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神無し鬼有り








月山追い祭り当日。緑園、三葉、建芸そして竹聖の代表者が月山山頂に集まった。そこから少し奥に入ったところで、地元の警察官が今まさに配置につこうと山道を下っていた。時刻は早朝四時半であった。周りは真っ暗だ。おまけに舗装された道ではない。皆、懐中電灯をあちこちに振り回しながら注意深く進んでいく。榊は立ち止まった。向こうに人影が見えた。この地方の生徒ではなさそうだ。隣の同僚に向こうを見るように促した。人影はこちらに近づいてくるようだった。警官達はその怪しげな人物を目で追った。何十もの懐中電灯の光がその人物の下半分を照らす。草履を履いている。ツナギのようなものを着ていた。足取りはたどたどしかった。周りの警官達からざわめきが漏れた。よもや犯人ではないか?そんな声が聞こえるようだった。普段なら、職務質問を直ちにかけるところだが、誰もがその人物の異様さに動きを封じられていた。誰かの光がその人物の顔を照らした。若者ではない。老人かもしれない。男であることは間違いなかった。

「東真一を拘束しているな?」

男は想像以上に若々しい声をしていた。

「肯定しているものと判断するが、よろしいか」

「その質問に答えることはできない。一体あなたはここで何をしている?」

警官の内の一人がようやく口を開いた。

「何をしているのかと問われるべきは、私ではない。ここは私の土地だ」

「それはここの地主ということか?」

「地主……というのは適切ではあるまい。法律で束縛されるようなものではない。私はここの主である。質問に答えられないというのであれば、君達は即刻この月山から立ち退いていただきたい。そもそも警察に月山の利用許可を出していない」

「何か誤解をされているようだが、奥の屋敷については利用許可は正式にいただいている。また、月山は国の管理下にある」

「法律に束縛されないものだと言ったであろう。もうよい、役人には通じぬ。それより、許可を出した、という者とは誰だ?」

「生田さんという方です。屋敷の大家の方だと理解していますが」

「生田……聞かないな。その者に会わせてくれ」

「まずは何か身分を証明できるものはないでしょうか?大変申し訳ありませんが、素性も分からない人物を民間人に引きあわせる訳には参りません」

男はどこにしまっていたのか、お札のような白い紙と筆を取り出すと、さらさらと何かを書き留めた。暗闇に白い紙が浮き上がって見える。

「祈りしの 神の見えざる 折ふしに しろやと問はむ くまなき月夜 と、詠う者なり」





午前五時。月山、南門に第一走者が集まった。深呼吸を繰り返す者、飛び跳ねる者、十字を切って神に祈る者……各々がルーティンをこなしてスタートラインに着いた。肌寒い朝だった。徐々に遠くの空が青白くなっていく。陽が山の端から顔を出すと同時に号砲が鳴り響いた。まず緑園学院の代表者達が走り始めた。少し間を置いて、竹聖、建芸、三葉と続いた。皆、当然薄着なので寒そうだ。月山追い祭りは無事に始まった。迫田は第一走者を見送って、香川の方を向いた。そのとき、迫田の手の中で携帯が震えた。

