現実バレンタインと幼なじみ
今日はバレンタインデー。
僕はバレンタインデーに本命チョコをもらったことなんてない。女子ってやっぱり好きな人とか仲いい相手にしか渡さないだろ? 僕は別にモテる要素もないし、モテる努力さえもしていない。普通に過ごして普通に生きたい。
彼女を作ろうとかもあまり思ったりしない。だって――付き合っても自分の時間が無くなって、どちらかが先に壊れてもう片方が壊れ始めていくのがオチだと、僕はそう思っている。
実際に長く続く人なんて僕の周りではそうはいないし、別れてから話すことも少なくなって、結局は疎遠になっていくのが学生だろう。そうやって傷つきたくないし、恋愛に関わる気もない。
「あなたって絶対イタイ人間だよ。もっと周り見ようよ」
「うるさいなあ」
そんな思想を唯一知り、それを理解し、それを否定し続ける同い年で幼なじみの恵美は困った顔をして僕を見る。
そんなうるうるした上目使いで僕を見るな。心の中がモヤモヤして嫌だ。
小学校の頃から恵美とは関わりがあって、数少ない友だちとして今まで見て来ていたが、最近はこの幼なじみを見るとイライラしてしまう。喧嘩することは今までに何度かあったけど、そういうイライラとは何か違う気がした。だから易々と怒るのも気が引けるし、相手からしたら理不尽に怒りをぶつけられただけで、不快に感じるだけだろう。だから僕は怒らない。
「なんでイライラしてるの?」
「してないって」
「してるよ。ずっと一緒だから分かるもん」
「……」
幼なじみの能力には幼なじみの心を見透かせる能力があるようだ。なんと恐ろしい。僕には恵美の心は全く見えないんだけどな。学校の廊下歩いてていつも思うが、なんでいつも懐いた猫のように横を歩くんだ。周りを気にしてほしい。
注目されるのは嫌だ。まぁ、今は朝早く来てるから廊下に人はあまりいないんだけどね。下校時とかはできるだけやめてほしい。
「じゃあ、またねー!」
「お、おう……」
恵美とはクラスが違う。だから自分のクラスの中では恵美にひっつかれることはない。だから教室では自由なのだ。教室に着けばホッとする。心のどこかがドギマギしていたのも治まって、平常心を保てるようになる。冬なのに暑さを感じていたのも治まるような気がしながら、教室の扉を開ける。
開けると、教室内には男子が誰もいなくて、女子が数人いる程度だった。これはいつもの光景なのだ。このクラスの男子の登校時間はいつもギリギリと言っていいほど遅い。早いのは僕だけなのだ。だから、毎回気まずいのだ。
「今日バレンタインだね。チョコ持ってきた?」
「パイの実あるよ!」
「ちょうだいよー」
タイミングが良かったとのか、それとも前から話していたのか、女子はバレンタインデーの話に入っている。
楽しそうに女子が話しているうちに僕はこそこそと自分の席に向かい、マフラーを外してカバンにしまう。筆箱などをカバンから出して机の中に入れる。ついでに1限目の用意を取りに行くために後ろのロッカーへと静かに向かう。
「男子ってさー」
女子が急に男子の話題を持ちこんだのを耳にしてしまった。教科書に手を伸ばしていた手がつい止まってしまった。女子は背を向けているし、すぐ傍の机が僕の使用しているロッカーをほぼ見えないようにさえぎっているような位置に女子たちはいるから、反応してしまったことには気づいてはいないだろう。
「バレンタインになると絶対期待してるよね!」
笑いながら――嘲笑に近いような笑いをこぼしながら女子は話題をもう一人の女子に振った。
「絶対してるよね。机の中を覗いたりとかさ」
「そうそう。誰も入れる訳ないのにね」
はい、たった今、この女子たちは一部の男子の夢をはっきり壊しましたよ。男子がいない時にはそう言う事を言いたい放題に言うつもりだろうか。僕は男子だけど気にせず言ってるのかこの人。
「男子に義理であげるとか今どきいないよね。普通本命だよ」
「だよねぇ」
そしてお互い笑いあう。
こいつらはただあげる男子がいないだけというか、あげられるような仲いい男子がこの学校にいないからそういうこと言ってるだけだろ。僕はそういう解釈をするからな。
そういう僕もチョコをくれるほど仲のいい女子なんていないからチョコなんていらないとか思ってしまうのだろうけど。
普通は好きな人にしかあげないよな。みんなにあげるような女子とかそうはいないだろうな。絡んだことのない相手にあげる女子とかいたら、すごいと思う。
◇ ◇ ◇
下校時刻。
やはり猫のようについてくる恵美。沈みかけの夕陽に照らされながら二人で並んで歩く。ここは一本道で人もあまり歩いていないし、来たとしても車か自転車だけなので、いじられる心配もあまりない。数十メートル先にコンビニが見えるだけで他は田園地帯で住宅もあまりない。
簡単に言うと、田舎なのだ。
僕がちいさくため息をついてみると、恵美が頬を膨らませて僕の左腕に絡みついてきた。
「もー! なんでそんなあきれたような顔をしてるの? そんなに一緒に帰るのいや?」
「そういう訳じゃないけど……」
みんなに変な目で見られるのが嫌なんです僕は。恵美とは付き合ってないし。
「あ、そーだっ! コンビニ行くから待ってて!」
「どうした急に」
「買い物ー!」
とか言いながら猛ダッシュで行ってしまった。
