六、魔女の抱擁
「賢者がどうとか聞いておるんではないわ。魔法に関しても、使えんでもどうでもいい。キサマは……キサマは一体、なんだというのだ」
「……えっと……ん~、魔王討伐の勇者に随行する賢者……あ、賢者はどうでもいいんだっけ? んっと……私の公の身分なんて、賢者以外はないよ? 元魔討伐若年隊? 王宮魔術師の弟子? う~ん……いっそ、ただの小娘って方がマシかも」
「キサマは、どうしてほしいのだ」
言って、初めて気がついた。先ほどから、こいつは何の要求も害意もない。
私に仕えてくる輩は、目をかけて欲しいだとか、声をかけて欲しいだとか、何かが欲しいだとか……そういった要求をしてくるもの。
や……いや、そうでもないか……古参の連中が、何か要求なんてしたことがない。ただ、私が居心地よくあるように以外の何も求めたことなどない。私の要求を問いはしても、私の声に答えはしても、私に何かを求めたことなどなかった。
「なかよく……っていうのもなんなんだけどねぇ……まぁ、そういうことかなぁって思うよ。そう、私は、あなたと、仲良くしたくってここにきた娘……私が何なのかと説明するんなら、それだけで充分だね」
こやつも同じなのだろうか? こやつが考えているのも、そういうことなのだろうか?
ただ、私が居心地よくあるようにと、それだけを考えて来たというのだろうか?
それならば、放っておいてもらいたいものなのだが、その辺りは言わねばわからぬ愚図と言うことなのだろうか。
しょうがないなとため息をついて、眠いのだから出て行けと言う前に、彼女は勢い込んでしゃべり始めた。
「だって……だってだって、こんなに可愛らしくて、こんなに小さくて、こんなに世界に怯えている子を、どうして放り出したままにしておけるの? こんなにもあどけない顔、ぷにぷにしたほっぺ、小さなおててに小さなあんよ、こんなにも愛しいのに、どうして放っておけるというのよ」
思わず、その勢いに気圧されて、ずりっと椅子から転げ落ちてしまいそうになる。そういえば、先ほどうっかり椅子の腕も壊してしまっていたものだから、半身体が椅子の外に出てしまい、その身を彼女の手が支えた。
支えた……だけのはずのその手は、あろうことか私の腕をやわやわと握り、私の手を指先で悪戯するように揺らし、えへらと緩みきった笑みを見せる。
「ま、まぁ待て……とりあえず待て、お前の言うことがよく分からん」
「何がわからないというの? それは、理解しようとしていないだけではないの? それとも、ただ知らないだけ? あなたは、愛されるということが分かっていないから、私の言っていることが理解できないのかしら? いえ、まぁ、私とて、愛するということがどういうことかと問われたら困るのだけれども……いや、そういうことじゃなくって……」
「……いやっ、いやいや、お前は……お前は何を……」
意味の分かるような分からぬような、整理のついておらぬ言葉をまくし立てる彼女。とりあえず一先ず落ち着けと手を振ってみせるも、私の手は魔力を纏わねばあまりに小さくか弱いもので、それにふと触れた彼女はふにゃりと笑った。
何をすれども彼女にとっては、可愛いという評価になってしまうのか、思わず怯んでしまいつつ、何に怯んだのか自分でもわからぬ苛立ち。
可愛いだの愛だの、言われたことのない言葉に思わず戸惑って、だけども意味も知らぬその言葉の甘美さに、妙にくすぐったさを覚えたのも正直なところ。
そういえば、誰かが愛のためだとか愛するだれそれだとか言っていたかと頭の端に浮かんだところで、彼女の両手が私の脇を捕らえ、そっともたげた。
「そうね、何をしたいのかと言えば……」
ふかりと、両頬に感じるの柔らかな乳房の丸み。ろくな鎧も身に付けておらぬその胸元は、肉の柔らかさをつぶさに伝える。感じるのは彼女のものか、どこか花やお菓子を彷彿とさせる甘い香り。
両手でしかと抱きしめられて、その身に押し付けられているのだと理解はすれど、その暖かさとやわらかさといい香りとに包まれて、思わずうっとりと目を閉じた。
初めての、抱きしめてもらうというその行為に、思わずうっとりとまみれた。
ぎゅっと両手で彼女の服を握ると、更に強く私の身はかき抱かれる。
どんなに暖かなな布にも、火にも感じることのなかった、このとろけるような温もり。とろけてゆきそうなその妙な感覚に、この世界に生まれ出でるその前、うっとりとまどろんでいたことが頭をかすめる。
睡魔の纏わり付いてくるようなその感覚、頭の中にもやかかり、寝入りしなの妙な不安すらも入り込む隙のないその眠気に抗えず、真綿の中に潜り込んでゆくような眠りの予感。
私は、初めて、人の手のぬくもりというものを、知ったんだ。
私をその胸に抱きしめて、まるで鼓動をなぞるように、眠気の波を模すかのように、ゆっくりと背中が叩かれる。
どこかで、赤子があやされている様を見たことがあった。その時何とも思わなかったその行為に、これほどまでの心地よさがあると知っていれば、私はその子に嫉妬したのかもしれない。
「キサマは……なんなんだ」
「……うん、じゃぁ、初めから説明しようか。私が賢者と言っても、あなたに会いに来ただけの小娘だと言っても納得できないのなら、ほんっとうに始めの始めっから説明してあげるわ。私は、ね……ティルクという国の片田舎に生まれたの……」




