巻き戻し
月山追い祭り前夜。俺にとっては、初めての月山だ。三上や永瀬によると、月山追い祭りというのは、駅伝のようなものらしい。月山の麓一周(約9㎞)を走るグループAと、月山の山道を登り下りするグループBがあり、緑園四大高校の部活動生が走るのである。各部活の代表者10名がA、Bに別れて勝敗を競う。やはり優勝候補筆頭は、緑園と竹聖の陸上部である。しかし野球部やサッカー部も強力で、確実に優勝争いに加わってくる。既に陸上部短距離部門は結果が出ている。一週間前に行われた予選会の結果が反映される。一位は緑園で、次に竹聖が続く。そして建芸、三葉の順だ。この順位の結果は箱根駅伝と同じように第一走者のハンディとして与えられる。つまり、緑園のスタートは竹聖よりも30秒早い、などといったことだ。ちなみに俺もバドミントン部の一員としてコースは確認済みだ。代表者として選ばれなかった部員は皆、応援や代表者のサポートをするのだ。今、順位は何だとか、後ろのランナーとの距離が詰まっているとかそういうことを伝えたりする役目もある。今年は事件の影響もあってか、開催が危ぶまれたが、何か大きな力が動いたようで、無事に大会は行われるようだ。ただ、警察の警備の下である。おそらく犯人がまた何か犯罪を犯す可能性があるからだろう。
もう授業は終わったが、たくさん教室に生徒が残っていた。ある生徒達は賭け事をしている。生徒会が毎年行うオッズ予想だ。やはり一番人気は緑園陸上部である。他校でも緑園のオッズも高いようだ。また、部単位だけでなく、区間賞予想も行われている。これも一番人気は緑園学院陸上部のランナーで、楢崎という人だ。同じクラスではない。俺のクラスのとあるギャンブラーに話しを伺ったところ、昨年10万単位で利益を出した人間もいるらしい。曰く、
「みんな馬鹿だよなー、あんな人気高そうなのを狙ったらダメだよ。穴を狙うんだよ」
とのことらしい。至って当たり前の意見だ。今年の穴を聞いてみると、
「当然、三葉の河村だね。あいつは来るよ、下りが得意なんだ。陽炎祭の3000で、6位入賞したんだぞ」
なるほど、競馬で言うところのパドック予想というものだな。なかなか情報戦だと思った。友達が多いと有利だとわかったので、俺は参加しないことに決めた。どうせ金をするだけである。
「東っ、おい聞いてる?」
怒っているようなので慌てて振り向く。西島の顔が目の前にあった。女子生徒だ。数少ない名前を覚えている人だ。
「あのさ、君、まだ骨折治ってないんだよね」
「生憎」
「じゃあ、東の担当はここね。北裏山のタスキゾーン。明日はそこでバド部の誘導ね」
「了解」
俺は西島からB5のプリントを受け取った。西島はすぐに俺から離れて別の部員のところへ向かった。全くご苦労である。三上と永瀬、さらには数名の生徒が集まって話しをしているのが見えた。全員、陸上部だろうか。三上と永瀬もおそらく俺と同じように生徒会と共に選手の誘導係りだろう。と思ってみていると、永瀬と目が合った。そしてこのままこちらへやってくる。
「暇だろ?」
「いや」
「ちょっとコース確認しようぜ」
「え」
問答無用に永瀬に引っ張られて、月山に向かうことになった。
「まだ赤松のことを調べてる?」
先ほどとは違った口調で永瀬は言った。ちょっと自然な口ぶりにしようとして返って変な風に聞こえるというあれだ。今は廊下を歩いている。無駄に長い。
「最近は全く」
「実は、俺、赤松は自分の意志で失踪したと思ってるんだ」
永瀬は当たり前のことを話すようにつぶやいた。今度は自然な口ぶりだった。
「誘拐だと初めは考えていた。赤松は有名だったし、変なことを考えた竹聖の教師が赤松を一時的に監禁して点数を稼ごうと……多分、みんな初めはそう思ったはずなんだ。でもやっぱりそこまでするとは思えない。とするともう可能性は一つしか考えられない。赤松は自分の意志で失踪したふりをしたんだ」
「だとしても理由がわからない」
「理由は関係ないよ。赤松は単に失踪してみたくなったんだ。東と同じだよ。何となく赤松を調べたくなったんだろ?」
「そう言われるとそうだけど…だったら詩織と清沢はどうなる?あれは全く関係ないのか?」
永瀬はしばらく何も答えなかった。校庭に出た。門をくぐる。五分もしないうちに月山の
南口に着いた。人で賑わっていた。永瀬は封筒を取り出した。無言で俺に渡す。
『 永瀬君へ
あなたは緑園学院全校生759名の中から幸運にも"目撃者C"に選ばれました。定期的に指示を送るので、内密かつ迅速の行動の上、指示に従ってください。では、最初の指示です。あなたは"人質"の役を割り振られた赤松香織を目撃した人物の一人です。しかしあなたは同時に"密偵"でもあります。"探偵"である東真一、その"助手"である清沢怜に気付かれないように"人質"の救出に尽力してください。
追伸 なお、指示の不実行もしくは違反行為を行った場合、"人質"の役が割り振られた赤松香織を処刑します。(注)われわれは、あらゆる場所で監視活動を行っています』
俺は永瀬を見つめた。数秒の沈黙が過ぎた。なぜ永瀬は君付けなのか。そして永瀬にも届いていたのだ、この脅迫状が。
「でもこれ…俺にばらすなって」
「大丈夫だ、それは心配ない。それにしても、やっぱり驚かないんだな」
俺は手紙を封筒の中に戻す。
「俺にも届いてるんだ。今は警察に押収されているから持ってないけど。心配ないってどういうこと?」
永瀬は赤い封筒を取り出した。速達、と書かれた印が押されている。しかし郵便局によるものではないことが明らかだった。
「これは昨日届いた」
『永瀬君へ
指示を伝えます。事件が発生したので、密偵であるあなたは、"探偵"である東真一に正体を明かさずにはいられませんでした。これからは"協力者"である葛城と共に三人で事件の真相を明らかにして下さい。以上の三人は基本的に自由行動を許可します。また、申告という手段を用意しています。月山追い、駅伝、体育祭、陽炎祭の当日に犯人の申告を行うことが可能です。申告をするときにはその大会の優勝校の校長に行ってください。
ヒント:You could be back only if We prayed for ours.