「迫田だ。何かあったのか?」

部下の榊からだった。

「あのー、森の中で配置に着く途中に怪しい男を見つけたので、一応、拘束しました。身分証どころか何一つ持っていないので素性はわかりませんが、二点気になることが」

「何だ?」

「一点目は、その男が月山の主だと主張していることです。その男によると、地主ではなくて主なんだと」

「意味がよくわからないが」

「今のは聞き流しといて下さい。えー、二点目は、その男が変な和歌を詠んだことです。芭蕉とか与謝蕪村とかの有名な和歌ではないようで…」

「もっとよくわからないが」

「ええとですね、その和歌というのがこれです。祈りしの、神の見えざる折ふしに、しろやと問はむ、くまなき月夜 です」

迫田はその和歌を頭の中で反芻した。

「おい、香川。古典得意か?」

「はい?」

香川が呆れたような声を出した。

「どちらかというと漢文の方が得意です」

「祈りしの、神の見えざる折ふしに、しろやと問はむ、くまなき月夜」

迫田は韻を踏みながらつぶやいた。香川の目つきが鋭くなる。

「今、先輩、しろやと言いませんでしたか?」

「あー言ったかもな」

耳で聞いた言葉をそのまま発しただけなので、自信がなかった。

「それは今の着信と関係がありますか?」

「あ、じゃあ変わろうか」

迫田は自分の携帯を香川に渡す。

「うわ、タッチで動かないやつだ。はい、もしもし池袋署の香川に代わりました」

「あれ、初めまして、榊と言います。香川さんの噂はちらほらうかがっておりますよ」

「お世辞はいいから、さっきの和歌の話を」

「変な男が詠んだ和歌ですよ。もしかして意味分かりました?」

「男?年齢は?」

「男です。推定ですけどあれは70歳くらいじゃないかなー」

「目を見たか?」

「え?」

「目が不自由なはずだ」

榊の声が遠くなる。おそらく確認しに行ったのだろう。

「香川さん、凄いですね、当たってましたよ。知り合いですか?」

「くそっ、ちょっとそっちで待ってろ、絶対、取り逃がすなよ」

香川は迫田に携帯を押し付けると、全速力で走り出した。迫田が後ろで、おい、と怒鳴る声が若干のラグを伴って聞こえた。風が強い。城屋が…城屋が現れやがった…。香川は動揺を隠しきれなかった。





皐月は今日も葛城と共にいた。

「あの噂、本当だったな」

「何の話?」

葛城はいつも唐突に話を始める。この話し方がとても嫌いだった。

「祭りが始まると必ずそこに奴が現れるという都市伝説だよ」

「何それ。面白い?」

「惚けるつもりならそれはそれでいいけど、伝言を仰せつかったから一応、伝えておくよ。祈りしの、神の見えざる折ふしに、しろやと問はむ、くまなき月夜」

葛城はぼーっとした表情で過ぎ行くランナー達を見つめている。ちょうど皐月達の目の前をランナー達が群れとなって通り過ぎた。パタパタという乾いた土を叩く音が聞こえた。

「くまなき月夜って、つまり満月ってこと?」

「そういうことになるな」

「今日って、満月だったかしら」

「いや、違う」

「馬鹿にしてる?」

「そのつもりはない」

「神の見えざる折ふしって、神無月のこと?」

「あ、それは慧眼だ」

皐月は少し得意になった。パズルみたいで面白い。葛城は既に答えが分かっているはずだ。

「祈る……か。難しいな」

「赤松さんは元気?」

思った通り、葛城は話を変えた。

「もう、誤解されるような質問はやめて下さい」

「あ、そうだ。大事なこと思い出した。実は東君が警察に拘束されているんだよ。今、奴が現れた。そして香川さんもいる。君もね。あと一人揃ったら、役者が完璧に揃うではないか」

「誰、その一人って?」

「上野」

「あー、懐かしいわ。でも彼って確か爆弾で吹き飛ばされたはずじゃ」

「そういうことになってる」

「あら、葛城さん、けっこうやばいことに足突っ込んでいらっしゃらない?」

「もうじき、開くぞ」

葛城は不敵に笑った。





東はとうとう月山北門に現れなかった。バドミントン部だけ誘導担当者がいないけれどどうすればいい?といった苦情が生徒会が運営している月山追い祭り本部に届いた。そして東がその担当だというそれだけの理由で宮池がその代理を任された。宮池は東に逐一連絡を入れているのだが、全く応答がなかった。宮池が北門に着くと、宮池が誘導するまでもなくちゃんとランナー達が並んでいるのがわかった。突如、手ぶらになったので、知り合いを探すことにした。すると、人混みの中に永瀬がいるのが見えた。そうか、月山大会中は、永瀬は選手ではないのか。

「よ、なんか久しぶり」

「宮池か。そうだ、東知らないか?ここの持ち場って聞いたけど」

「その東の代理でわたくしめが遣わされているのであります」

永瀬はなるほど、といつにも増して暗い調子で呟いた。

「どうした?祭りなのに元気がないなあ」

「前から気になっていたんだけど、宮池には封筒とか届いてない?」

「封筒?俺宛には無いかなー」

「おーーい」

永瀬の背後から佐藤と岩崎が手を大きく振りながら現れた。喜んでいるのではなく慌てているようだ。その後ろから遅れるようにして、月山追い祭り実行委員の山口も巨体を揺らしながら走ってきた。確か佐藤と岩崎は緊急用務員だったはずだ。一番楽な仕事なんだ、と昨日自慢ではないことを自慢していた。

