二、魔女の戦闘
私の爪は鋭くして硬く、そして、その肉は驚くほどに柔らかかった。
今まで、どうしてこの世界を壊さずにいられたのか、自分で不思議に思うほど、私を包む肉はなんとも柔らかくして、もろかった。
とても大切に大切にしていた世界を、自分でぶち壊し、そうして外に出た途端……。
世界を取り巻く全てのものが、私を攻撃してきた。
羊水のたまった肺を作り変えねばならぬほど、辺りは水気が足りず、汚れた空気は肺に刃を突き立ててくるよう。
羊水で潤っていた肌は干からび、ともすればぱりぱりとはがれてしまう。その下の皮膚を外気から守るべく、丸めた身を震わせ両手で掻き抱いた。
周りはあまりに明るすぎて何も見えず、そのくせそのわずらわしい光と色彩に目が行ってしまい、周囲の様子を察する力が散漫になる。
地面は硬く肌を傷つけ、せっかく広くとも立っていることすら叶わない。
こんなに生き難い世界に放り出されたことに、まず、涙した。
あの、心地よかった世界の、なんと素晴らしかったことか。失う前とてそう思っていたものを、失ってなお強く思う。
今更どんなに語ったとて、あそこへ戻ることができないのは承知しながら、私は腹の中に納まっていた羊水や血を吐き出しながら、声の限り泣きわめいた。
振り返れば、ずたずたになった腹を曝して横たわる女がいるばかり。
もう、あの世界の入り口すらわからない。
後悔に心揺さぶられている私に、突きつけられた冷たい刃。触れる鋼の感触は、あまりにもあの世界の優しさからかけ離れていた。
鼓膜を直接揺さぶる声のわずらわしさ以上に、激しい怒りを感じずにはおられず、私は、それを掴んだ。
あぁ、うるさい、うるさい、うるさい、うるさいっ!
なんと、この世界はわずらわしいのだろう、そのわずらわしさを振り払おうと、逆の手を振りたてた時、私を攻撃していたこの世界が、私に従った。
私の手の動きにあわせるように、渦巻きながらに目の前の輩を弾き飛ばし、手の届かぬところに居る者までも、もんどりうって転がる。
回りを取り囲っていた連中が一掃されて、やっと、少しの静寂が取り戻された。
でも、まだ、足りない……。
転がった連中はすぐに立ち上がり、警戒を帯びた目でこちらを睨みつけてくる。
私の周りの風は、相変わらず私に従い、竜巻のように渦巻いて去ってゆく。この力だけでは足らぬのだと考えるも、どうしていいかわかりもせず、吹き抜ける風を腕に絡めとる。手の中に凝縮したところで、自分の長く鋭い爪を見た。
この爪ならば、あの世界を滅ぼしたように、このわずらわしい者たちも滅ぼせるのではないかと思いして、手の中の風に自分の爪のイメージを乗せて、投げつけるようにその手を振りたてる。
その風は、刃のように鋭くも、連中を切り裂き、血と肉片とに変えて行った。
生臭い匂いが辺りに充満し、血溜りの中に、もう、あのわずらわしい音を立てるものはいなかった。
そうして、やっと、私はこの世界で安堵した。
ほうと吐き出す息を、風がそっと浚ってゆく。
ふと、あの世界の匂いがした気がして振り向けば、初めに屍となった女が横たわるのみ。なぜ、この女からその匂いがするのか、わからぬながらにその傍らに膝を付けば、惹かれるようにその死肉を食らった。
冷たくなった肉はなんともまずく、どこもかしこも骨ばっていて筋ばっていて、食べられたものではない。だけども、ずたずたになった腹の上にある二つの丸みだけは、とろけるようにうまかった。
その甘さだけ食らい尽し、私は、同じものを求めてその場を立ち去った。