(注)われわれは、あらゆる場所で監視活動を行っています。』
「なるほど、俺にバラしても大丈夫なわけだ。でもまだよく分からない。これが赤松が自分の意図で失踪したふりをする理由にならない」
「多分、これ、赤松が書いたんだよ。妙に馴れ馴れしいだろ?」
「まあ、俺に届いた方は、君付けじゃなかったけど」
俺は何度も文面を読み返した。
「…なんか段々と調子に乗ってきてないか、この犯人。ヒント、英語だし」
「訳してくれ」
「えー…っと、多分これ仮定法だよな。でもオンリーついてるな、どうなるんだろ。まあ、意訳すると俺様が願いさえすればいつだってお前らのことを引っ繰り返せるんだぜ、ってところかな。あ、文中なのにウィーのダブリュが大文字だ。こいつ英語初心者だな」
「真面目にやってくれ」
永瀬が睨む。俺はよく人に睨まれるタイプだ。
「そうだ、せっかくだから葛城のところに行ってみるか」
「えっ、葛城って誰のことか分かんの?」
「まあね、探偵だから」
陽気に振舞わないと、もはやついていけないくらいの急展開だった。
「へぇ、なかなか興味深いね。悪いけれど、これ、コピーさせてくれない?」
「あ、全然構いません」
永瀬はぺこりと頭を下げて葛城に手紙を二通とも渡した。すると葛城はにやりと笑った。
「ダメだねー、永瀬君、甘々だよ。そう簡単に人を信用しちゃあ、いけない。しかもこんな重要な証拠品を他人に渡したらダメだ。密偵失格だよ」
いつもの葛城テンションだ。この前会ったときのような凄味というか、不気味さというか、負のオーラは全く感じられなくなっていた。
「はい、すいません。」
永瀬は本当に反省したようだ。
「それにしても最悪だ。本当に最悪。私の推理が久々に外れたよ」
「え?何の話しですか?」
俺ははてなマークを頭に浮かべた。頭の中に浮かべた。
「君に届いた脅迫状のことだよ。清沢怜さんがダイイングメッセージに送ったという推理だ。あーくそっ、そういうことか、確かに最後の文面は気になっていたんだ」
何をそんなに悔しがっているのかわからないが、悔しそうだった。
「君の脅迫状の最後にあった文面、つまりここ、ほら、申告という手段について書かれたこの部分、永瀬君に届いた方にも同様の文面がある。この文面を一字一句載せているということは、君に届いた脅迫状も清沢怜によるものではないということだ。したがって、この葛城は私のことである可能性も浮上した」
今度は永瀬の頭にはてなマークが浮いているのが分かる。頭の中に浮かんでいる。
「でもそれは変ですよ、葛城さん。あの脅迫状に書かれた葛城という人物が本当に葛城さんのことだったら、とっくの昔に葛城さんにも脅迫状が届いているはずです」
俺は的確なアドバイスをしてあげた。
「確かに」
そのくらいすぐに分かるだろうと内心で俺は思った。
「そういえば、もう明日だよね、月山追い祭り。月山の方行くと、もうすごいね、人だかりが。今年も緑園学院は強いんだよね?」
さらりと話を変えた。
「はい。例年通り、駅伝組は強い連中ばかりですよ」
「よかった、よかった。毎年応援しているんだよ。ところで、この脅迫状の送り主に思い当たる人はいる?」
すぐに話を切り替えるのが葛城の常套手段であることを忘れていた。
「えぇと…やっぱり、赤松香織だと思うんです。ただ何故こういう手紙を送る必要があるのかは分かりませんが」
「東君、里中さんにもこれらと同じ脅迫状、そうだこれからは郵便物としよう、この郵便物を受けっているかもしれないよね?明日聞いてみてくれる?」
「はい、そうですね」
「あと永瀬君、君に少し個人的に聞きたいことがあるんだ」
葛城は真剣な表情で言った。もはや俺の存在など眼中にないようだった。これが狙いか。通りでにこやかだったわけである。この世にうまい話などない。必ず裏がある。
「大事なことだから正確に答えてほしい。君は普段の練習中に時計は身につけているかな?」
永瀬は戸惑った。意外な質問だった。練習中に限らず時計はしない。
「いいえ、身につけてませんよ」
「陸上部の中で時計をしている人は?」
「短距離ではほとんどいないと思います、すいません、あまり気にしたことがないので曖昧ですけど。長距離の人はたいてい付けています。ラップタイムを計るので」