「知ってる?さらに大変なことになった」

佐藤が息を切らしながら喋った。

「内のアンカーの矢幡が首寝違えたとかなんとかで走れなくなったんだ」

「は?まずいだろ。無理やりにでも連れてこいよ!」

「矢幡が?」

永瀬も唖然として言葉が漏れた。

「寝違えたって…それでも陸上選手かっ!国体準優勝したやつだろ!体調管理くらいちゃんとしとけ!」

宮池が怒鳴る。

「本当に寝違えなんだろうな?寝坊じゃないのか?証拠写真を送らせろ」

「それはさっきから言ってるよ。なんかしどろもどろなんだよな、ありゃ、相当首が捻れてるな」

「永瀬、緑園の今年の長距離メンバーは最強なんだろ?」

「まあ、矢幡がいないのは戦力ダウンだけどかなり五分五分になるな。圧勝にはならない。竹聖はアンカーに室崎を使っている」

「室崎?短距離じゃないのか?」

「月山のアンカーのコースは距離が短い。おそらく600メートルくらいだ。室崎は中距離専門だからその距離なら短距離でも走れる」

「それにそこまで慌てることもないだろ。一位も二位もあまり得点に差はない。問題は総合点だし、代走が矢幡に及ばないとはいえ、十分速い。問題ないよ。それよりもあの矢幡が寝違えたことの方がびっくり」

「おい、永瀬、勘違いしてるよ」

佐藤が深刻な顔で永瀬を見た。

「現在、緑園学院陸上部は最下位だ」






香川は行列やら屋台やらでごった返した月山をくぐり抜けて、人気のない山道に入った。多くの捜査員が何度もこの道を利用したので、自然と舗装されて通りやすくなっている。数名の警官とすれ違った。捜査本部になっている屋敷に着いた。予想よりも人は少なかった。皆、警備に着いたのだろう。時刻は5時20分。手錠を持っていることを確認する。そしてゆっくりと息を吐いて、屋敷の中に入った。ヨーロッパによくある開き戸だ。警官が数名、その中央のソファーに大柄の男が座っていた。白い髭を蓄えた、ごく普通の老人にも見える。

「あ、香川さん、お会いできて光栄です」

この日焼けの残った男が榊だ。声で分かった。

「あの人が、例の?」

「そうです。なんか古文調なんで頑張って下さい」

香川は頼りない後輩の応援を受けて、その男の前に立った。男はゆっくりとした動作で見上げる。両目とも見えていない、やはり城屋で間違いない、と香川は瞬時に思った。

「初めまして、池袋署の香川と申します。さきほど、あなたがお詠みになった和歌を拝聴させていただきました。しかしながら、あまりその道に詳しくないもので、全く意味が解せないのです。よければご説明願えませんか?」

「わかるものにはわかる、わからないものにはわからない、それだけの意味しかないと答えておこう。素朴に疑問に思ったのだが、なぜ池袋署の方がこちらへ?」

「わかるものにはわかる、わからないものにはわからない、とだけ申し上げておきましょう」

老人はにやっと口を広げた。全てを吞み込めそうな、大きな口だ。香川は目で周りの警官達に合図した。皆、黙ってその場を離れた。

「感無量である」

「同感です」

「使い方はあっているかな」

「さあ、日頃適当に日本語をしゃべっている人間なので」

「他の客人も呼んである。直に来よう」

「葛城?あるいは上野?」

「どちらとも」

香川は老人から目を逸らした。だめだ、見透かされている気がする。城屋で間違いない、この圧倒的な気を発する人間はこの男以外にない。

「私は最近、とある事件に関心がある。一人の少女が失踪し、別の少女二人が亡くなったと聞く。誰かは分からぬが、おこそうとしているのは確かなようだ」

「おこす?」

「祈る、ともいう」

「それは、開かれるということでしょうか?」

「そう、開かれる。既に乱れを感じる。時がずれている」

「その事件の重要参考人を今、ここに拘束しております。その人と話をされますか?」

「彼こそ客人の一人だよ。名を東真一といい、あずま、まことのはじめと読む。字は長月。彼の世は終わる」

「東君を御存知で?」

香川は驚いた。

「まだ気付かぬか。今宵、しろやと問うたのは誰か?私はそれが知りたいのである」

香川はようやく悟った。城屋は、今まさに神の名において、罪人を裁こうとしているのだと。











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