第一之譚:たゆたう水面と並木道(3)
余談ですが、作家業に関する技術は独学(開拓に近いかな?)です。弱冠十七歳が描き綴る支離滅裂なようでそうでない近代文学。どーぞ。
【1‐3】
昼食タイムを過ぎ急速に出力の弱まるオフィス街で、斎藤善則は失意の底にあった。
今、世間を不謹慎にも賑わせる政治家汚職事件の片隅で、基より時勢の影響を受け易い中小企業は、疑心暗鬼になりつつあった。
以前、斎藤が勤めていたイベント仲介会社とて例外ではなく、日頃から凡ミスの多い斎藤を見る目は当初の蔑視から、日を増すごとに辛辣な睥睨へと変わっていくのを斎藤は肌で感じていた。
それでも会社では若輩の部類に入る斎藤は、持ちまえの若さで憂鬱を払いのけ、努めて快活に振る舞ってはいたものの、何の前触れもなく部長から『明日から来なくていいぞ』と、鋭利な字で退職金と添えられた封筒を差し出されたときには、さすがの斎藤善則も気が滅入った。
褪せることなく苦い回想に蓋を閉め、その手の漫画から箸でつまんできたかのようなサラリーマン風の好青年は、現実に回帰する。
さて、どうしたものか。
溜め息の副作用でずれた縁なし眼鏡を神経質に左手で正した斎藤は、定位置に戻りかけた腕を寸で止め、再び鼻先まで連れていく。
「まだ十四時五十二分。どうしようかなあ……」
ふと目に付いた駅前の某ハンバーガーチェーン店の効力が、何時間も忘れていたままの空腹を斎藤に思い出させたが、周辺にたむろする高校生の男女数人にじろりと観察され、路上に立ち尽くしていた彼は足早に撤退する。
平日の午後に高校生?
テストが近いのかもしれない……。
?!
――小学生?
そう、赤いハッピを纏う十歳ぐらいの少年がそこに居た。
どう見ても、着せられている感のあるハッピだ。サイズが小学生の背丈には大き過ぎる。少年は、非車線のショッピングモールの路上で健気に広告らしきチラシを配布している。
ボランティア活動の一貫だろうか?
にしては、独りで、というのも妙だった。
性急な認識をした斎藤は別のルートを選択するべく右折を試みるが、長年押し込めてきた知的探求心から予想外の妨害を受け、無意識に目標物の在る方角へと九十度方向転換する。
並ならぬ速度で接近する男の気配を察したのか、ハッピの少年は視野の中で肥大化する斎藤を直視する体勢をとった。
対峙する、
斎藤とハッピの少年。
「もしか!依頼の相談だったり?」
先に言葉を発したのは以外にも少年だった。
このぐらいの年頃の子供はある程度は人見知りするものだが……。
無論、斎藤の偏見だ。
自分がそうであったから他人もそう。
「依頼???
えっと……そうじゃなくてさ。君……小学生だよね。何してるのかなぁ?お母さん……いや、友達は近く?ボランティアは良いことだけどさあ、独りでっていうのもアレじゃないかなぁ。
あ、ごめん。アレって言っても小学生にはわからないよね」
胡散臭いほど口調を優しく加工したつもりだ。
が、少年は可愛らしい口許を不適に吊り上げ言ってのけた。
「ふふ〜ん。そういうことかぁ……。
おじさん。今、失業中でしょ?そーゆーことなら早く言ってくれなきゃダメじゃん。今さー、ウチの会社では人手がガラ空きなんだよねぇ。
あ……っと、ウチってのは僕んちのことで一人称じゃないよ。ご注意」
「……………………」
言葉を失うとは、まさにこのような状況を指すのだろう……。
心底投げ遣りになった斎藤は、得意げに微笑むハッピの少年にどういう訳か微笑み返さずにはいられなかった。
周囲から明らかに浮いた珍妙な会話を展開する二人を置き去りに、時間は街を往来する人々と共に通り過ぎる。
空は、依然として蒼い。
「お前の言う相談ってどんだけぇ〜。なあ、親友としてだんまりはよろしくないぞ。
そうそう、テリヤキバーガー好きだろ?ほら、リュージ的に」
またそれか……。
