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再訪





赤松香織は久々に緑園学院の正門をくぐった。今は放課後。グラウンドで多くの部活動生が一様に走り込んでいる。月山が使用禁止ということでグラウンドは今日が大会本番ではないのかというほど人で溢れていた。それについては申し訳ないと素直に思った。ただ、世の中には大義というものがある。大義のために犠牲になるものが必ずある。人生がまさにそれである。人生の内、大半はその人固有の大義で埋め尽くされる。大成するスポーツマンの場合、スポーツという大義のためにその他は犠牲となる。同様に優れた研究者は研究という大義のためにその他が犠牲になる。これらはすべて生命が有限であるということに依る。したがって、その人の価値は、人生のプロポーションで決定される。時間が無限にあれば……。

校舎内に入る。綺麗な校舎だと思う。否、竹聖の校舎には敵わないが。2ー9の教室を覗いて見た。そこには里中はいなかった。

「すみません、警察の方でしょうか?」

突然、男の声が聞こえた。確かこの声は物理の担当の教師だ。

「はい。勝手に入ってしまい、申し訳ありません。実は里中小夜子さんを探しておりまして」

「そういうことでしたか。里中さんですね。ええと、2ー9の担任は水本という者ですので、そうですね、ここでお待ちいただければ、呼んできますが」

「あっ、いえ、大丈夫です。また後日伺いますので」

赤松は喋り方に気をつけて話した。どうやら相手は気づかなかったようだ。そう、この学校の教師は気づくわけがない。

赤松は次に体育館に向かった。体育館は一階にある。里中は何部だっただろうか。赤松はバドミントン部が練習しているだろうと思ってここに来た。奥のコートを使っている。広い体育館。手前にはバスケ部。バレー部はおそらく、グラウンドだろう。バド部は今どうなっているのだろう?岩崎は?斎藤は?金子は?片山は?様々な人間の動向を予測した。だめだ、どう考えても自分には及ばない。

