探偵と助手
教室に残って必死に数学の参考書を読解していると、教室の後ろのスペースで赤松の話をしているのが耳に入った。俺は耳をそばだてた。二日も行方不明とあってか、さすがに何かあったんだと口々に学校中で騒ぎになり始めている。バドミントン部はさらに、有能な選手をひとり欠くわけであり、月山追いの日が迫り来るこの時期には慌てるのも無理ないだろう。
「つーか家出とかだろ。二日いないだけで何騒いでるんだよ」
心のない声。
「家出?あいつが?ないないない。あるわけないだろ。バドミントンの練習から戻って来なかったんだぞ。普通にバドの練習して、家にも戻らないでそのまま家出するか?」
岩崎の反論。確かに納得。
「誘拐されたのよ。それ以外に考えられないでしょ。なんで健太郎にはそれがわかんないのかな」
佐藤健太郎がそうかな、と急にしゅんとして言った。彼女である中嶋祐子の言葉には、見ているこちらが恥ずかしくなるくらい佐藤は弱い。
「でもさ、誘拐にしたって犯人から何も要求とか連絡が来てないってことは、赤松自身でどっか消えちゃったってことじゃないのか」
「だからさ、それはないの。岩崎の言う通り、その日の練習中はいつもどおりだったし、姿くらます理由なんてどこにもないの」
「わかったよ、誘拐なんだな」
佐藤はあっさりと引き下がった。
「家出とかではないと思うけど、誘拐ってのも変だ。赤松はしかも中嶋といっしょに帰ったんだろ?」
「ああ〜、それは警察の人にも話したけど、たまたま私が生徒会の人に呼ばれてて、香織とはいっしょに帰らなかったの。でも後から聞いた話なら、他の誰かと帰ったみたいって」
中嶋は弁明した。
「誰と帰ったんだろう」
「そう、それが不思議なんだよね。バド部の人じゃないの。最後に香織といたのはその人だと思うんだけど……」
俺はあれっと思った。三上の話では、三上は校門で赤松と会って、永瀬について聞いた。そのとき三上は赤松ひとりと会ったというニュアンスだった。なら一体その赤松といっしょに帰ったという謎の人物はどこへ消えたのか。
「男か女かもわからないのか」
岩崎が言った。中嶋はどうだったかなと言って、
「今日の練習のときに本人に聞いたら?この話聞いたの、萠だから」
「いや、いいよ。少し気になっただけだから。それより早く練習いこう」
「頑張れ〜!バスケ部は今日、休みだから」
佐藤がふざけた調子で言う。お決まりのように中嶋が言い返した。
「じゃあ、一人で帰ってね」
「嘘嘘、待っとくよ。終わったらここに来いよ」
「はーい」
がらがらと教室の扉が音を立てて開いた。あせった様子で駆けて行く足音が響く。俺もノートと参考書を閉じて、立ち上がった。そのまま三階の渡り廊下を通って、東棟へ向かった。東棟には、生徒会役員室を始め、文化部の部室、校長室等がある。俺らの教室があるのは西棟だ。俺は階段を降りて二階についた。重たい扉を開けて、廊下に出た。二階に生徒会役員室がある。角を曲がると、廊下にちょうど役員室の部屋の前に立っている女子生徒が一人いた。知り合いではなかった。女子生徒は俺の存在に気づいたのか、びくっと反応して横目でこちらを見て来た。だがその後は無視された。感じの悪い女子だった。俺は数メートル間を開けて、立ち止まる。横に並んで待っていたが、いくら時間が経っても女子の方は中に入ろうとしないので、俺は先に入ることにした。ドアノブに手をかけた。
「ああ〜あんたね。東真一は」
後ろから甲高い声が聞こえた。俺は動きを止めた。というか、硬直してしまった。
「清沢怜っていったらあんたでもわかるかしら」
背筋にびびっとくるものがあった。清沢怜。あの満点の小テストを渡してきやがった奴だな。俺は振り返った。
「おまえが清沢か?」
「ええ」
清沢は眉間にしわを寄せて言った。
「あれの意味は?目撃者って」
「そのまんまの意味。目撃者がいるっていうことよ」
清沢は遠回しな言い方をした。俺は話を変えることにした。
「早退したんじゃなかったのか?」
「なんであんたが知ってんのよ、気持ち悪っ。ストーカー?」
「はあ?俺はこの今までおまえの顔さえも知らなかったんだぞ。里中から聞いたんだ」
