一、魔物食い
ティルクという名の小さな国の片田舎には、名も無き小さな小さな村があった。
古には光を守る種族が住まわっていたとか、力のあるものたちがその地を守っていたとか言われることもあったけれど、そんなものは昔話の中にしかない。
村のそばには、かつて光の生まれ出でる場所と呼ばれていた森……それを嫌う魔族の手により、濃い瘴気にまみれ、魔物の住処となった森があった。
古の聖なる場所は、今や魔の森と成り下がっていた。
その村は、本当に小さな小さな村で、小高い丘に登れば端から端まで見渡せるほど。村人の全てが顔見知りであり、その大半に血縁関係があるというほどだった。
村の中央には教会があるのだが、その建物の中に宿も商店も倉庫もあり、民家以外の建物は、そこで用が済んでしまっていた。
教会を中心に囲うかのように、村の端には6本の柱が建てられており、その内側への魔の侵入は阻まれていた。それが、いつできたものか、誰の手により作られたものかは知らないが、常に村人たちはその力により守られていた。
そして、その柱よりほんの数歩進んだところに、昼なお暗く、魔物の跋扈する森が広がっていた。
私が生まれ育ったのは、そんな、聖の痕跡と魔の浸食にまみれた場所だった。
そんな場所に住まうような人たちは、魔に対しても図太くなってゆくもの。そこいらを魔物が闊歩していても気にしないだけではなく、多少の被害はあって当然。人を怖がり逃げ惑う野生の生き物より、魔に侵され人に襲いかかってくる魔獣たちのほうが仕留めやすいと、日常的に食されていた。
それが忌むべきことであるということは、誰もがわかっていて、そして誰もがただ見ぬふりをしていた。外から人が来れば……そのほとんどが、数年ごとに王都から派遣された魔物の討伐隊なのだが……討伐が行われている間は絶食期間として我慢を強い、彼らが去ればまた、魔獣たちが食卓に並んだ。
どこか歪なその獣たちを食べるのが、ふつうだって思っていた。
角を持つ兎、牙を剥いて襲いかかってくる鼠、嘴に毒を持つ鳥……そんなものを見ては、恐ろしさより美味しそうだと思っていた。そして、法や道理を学ぶ前に、その倒し方やさばき方をまず覚えた。
処理の仕方や対策を知っていれば、どんな猛毒を持つ魔獣も怖くはなく、まだ十に満たない子供であっても、朝から狩りに駆り出されるのがふつうであった。
そのふつうが、村の外の人たちのふつうと異なることなど、知りもしなかった。
狩るべき魔獣に怪我を負わされることも多々あったが……時折、内側から食い破られたがごとき奇妙な遺体が発見されることがあった。まるで、蝋か何かのように、指先からとろけ出す奇病も横行した。狂気にかられて、意味不明の言葉を発しながら、森に駆け込んだり崖から身を投げ出す者もいた。
それでも、狩りにくく数も少ない獣を追い、飢えてしまうよりいくらかマシだと、魔獣たちは食卓に並べられた。
日々浸食する恐ろしさより、その日の飢えの方が耐え難かった……。
お腹が満ちるなら、どんな忌諱すべき生き物だって口にした。巨大ミミズも特大ムカデも貴重な食材で、むしろ村中に振舞われ喜ばれた。毒により舌にピリリとくる感覚も、後で毒消しで洗い流せばいいからと、気軽に味わい楽しんでいた。少量であれば毒も薬だと、村の老人たちは好んで酒に漬けた角や羽根を味わっていた。
「じぃじがまた、一角酒に溺れている……」
朝もやの中を起きだして一番に見つけるのは、大抵この村一番の飲兵衛であるペルト爺。今日も今日とて、井戸の縁に片腕を引っ掛け、地面にでろりと横になっている。おそらく、酒に飲まれて水を求め、ここで寝入ってしまったのだろう。