目的地への長いが険しくもない道のり。五十嵐はずっとこの調子だ。
「だから、問題の共有」振り返っての一言。
それ以上でもそれ以下でもない。隆慈はいかなるときも素直だ。
「ちゃう!オレが訊きたいのは内容。ずばり脈ありかどうかだ。
かなりの上玉だぜ……、ありゃあよ。オレはさ、リュウちゃんが心配。」
両腕を機敏に動かし返答を促す五十嵐の声を空返事でやりくるめながら、隆慈はほんの数十分前の談話を想起していた。
「実はね。相談……なんですけど」
親しみの色が濃い語尾と無器用な敬語が化学反応でも起こしそうだ。
隆慈の場違いな妄想をよそに、下級生は続ける。
「離婚しちゃうかもなんです!」
「は?」
意味が判らない訳ではない。なぜそれを自分に言うのかが解らない。
「いや、なんで……」
当然の質問。
「えっと……どう言ったらいいのかな。
夫婦の会話が減ってきてるって言うか……。前はこんなんじゃたかったのに……」
そう言い、やたら長いまつげを伏せる。
つか、そっちじゃないし……。
隆慈が尋ねたかったのは、なぜ自分に離婚の件を話すのか、といった素朴な疑問だが、またも綺麗に誇張されてしまったようだ。
単なる無念で終われば良いが……。
「いやさ、それって普通だと思うけど。夫婦ってそんなもんなんじゃないかな……。
それより、どうしておれに親の離婚とか告げるワケ?それにはもっと他に適任いるんじゃない?」事実、隆慈はそう思った。
一般的に夫婦の仲は冷めるのが普通だし、だからといって関係が破綻するとは限らない。ついでに、適任する相談相手とは身近な大人か学校の先生が順当な線であろう。婚歴おろか人生経験も浅い高校生に相談する内容ではないはず。ましてや赤の他人。しかも上級生の男子に対してだ。甚だしいにも程がある。
「え……それは、あの……わたし……並木くんがそういう境遇だって聞いたから……。それで、つい……おんなじかな……って」木材で構成されるベンチにちょこんと座る少女は、もじもじと言葉を繋ぐ。
何が同じなのだろうか?
もはや演技ではない女優の言葉に心中で疑問符を打ち、隆慈は彼女が知らないであろう正解を発表する。声は微妙に苛つきを含んでいた。
「いや、離婚じゃないし……。しいて言えば蒸発。夫婦揃って雲隠れ。
それでも連絡は寄越す。どういう了見かは知ったこっちゃない。つか、どうでもいいし」
ベンチに両手をつき空を仰ぐ隆慈の傍らで、下級生は憂いを帯びた瞳で同情を訴えている。
隆慈に、それを受け止める気は毛頭なかった。
……今日はやたら胃がむかつく。
ドラマのワンカットのような回想に舌打ちをして、隆慈は喉の奥で悪態を吐いた。
隣を行く五十嵐は、終始ご満悦の様子で特大のハンバーガーを頬張っていた。得意の歩き喰いだ。
「でよ、そのコ名前なんつってた。一年生だろ?オレらの学年にあんなピュア残ってんのいねーし。
やっぱ、リュウちゃんが心配」
必然的に籠った声でくっちゃべる五十嵐の不躾さに呆れつつ、隆慈は歩きながらの応対をする。
「訊かなかったから知らない。興味あんなら調べれば」
「な?!バカ言うな!!そうゆーんじゃねぇ。
オレにゃあチカがいるしな、あんなん眼中にねぇよ」
「あっそ。それよかどうすんの?似非サンタ捕獲作戦。やめんなら、おれ帰るけど。用事あるし……」
「“2”だろツー。
作戦はもう第二段階。奴の行動パターンはオレ様の頭にある。後は現場を押さえるだけっしょ!すぐ終わるって」
子供のようなことを言う五十嵐の声色は、元の響くそれに戻っていた。
「そのパターンってのは駅前の英会話だろ。それって夕方じゃなかったっけ?
なら、まだ早過ぎ」
指摘する隆慈の視線の先にはイングリッシュな看板。視線に追従した五十嵐の顔も、今は英会話塾に向けられている。
「なあリュージ。……用事って、何?」
そんなことまで訊くか?
普通……。




