開”の笑みで肯定。


最大限の呆れ顔で躰の軸を戻し、なにげなく前方へ目を遣ると、




――畆宮チカが居た。


一部始終を静観していたようだ。軽蔑を含んだ冷笑を視れば、なんとなく察しはつく。

憎いほど鈍い自分のアンテナに隆慈は苦笑しかけたが、基より気配なんてのは錯覚だ。自分は正常ではないか。と、苦みを押し殺す。


「へぇ〜。もしかして……とは思ったけど」

言った畆宮の視線は隆慈から逸れ、背に佇むであろう五十嵐へと向けられた。それを『流し目』と呼ぶのかは判らない。現に視線を流した訳だが、異性の気を引くかどうかは隆慈に知れたことではない。


腰に手の甲を当ててから肩で息を吐いた畆宮に、五十嵐は壊れた配管のように詰まった声で、

「なッ、ちょっ、待て。言うな。じゃ、なくて、違う!……誤解。の前に、何がそうなんだ!?」


不審の目で見つめる隆慈に一瞬、視線を送り、続いて多種多様なポーズを試行錯誤する始末。

動揺。それは、比喩するまでもなく明白だった。



は?



隆慈の不審は五十嵐に過密する。目を細め、観察の水準を高める。

ちらと隆慈の横顔を窺ったあと、畆宮が再び口を開いた。

「言えるワケないでしょ。隆慈も聞いてるし、あたしだって言いたくないから」


「だからよぉ、チカはオレのこと誤解してるんだって!!じゃなきゃなんだよ、オレがリュージんこと――」


五十嵐の声は時鈴チャイムに遮られた。幸運かどうかは、もちろん隆慈には判らない。


旋律を聴いたや否や、畆宮はさっさと踵を返して行ってしまった。普段から、締めるところは締めているらしい。




近くで傍観していた男子生徒の観客が数人、こちらを嘲笑いながら校内へ消えていった。別段、気にすることではない。




「………………」

五十嵐は何も言わない。



この人物が無言とは、珍妙な場面ではないか?



思ったが、隆慈は笑えない。代わりに、

「いつもの場所?時間空いたら行く」

渇いた喉を震わせ、隆慈はそう告げた。対して五十嵐は力なく、

「おう……」

とだけ。


急いでもしかたがないと悟り、日頃お世話になっている脚に好きなよう歩かせた。教室へ到るまでに、自販機のコーヒーを摂取しなくてはならない。この方が好都合だ。


「お陰様で喉がカラッカラだし」


思わず本音が口に出た。距離はあるが、五十嵐に聴こえたかもしれない。が、隆慈の知ったことではない。



淡白で薄情――

それが並木隆慈。



心の中で、そう呟く。これが自分のIDなのだと。他人ヒトに優しくなんかなれない。と。

早々と折り合いをつけた隆慈は立ち止まり、確か小銭があったはず、とブレザーを両手で探る。

違和感と共に固い感触。



「札?」

違う、名詞だ。昨夜の。



「『ほほえみの華を咲かせます』……か」

傑作だな。

と、自分で口にしておきながら隆慈は笑った。なぜだろう?


しばらく黙って名詞を見つめ、捨てきれず再びブレザーの内へ収納し、隆慈は歩き出す。




なぜだろう?






自分は何かに――


期待しているのかもしれない。

泣き言ですが、十代の作家が綴れる次元じゃないです。伏線なんか見えないだけで相当ですよ。準ドラマな訳で、登場人物の関係が展開やら進展に従い“すこぶる”変動します。投稿中の連載小説は原作として考慮しているので、完成度はあえて緩めていますが、それでも自信作です。できれば、そっとしておいてくれませんか?あ、ご心配なく、物語は支障なく贈りますから。

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