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第一之譚:たゆたう水面と並木道(1)



【1‐1】



誰かが悪意に吹いたとしか思えない木枯らしが、基より懐の寒い老人の体温を剥奪する。


つい先刻まで火照った顔を惜しげなく披露していた太陽はどういう訳か機嫌を損ね、いつの間にやら群雲のカーテンを見えない手で引いてしまったらしい。

比較的北東に位置する新潟の立冬は、絶えず生命活動を行使する血の通った有機物にとって歓迎したいものではない。


若者から『微妙』と酷評されそうな白髭を蓄えた赤いガウンの老者は、すっかり覇気の失せたまなこで流れる民衆の芥を物色するように歩いていた。

誰もがそうであるように、左右の足を交互に地に浮かせながら……。




見上げれば、駅の真ん前に立ち尽くす華奢な柱の頭部に値する勤勉な器械の針が、短いそれも長いそれも重力に逆らうのを諦め、いつものように“6”と“7”の辺りに停滞している。

月日にしろ時刻にしろ早過ぎるサンタの登場に、街を往来する似たり寄ったりな『大勢の一人』は、感激と解釈するには困難を極める怪訝な表情を老人に見せてくれる。


構わず……否、自覚していない老人は、見るからにリクルート姿の若者ばかりをせっせと黙視している。

当人はこの怪しい行為を“へっどはんてぃんぐ”と称しているが、彼のお目にかかる八割は若い女性のため、サンタクロースに扮した外観も累乗されて見るからに変質者だ。奇跡的にも公務員から職務を質疑されたことは十数回のみ。




これは一般論だが――




充分、多い。










いつになく忙しない早朝の報道番組は、名の知れた企業の代表取締役の失脚から転落までを、事務的でドライな口調で国民に伝えていた。



会社が倒産したら正規の社員は可哀想だな。

家族とかも……。



不自然に小綺麗なリビングのソファーに体重を預け、隆慈りゅうじは平均的な面差しに相応しい虚ろな瞳を喋る薄っぺらい液晶の箱に向けていた。

あらゆる人物の声を真似る薄い箱は現在、生真面目っぽいキャスターの声を必死で演じているようだった。


画面の主導権が姿なきスポンサーに略奪されたのを機に、隆慈は度の強い眼鏡のような妄想を放棄し、不意に手を伸ばした携帯の液晶画面へと両目を移行する。


登録名は――

五十嵐いがらしか。



題>無題


本文>おう!

リュージ様×様!!

相変わらずシャバの空気はオレを洗わせるぜ。でよ、今日もやるぜ!似非えせサンタ捕獲作戦・2。以下同文。

ガッコに例のアレ持参しろよ。頼むぜ色男!



ふぅ。


溜め息と同時に携帯をパタンと畳んだ隆慈は、何の兆しもなく耳許で囁かれた年不相応に甘ったるい声に発作的に反応し、即座にソファーから離脱した。



『あら……かの有名なサンタさんを虐めるなんて感心しないわね』

――と隆慈の頭に余韻を残す声の主は、苦笑を払拭しきれず固まるおいの顔をしかと眺めながら付け足す。

勝御かつみくんからでしょ。仲良いのね。羨ましい」


「いや、それもこれも違うし。たぶん断じて」


無駄と知りつつ叔母の言葉を訂正する隆慈の背後では、再び主導権を奪還し画面上に舞い戻ってきた生真面目っぽい男が、人物の固有名詞に関する誤まりを訂正していた。










「ぬぁあにぃぃ〜。それってどーゆー意味ぃ!!」


真新しい校舎の一室で、政治討論番組さながらに喧しい口論が繰り広げられていた。

ここの生徒であれば楽に予測できる音響現象に、開閉式のドアを経由して窓際の席へと向かう隆慈は冷静な対処をする。


「あのさ。五十嵐は?」


「あー、隆慈オハヨ。かっちゃんなら教員室。諸橋もろはしんトコでしごかれてる。

てか見てわかんない?今こいつとバトル中なの。邪魔したら放課後付き合わせるぞ。もち、かっちゃんも“どーこー”だから」


教壇に隷従するパイプ椅子に奇天烈なポージングで鎮座する女子は五十嵐の彼女だ。大方、隆慈の予想どおりの返答をまくしたてた。

「やっぱし?」

と、隆慈は無難な言葉を返すことで、短い会話に終止符ピリオドを打つ。


前列窓際の席に苦もなく辿り着いた隆慈は微少な違和感を察する。

藍色のブレザーに匿っていた携帯が主人にサインを送るっているっぽい。音もなく痙攣は、着信を暗示していた。

観念した隆慈は、ボタンの填めてないブレザーから携帯を探し当て、通話の催促であることを確認する。愛する自分を悩ませる登録名を頭から切り離し、隆慈は席を起立した。



気温の低下に伴い換気がおろそかになる香水臭い廊下を歩みながら、隆慈はケータイを介しての会話を承諾した。


「で、何?」


「とってもだぁ〜ぃじな用事を失念してたの。

あのね、帰りでいいけど、河島さんのところに預けてたスフレちゃん。迎えに行って欲しいの。ほら、覚えているでしょう?

河島さん。

いつの日かお世話になった町内会の人。シャム猫を愛好していらっしゃるマダムな方。よろしくお願いね」


プツン。




誰?

「つか、返事は……」


どうやら、用件を済ました叔母はとっとと通話を遮断してしまったらしい。


婚期をさらりとひるがえした、今年で三十代の半ばに差しかかる独身OL――

それだけが叔母の全貌ではない。

事実、直属の甥である隆慈も、彼女の盲目なマイペースぶりにはいささか閉口していた。それでも、近年ある事情から成立が危ぶまれている並木家にとって、有能で有望な働き手であるのも事実。



並木隆慈に――




両親はいない。

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