けたたましいいびきをしているから、死んでいるのかと心配する必要はないが、小さな井戸をふさぐその巨体は邪魔でしょうがない。中に落ちてないだけマシと思いつつ、その不自然な姿勢を解いて地面に横たえ、枕代わりに倒木を置いておいてやった。
側に置いてあった空の酒瓶は、軽く中をすすいで水を注ぎ、その枕元に置いておく。これほどの親切にしてやったのだだから、その駄賃にと、胸元の勲章模造品を一つ失敬すると、自分の胸に飾っておいた。
こんなのも、いつものこと。
小ズルイちゃっかり抜け目無い、それらは誉め言葉であり、正直者はバカである。まずは生き抜くことが重要で、正義は二の次三の次、四の五の言わずに勝てば官軍。
貧乏人には、正しいことや親切心より、少しでも得ることの方が大切だった。泥棒だって、ばれずにすむなら平気でしていた。時折痛い目だって見るけれど、だから真正直に生きるだなんて選択肢はなかった。
身ぐるみ剥いだりとって食いまではしないだけ、善良なものだ。村人たちはみな貧乏で、飢えていて……余裕のある者たちが持つ優しさなんてもの、欠片も持っていなかった。
今日も、夜が明けた……そのことが幸福だなんて、欠片も思っていなかった。
村のみんなが活用している井戸だから、当然ながら朝方は人が多い。それを避けるべく早起きをするうちに、朝一番に顔を合わすのは、夜中まで酒をかっくらっているペルト爺だけになってしまった。
まだ太陽が昇る前の、薄暗いくせにどこか清々(すがすが)しいような白々(しらじら)とした空の下、井戸の中より改めて冷たい水を汲み上げる。まずはと顔を洗って、悪夢の痕跡も洗い流し、手ぬぐいで顔を拭いてから、もう一度汲み上げ水筒にも水を満たす。木を筒状に削り栓をしただけの荒削りな水筒は、きちっと栓をしていても、1時間もすれば空になってしまう粗悪品だが、あるだけマシだ。
家族のためにも、桶三杯分の水を土間の水がめに追加してから、そっと森のほうへと駆け出す。子だくさんの田舎の夫婦の真ん中は、働き手としてはまだ未熟で、かといって子守が必要なほどでもなく、水汲みとか薬草取とか、ちょっとしたおつかいさえこなしていれば、自由の野山を走り回っていても許されていた。
逃げ出すわけではないのに、村から出る時は心が躍った。
白々とした太陽の光は、森の中まで刺し入っている。その木漏れ日はきらきらと輝き、魔の森だなんてことを忘れさせられる。湧き出す清水の細い川が、茂みの影をひっそりと流れ、その傍をたどっていれば、水に困ることもない。獲物も、今日中に一匹でも獲れれば自分の食事、余分に取れれば家族の食事になろうかという程度の考えであれば、あせる必要もない。
振り返れば、まだすぐそこに見える小さな村、その建物の乱立が、一瞬忌まわしく思えてしまうのは、むしろ魔物に近しくなっているせいなのかもと、時折不安にかられる。
私自身、魔物を食し、魔物と戯れ、魔物のすぐ側にいて……魔物との境目を見失いかけていた。
村に戻り、子ども部屋の自分の布団の中にもぐりこめば、それなりに安堵して眠れた。だけど、森の奥にある魔物の近づかぬ木の、中ほどで枝に身をゆだてねうたた寝る時とは、雲泥の差があった。騒がしいいびきと、ともすれば直撃してくる寝相の悪さに叩き起こされる。兄が2人、弟と妹が各1人の貧乏子沢山の家にいれば、それも当然のことと言えよう。
森の中にいたほうが、家事や子守に煩わされず、いたいように生きていられた。いっそ、全てを捨ててしまいたいと、何度思ったことか……それが出来ずに毎度家に帰る自分の弱さに、幾度ため息をついたことか……。
私は、家を、村を出たくてしょうがなかったんだ。