コートの隅をつたって、奥まで進んだ。短髪の見良戸の姿が見えた。今日も吠えていた。少しあたりを見渡して、マネージャーである木村を見つける。少し疲れているみたいだ。

「こんにちは。あなたもしかして、マネージャーさん?」

木村はカメレオンのように顔の色を変えた。喜色満面の笑みだ。慈愛の笑み。

「こんにちわっ。ええとどこかで見たような顔だけど……誰だっけ」

「初対面よ。私、刑事なの。少し話を聞きたいんだけど」

「ぎょっ、今ですか?」

「まずい?」

「いいえ、大丈夫です」

ぎょっ、の意味が全く不明だった。木村は体育館の横の扉を開けると、赤松を体育館の外の廊下へ連れ出した。

「あの、疑ってるわけじゃないんですけど、単に興味で、その、警察手帳見たいんですけどいいですか?」

赤松は声には出さずに笑い声を上げた。今まで会った中で一番冷静な対応だったからだ。しかもそれがあの木村萠だとは。

「はい。信じてもらえた?」

赤松は手帳を見せる。木村は、ぱぁっと顔を輝かせた。

「本物ですね」

赤松は手帳をしまう。

「それじゃあ、一つ尋ねてもいい?」

木村は頷く。

「赤松香織さんって、実際のところどういう人だったのかな?」

木村は腕組みしてじーっと考え込んだ。赤松は少し緊張する。

「美人でしたよ、間違いなく。あ、そういえば、刑事さん、けっこう似てますよ。あ、あ美人という意味ですよ」

赤松はどきりとしたので、咄嗟に何も言うことができなかった。

「ありがとう。えっとね、外見よりは内面について教えてもらいたいのだけれど」

「そうですよね。うーん、そうですね、冷徹で熱い美人っていうイメージだからなぁ、内面か…そういえばあんまり心が読めない人だったな」

メモをとるふりをする。データは基本的に頭にすべて入ってしまう。

「でも不思議な魅力のある人ですよ。もう、同い年とは到底思えない感じだなあれは。ファンも多いしね。後は…あ、三上君!」

赤松は懐かしい響きを感じた。木村の視線の先を追う。ちょうど赤松の真後ろだ。スポーツウェア姿の三上京が立っていた。前よりやつれた印象だ。赤松は木村の方に向き直る。

「彼が三上君?」

「そうです!えっと…赤松さんに関しては三上君の方が詳しいと思いますよ」

三上はあまりこちらに気を留めていない様子だった。どこか急いでいるようだ。三上はそのまま赤松の横を通り過ぎて体育館の中へ入ってしまった。

「呼んできましょうか?」

「あ、大丈夫。なんとなく彼女の印象を知りたかっただけだから。じゃあ、練習頑張ってね」

「ありがとうございますー」

木村は丁寧にお辞儀をして三上の後を追った。






生徒会役員室。矢嶋琇之は集まった面々を確認した。各部の部長と副部長が集まっている。その中でも陸上部の席を見た。空席。まさか欠席ということはないだろう。今日は最終の得点配分決定会合である。時計を見た。残り十分。矢嶋は席を立って副総務の筧に永瀬らを呼びにいくように頼んだ。そしてアナウンス部の人にアナウンスしてもらうことも頼んだ。なんとしても陸上部の得点を上げなければならない。それは永瀬も十分理解しているはず。ではトラブルか?まさか妨害にあっている?今更後戻りはできないぞ。矢嶋は扉を開けて総務室に入った。携帯電話を開く。

「ああ、俺だ。もう居るのか?ああ。永瀬と三上を見なかったか?え?そうなんだ。うん、まあそれはないと思うんだけど、万が一のこともある。よろしく、じゃあ」

次に宮池に電話を掛ける。

「よ、矢嶋だ。今どこ?実は永瀬と三上が来てないんだ。同じクラスだろ?どこにいるか分からないか?え、文化祭の打ち合わせ?はっ?わざわざ今しなくてもいいだろ。いいから早く連れてこい」

矢嶋は思わずはを噛み締めた。くそっ。頼むから邪魔しないでくれ。矢嶋は目をつむった。






宮池は矢嶋からの雑言を振り切って通話を切った。

「はい、聞こえたー?てなわけであと五分で仕上げてしまいましょう」

宮池は全員に聞こえるように声を出した。宮池は生徒会役員ではあるが、文化祭実行委員でもある。急遽、永瀬の提案によりクラスで文化祭について話し合おうということになったのだ。今まであまりクラスに関与してこなかった永瀬の提案ということもあって、塾や部活で忙しい人間以外はほとんど集まった。かなり集合率はいいといってよいだろう。というのは真っ赤な嘘である。結局、宮池を含めてたったの8人だった。

「永瀬、わざわざこんなところで何を決めようっての?」

岩崎が呟いた。岩崎は確かバドミントンの練習のはずだが、サボったのだろう。

「そうだな。実はね、嘘なんだ」

「は?」

皆、呆然とした顔で永瀬を睨んだ。

「今から俺は隠れる。だから全力で俺を隠してくれ」

「いや、全く話が掴めないんだが」

「そりゃあ、そうだな。では詳しく簡潔に三上が説明してくれる」

「えっ」

三上は恨めしげに永瀬の方を見た。

「ええ……わけがありまして、永瀬は急遽、失踪したことにしてもらいたいわけです。ここで集まっている方々はわりと行事には積極的な方々だと見受けられます。ですから…」

「いや、全然説明になってないから。一体何から隠れたいわけ?」

岩崎はバドミントンラケットを振り回しながら言った。

「生徒会」

「あれ」

と声を上げたのは、中嶋祐子だ。

「今日って、得点決めるなんか会議なかったっけ?」

「おい、まさか…」

「そのまさか」

永瀬は涼しい表情で呟いた。

「おいおい、緑園学院を潰す気か!たしかにさ、そりゃあ、君にかかる重圧は計り知れないと思いますよ、でもね、世の中には避けてはいけない壁といいますか、そういうものがあってですね…」

「岩崎、長い」

中嶋に一喝された。

「それにお前に言われたくない」

「事情をもうちょっと話してくれよ」

俺は呟いた。

「赤松香織。今だ行方不明。おかしくないか?」

「そりゃあおかしいよ。誰も目撃してないなんて。それに妹の詩織だって……」

「そう、おかしい。なぜ誰もその話題を口にしない。誰かに叱られるからか?禁句だから?生徒会に睨まれる?それとも教師か?」

永瀬には珍しく感情的な言い方だ。

「ちょっと待った。それと得点配分に何の関係が?」

宮池が口を挟んだ。

「この学校は無駄に規律が厳しいところがあるからな。コンクラーベって知ってる?」

「こんくらーべ?何それ?」

「教皇の選挙だよ。コンクラーベって、本当に文字通り根比べするんだよ。一度部屋を閉めたら教皇が選出されるまで二度とその扉は開くことがない」

宮池はあっ、と声を上げた。

「それに似たことが生徒会規約にあったぞ。たしか得点配分決定会合と生徒会総務選の二つは時間厳守で始まって、決定するまで絶対に人を入れてはならないって。実際、日を跨いだこともある。それほどこの二つは揉めるんだよ」