「そうか。赤松香織さんに最後に会ったのは、たしか月山でだったよね?」
「はい」
「それは7時過ぎだった?」
「間違いないです。部室の時計を見て出たので」
葛城はがくっと肩を落とした。まるで急に魂が抜け落ちてしまったかのように崩れ落ちた。木製の軋んだ机から鈍い音がした。永瀬は茫然とした顔で俺の方を見た。口パクで、だいじょうぶこのひと?と聞こえない声で言った。葛城ががばっと起き上がった。怖い目で俺を見る。
「三上君は8時過ぎに赤松香織さんと会ったと言っていたよね?」
「はい、そうですけど……」
何度もその話はしたはずだ。
「竹聖の、えっと室崎君は確か7時30分に赤松香織さんを見たと言っていたよね?
「確か、そうでした」
「ああああっ」
今度は永瀬が飛び上がった。俺はうおっと永瀬から離れる。すごいリアクションだった。
永瀬と葛城の間で未知の交信が成立しているようだった。
「時計……仕組まれていた?……」
永瀬が幽霊のように冷たい声を発した。
「間違いない。30分程度早まっていたんだ。あのとき緑園学院高校の時計は30分早められた」
葛城は永瀬と符合を合わせた。
「まさか、そんな…じゃあ、清沢と詩織の方ももしかして…」
「いや、それだけではない、同じトリックがこの前の陽炎祭でも行われてたとしたら?あのとき全緑園地方の時計が早められていたとしたら?バトンミスを誘発することは可能だ」
俺はだんだんと事態が飲み込めてきた。どういうロジックかはわからないが、あの証言の食い違いは時計にあるということだ。
「葛城さん、凄い、多分、当たってますよ。あの日先輩が一人遅れてきたんです。理由は単体調不良だと言っていましたが、実は寝坊だったのかもしれません。流石にこんな大事な大会で、寝坊で遅れるなんて死んでも言い出せない。だから体調不良と嘘をつく羽目になった…!」
「しかし流石は緑園学院高校陸上部。欠員が出るのは折り込み済みで、代走のランナーともじっくりとバトン練習をしていた。全く動揺を見せない永瀬君達を見て、おそらく犯人達は焦ったはずだ」
「バトンミスを仕組んだ……?」
「可能性はある。緑園学院高校全生徒の時計を早められるんだ」
「あの…時計を早めるとは…?」
俺は恐る恐る口を挟んだ。葛城はやや興奮気味に俺に向かってこう言った。
「この時期、多くの部活動生は月山にいる。月山には時計はない。緑園学院の学校内の時計、いや、自宅の時計も含め、そしてテレビ放送、さらには電波時計も全て時間を30分早めた。するとどうなる?緑園学院の時計は日本標準時に比べて30分早まる。竹聖と緑園学院の生徒と証言が食い違うはずだ」
「そんな馬鹿な、流石に無理ですよそんなこと」
「いや、無理ではない。サマータイムのようなものだ。一体誰が30分時間が早められたことに気付く?密かに緑園学院でサマータイムが実行されたんだ」
「だけど、それをする意味は?警察の捜査を撹乱するため?」
「いや、巻き込まれたという方が正しい。もっと大きな目的、いや実験で行われたはずだ。この緑園学院でどうしても時間を早める必要があった。その日、偶然、赤松香織さんは時間が早められていることに気づいた。そして何らかの理由で陽炎祭での永瀬君のバトンミスと関連付けた。そして赤松香織さんは何者かに誘拐された。偶然とは思えない」
「でも葛城さん、やはり証拠が足りません。これだけではただの妄想です。仮説にもなりません」
葛城はそうだな、といってソファに座りなおした。こんなに興奮している葛城さんを初めて見た。
「でも葛城さんの言っていることが正しいとするとそのサマータイムのような実験は過去に何度も行われていることになりますね」
俺はなるべく冷静に考えるように努めた。確かに妄想に限りなく近いが葛城さんの推理はこの一連の不可思議な事件にぴたっとはまるようなものだった。突拍子のないようなものだからこそ、とても自然に思える。そして明日は月山追い祭り。
「本当に事実だったら、もしかして、明日も時計が早められるんじゃあ…」
永瀬の一言に、三人は息を呑んだ。