恵美の行動力はハンパない。小さいころからそうだった。僕が友だちにいじめられた時も僕を連れて喧嘩吹っ掛けに行ったし、僕と恵美が知らない場所へ行った時にも、適当に道に進むという冒険心を持っていた。しっかりしているというか、男っぽいというか。明るさと元気が取り柄な彼女だ。見てて飽きない。でも最近見ていてモヤモヤする。
「おっまたせー!」
「早いな……」
スキップしながらこっちに来てそのまま勢いで僕の方にダイブしてきた。恵美の腕が僕の体を両腕ごと囲い入れ、そのまま胸の方へ抱き寄せてきた。
「な、なんなんだ急に……!」
「えへへ……」
腕を離して少し距離をとった恵美は照れたように笑った。自分の後ろに手を回したときにチラッと茶色の小さな紙袋が見えた気がする。そしてそのまま踵を返して夕日の方を向いた。
「夕日がきれいだねぇ。もうほとんど沈んでるけど」
「そうだな」
どこか感傷に浸ってるような恵美。いつもと様子が違うような気がする。
「ねぇねぇ」
「……?」
体は動かさずに横顔だけを見せて話しかけてきた恵美。恵美の向こう側から来るオレンジの光線が恵美の横顔に影を付け、美しさと寂しさを引き立たせる。
「私ね、これ買ってきたの!」
バッと勢いよく振りむき、両手を突き出した。握っている小さな紙袋には英語でバレンタインと書いてある。
「もしかして、それって……」
「チョコだけど、他のに見える?」
何か違うものとは普通思わないと思う。バレンタインで茶色の紙袋だったら大抵チョコだろう。コンビニに売ってるやつだし。
「中身見ちゃおっか!」
恵美はそう言ってゴソゴソと中身を取り出して、茶色い包みを取り出した。紙袋を置いてぴりぴりと包みを開けて、四角の白い小箱を「じゃんっ!」と言いながら僕に見せつける。
「開けるね?」
「もったいぶらないで早く開ければいいのに」
「もー、なんでそんな感じ悪いの? 照れてるの? ツンデレ? 男でツンデレかぁ」
「うるさい」
照れてなんか、ない。
ふふふ、と笑いながら彼女は箱を開けた。中身はチョコだったが、
「ハート型!?」
小さなハート型チョコが入っていた。4つも何買って来てるんだこの子は。
「じゃあまず1個目!」
ぱくっ! と自分で効果音を付けてハート型チョコを頬張る。苦いのかちょっと泣きそうな顔をした。だがそのまま口をもぐもぐさせて飲み込んだ。
「あ、あーおいしっ☆」
「苦そうな顔をしただろ。語尾に星つけても顔だけで分かる」
「てへぺろっ☆」
「かわいくない」
「つっこみが冷たーい! 全部食べちゃうからね!」
怒ったのか恵美はそのまま2個目のチョコに手を伸ばし口に入れた。苦そうにしながら口を動かす。こくっと呑みこんでから、3個目をつまむ。
よくビターチョコを連続で食べようとするな。というかなんでビターを買って来たんだ。もう少しゆっくり選んでも構わなかったのに。
「最後の一個だよー!」
うぇーい! と見せびらかしながら恵美は悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「い、いらねーよ!」
「うわ、照れてるぅ」
つい目線を反らしてしまった僕にいじるように恵美がニヤニヤする。
「4つ目も食べちゃうもんねー!」
そしてそのまま口に4つ目のチョコをパクッと頬張る。
全部食われた。
「あなたはチョコいらないんだよねー」
「……」
「ねー……?」
「女子なんて、チョコは本命しかあげたりしないんだろ」
「ありゃ、その心は?」
「今どき義理チョコとかないとか……クラスの女子が言ってたから」
「あっはっは! それはその子たちだけじゃないのかな」
「じゃあ恵美はどうなんだ」
「んー、その前にチョコ用意するの忘れてたし」
忘れてたのかよ。だからコンビニに買いに行ったのか。
「じゃあ、私がなんでチョコ買ってきたか分かる?」
「知らないよ」
「考えてみてよー」
「……」
なんでそんなに訊いてくる。チョコなんていらない。くれるやついないし、恵美にもらったって嬉しくもなんとも……。
いや、恵美からもらったら、嬉しいかも――。
「――っ!」
そんなことを考えていたら、自分の唇に何かやわらかいものが触れた。そしてそのやわらかいものから何かが攻めてくる。苦みのようなものが自分の口の中で広がってきた。
チョコ――恵美が自分の唇を僕に押し当てていたのだ。
そのまま唇が離れていき、背伸びをしていた恵美の足全体が地に着く。恵美の顔を見ると、もう暗がりになってきたというのに、その白い肌が赤く染まっているのが分かった。
「――拒否するのならそのまま無理にあげちゃおっかなって」
「……」
言葉にならない。出ない。語彙が足りないからだろうか。喉の奥が熱くて、何かが塞いでいるかのように声が出せない。眼の奥が熱くなるような感覚もある。
なんでだろうか。どうしてだろうか。
心のモヤモヤがいつの間にか消え去っているような気がする。一気に晴れ渡ったような、そんな感じ。
恵美はうつむきながら頭を僕の胸辺りに押し付けて、優しく言った。
「これが私からの本命です。恋愛に興味がないのなら、これからも一緒にいてくれるといいな――あなたはどう思ったか知らないけれど、私からしたら最高のバレンタインデーです」
僕が恋愛に興味をない素振りをしてきたのを知っていながらそう告白した恵美が今までより愛おしく見えた。