まだ眉間にしわを寄せて俺に警戒の目を向けてくる。本気でストーカーだと疑ってるんじゃないんだろうな。清沢はそばに置いてあった鞄を肩に担いで、人差し指で天井を指差した。
「上で話すから。三上もいる。他の用事は後回しにしな」
三上を君づけしない点だけは評価しよう。勝手に歩き出した清沢の後を追って、俺は生徒会役員室の前から離れた。どうせまだ数学のノート写しは終わってない。後に回したところで問題ないだろう。
ちょうど生徒会役員室の真上の部屋で清沢は止まった。その部屋は、通常の部屋の二倍くらいの広さがあり、中には三上が机の上でに座って待っていた。部活着ではなかった。清沢は人が来てないことを確かめて、鍵を閉めた。
「話って?」
「赤松の件のこと。そして、その犯人と思われる人物からこれが届いた」
清沢が手に持っていたのは、一通の白い封筒。宛先や送り主については何も書かれていない。俺は清沢からその封筒を受け取り、封筒の中から一枚の紙を取り出した。真っ白い紙の上に、数行活字が刻まれている。始まりは、清沢怜さんへ、だった。
『清沢怜さんへ
あなたは緑園学院全校生759名の中から幸運にも、”助手”に選ばれました。定期的に指示を送るので、内密かつ迅速の行動の上、指示に従ってください。では、最初の指示です。あなたは2−9の東真一に次の役が割り振られたことを他人に知られること無く伝えて下さい。彼の役は”探偵”です。指示を完了後、事件に備えてください。
追伸 なお、指示の不実行もしくは違反行為を行った場合、”人質”の役が割り振られた赤松香織を処刑します。(注)われわれは、あらゆる場所で監視活動を行っています。』
「なんだよ、これ。絶対こいつが赤松を誘拐した犯人じゃないか」
俺は手紙を読み終えて、事態を飲み込んだ。清沢がやたら人を警戒していた理由がわかった。そのとき、俺はあることに気がついた。
「俺に目撃者Aの紙を届けようとしたとき、清沢は里中にメモを渡しただろ?それは他人に知られることなく指示を遂行するっていうルールに違反しているんじゃ……」
清沢は、首を横に振った。
「だからわたしは試したの。どのあたりから違反となり、どのあたりで違反ではないのか。今回の結果を見ると、本質的な意味でばれなければ、違反ではないみたいね」
恐れ入りました。でも、もうひとつあるんだよね〜。
「この手紙では、三上は何も触れられていない。なのになんで三上も呼んだんだ?」
俺は三上の方を見ると、三上は既に別の手紙を広げていた。
「俺にはこれが届いた」
『三上京さんへ
あなたは緑園学院全校生759名の中から幸運にも、”目撃者A”に選ばれました。定期的に指示を送るので、内密かつ迅速の行動の上、指示に従ってください。では、最初の指示です。あなたは”人質”の役を割り振られた赤松香織を目撃した人物の一人です。”探偵”である東真一、その”助手”である清沢怜と協力して、”人質”の救出に尽力してください。
追伸 なお、指示の不実行もしくは違反行為を行った場合、”人質”の役が割り振られた赤松香織を処刑します。(注)われわれは、あらゆる場所で監視活動を行っています』
ほとんどの内容は同じだったが、目撃者Aは三上だということがわかった。清沢が目撃者Aというメッセージを送って来たのは、俺らにも手紙が届いたのか確認するためだったのか。
「まあ、あんたにだけ手紙が届いてないってことは腑に落ちないけど、要は、このメンバーでどうにかして赤松を救出しないといけない。それに、手紙の最後の部分。指示を完了後、事件に備えてくださいっていうところ。つまり、赤松の誘拐の他にもう一つ何か事件を起こす気でいるってことよ」
清沢が淡々と言った。
「それで、俺らに何ができる?探偵、助手とか言ってるが、何を解決しろと言うんだよ。ただの悪ふざけだろ」
清沢は目をそらし、そっぽを向く。三上も何も言わない。清沢と三上の沈黙の意味を俺は悟った。もう一度手紙を手元に広げる。一度目には見落としていたあるものが俺の目に映った。手紙の右端の血痕。何かのインクだと早合点していたが、よく見るとさらさらとして黒っぽくなったものが血液であることは紛れも無い事実。おそらくこの血痕は、赤松のもの。
俺は唇を噛み締めた。