永瀬は指を突き立てた。

「生徒会は陸上部の得点を上げる気だ。動機は分からないが、確実に不正を仕組む魂胆があるんだろう。なぜ赤松香織が失踪したか?赤松無しじゃあ、内のバドミントン部はあってないようなものだろ?」

岩崎は文句を言いたげだったが、それを中嶋が黙殺する。

「永瀬、赤松は陸上部の得点を上げたいがために誘拐されたと?」

「そうだ」

「妄想にもほどがある」

宮池はそっぽを向く。

「誘拐のプロに依頼したとしたらありえるかもな」

突然、佐藤健太郎が言った。

「誘拐のプロ?」

中嶋が真っ先に反応する。

「噂で聞いたことがある。俺はよく知らないんだけど、このあたりで親がなんか知っててさ、随分前に誘拐が頻発して起きたことがあったらしくて、そのとき、もしかしてあいつらなんじゃないかって」

「え、なによそれ」

「だから誘拐のプロ。このあたり、ほら、緑園七不思議とかあるだろ。神隠しが多いって有名じゃん。そんなこと実際にあるのかなって」

「馬鹿、ネットの見過ぎでしょ」

「分かった。認めよう。で、生徒会がその誘拐のプロと何らかのコネクトがあって、赤松香織を誘拐してくださいってお願いしたんだな?じゃあ、清沢はどうなる?」

宮池はやや苛立った様子で言った。そのとき、アナウンスが鳴った。至急、陸上部部長永瀬と副部長三上は生徒会役員室に来るようにという内容だった。

「清沢は生徒会が企んだことに気づいたんだろう」

「それじゃあ、永瀬君。怜…清沢は生徒会が殺したって言いたいの?」

里中が永瀬に詰め寄った。宮池もその後ろで里中を援護射撃するように永瀬を睨む。永瀬は押し黙った。数秒の沈黙の中、ガタンと大きな音がなった。扉が開いた。

「いたいたここか。永瀬、アナウンス聞こえた?」

生徒会副総務の筧だ。二年である。筧は瞬時にその場の空気を嗅ぎ取った。筧も動きを止めて永瀬と里中、そして宮池を交互に見る。

「ありゃ、なんかまずかった?」

「よくここが分かったな?」

宮池が言った。ここは体育館倉庫の中だ。バドミントンやバスケの音で物音はしないはず。

「いやー、実は体育館の外で刑事さんに会ってね、倉庫に三上と岩崎が入っていくところを見かけていたんだよ。それにしてもその刑事、美人だったなぁ」

筧は能天気に、にやっととろけた表情をつくった。

「ああ、その刑事、女だったんだ。まあともかく見つかったし、永瀬、変な妄想なんかしてないで行ってこいよ。陸上部の点、上げてほしくないなら、正々堂々とそう言えばいい。そもそもそのための会議だ」

宮池は永瀬を無理矢理外に出す。永瀬は、分かったよと渋々従った。三上も外に出る。筧が調子のいい声で言った。

「よし!時間もないし、急ごう!」




二人を見送って、取り残された面々はとりあえず倉庫の外に出た。

「あれ、その刑事ってよく三上と岩崎のこと分かったな」

「それだけ捜査、頑張ってるんだよ」

「そんなもんか。日本の警察も頑張ってんだな」

佐藤と中嶋が口にした。





矢嶋は会議が中断して、休憩に入ったとき再び電話を掛けた。

「目論見通りになりそう。なんとかね。そっちはどう?何か掴めた?」

「そうね、警察がようやく感づきはじめたってくらいかな。全く鈍い。東の方はどう?」

「心配することないと思うけど。結局、生徒だからな、問題ないよ」

「あ、そうだ。葛城って知ってる?」

矢嶋は頭の中で葛城、葛城、葛城と唱えてみたが、人の顔は浮かばなかった。

「知らないけど。なんで?」

「いや、別に気にしないで。それじゃあその調子で」

矢嶋は聞きそびれていたことを思い出した。

「なあ、妹はどうして死んだんだ?まさか殺人まであいつらに頼んだわけじゃ……」

「しっ…。迂闊に殺人なんて言わないで。当然、依頼してないわ。だけど、そんなに気にすること?人が二人死んだだけじゃない」

「人が死んだだけって……清沢と、それに詩織だぞ?」

「そうよ、何か問題?私たちとはあの事件は全く関係ない。問題ない」

「……まあそうだな。分かった。それじゃあ、今度また」

矢嶋は不満を残したまま通話を終了した。




この日をもって、完全に得点配分が決定した。例年以上に陸上部に有利な配点となった。今回は緑園学院主催である。月山追い祭りは、一週間前に迫っていた。



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