捜査
葛城は大きなため息をついた。目の前で前屈運動を繰り返している女性をぼぉーっと見つめる。彼女の名は、生田皐月という。おそらく偽名だろう。葛城は冷めた視線を皐月に浴びせていた。
「それで、何の用ですか」
皐月はようやく柔軟をやめて、葛城の方を向いた。ソファーに座った。
「迷惑なんですけど。あんな無防備に私の館にやって来るなんて、一体、何を考えているんですか。それに、警察にもあそこを占拠されてしまったし……」
「やはり、警察は今回の事件を理由にして、あの館を調べているんだな?」
「そうよ」
葛城は再び大きなため息をつこうとして、それを飲み込んだ。
「まあ、そんなところだとは思っていたが…。お前、赤松香織を匿っているだろう?」
皐月の目の色が変わる。加えて、眉間の皺が三本ほど増える。わかりやすいタイプだ。
「へぇ、調べが早いのね」
「探偵だからな」
「それ、胡散臭いからやめたら?どうせ流行らないわよ」
「お前も偽名、やめろよ。皐月なんて名前、古文にも出てこないぞ」
「あら、本名だけれど?」
葛城はにやりと笑った。
「探偵も本業だが?」
「これじゃあ、埒があかないわ」
皐月は自動販売機に売っているようなミネラルウォーターの口を開けて、ごくりと飲み込んだ。
「なぜ匿う?」
皐月はうーんと考え込むように細長い目をくるくると回転させる。一々、リアクションが大きいことが彼女の特徴らしい。
「企業秘密だね」
「匿っていることは認めるんだな」
皐月は首を両方に傾げる。
「これじゃあ、埒があかないな」
「お互い大変ね。あなた、今回の事件にやたら肩入れしているけれど、依頼主は一体誰?」
「企業秘密だ」
「あー言うと思った」
皐月は体を左右に捻って、人形のような動きを見せた。貧乏ゆすりも始めた。
「問題はかなり深刻だぞ。あれは単なる平均的な事件ではない」
「平均的って?」
「怨恨や復讐や、自殺や怨恨によるものではないということだ」
「自分で言っている意味分かってる?」
葛城は電子タバコを取り出した。吸っているふりをする。皐月は怪訝な眼つきをした。
「あれは一見、シンプルな事象に見える。
赤松香織が失踪。ややあって、赤松詩織と清沢怜の遺体が見つかる。死因から赤松詩織が清沢怜を殺害したという見方が濃厚。つまり、赤松詩織が何らかの恨みを持っていて、姉である赤松香織を殺害。そしてその事実に気付いた清沢怜を殺害。二つの殺人を犯し、自分の犯した罪の大きさに耐えられなくなった赤松詩織は自殺、と。一見落着だな。普通の思想であれば」
「あら、そうじゃないの?」
「赤松香織を匿っているお前なら百も承知だろう」
「あなた、さっきから私がその赤松香織を匿っているって決めつけているけれど、証拠はあるの?それに今は警察があそこを占拠しているのよ?どこに匿うと?」
葛城と皐月はしばらく睨み合った。ようやく調子が上がってきたようだ。
「まだ言うか。それなら、あの殺人事件が起きる前、奇妙な脅迫状が届いていたとしたら?」
「ふーん、それは興味深いね。今夜、あの子に聞いてみよ」
「自白と取っていいんだな?」
皐月は悪戯な視線で葛城を睨んだ。
「何を勘違いしているだか。あの子のことよ、あの子。如月ちゃんよ」
葛城は悪態をついた。
「皐月の次は、如月か。赤松香織を如月と呼んでいるのか。そのコードネームこそ今時流行らんぞ」
「あーそんなことどうでもいいから、話の続きを。脅迫状がどうとかって言ってたけど?警察はまだ公表していないね」
「ああ。模倣犯かどうか判断できるからな。実は俺の依頼主がね、その脅迫状について知っていたんだ」
「へぇー、その依頼主っていうのは、緑園学院の生徒あるいは先生ということか」
皐月は遠くを見るような目をした。
「だんだんと見えてきたな。脅迫状っていうのは、ざっくりというとどんな内容?お金よこせ、とか?」
「いや。とにかくあいつらが関わってる可能性がある」
「あいつら?」
「あいつら」
「……あいつらか」
皐月は目を閉じた。
迫田は永里という女性警官と共にあの大仏の前を歩いていた。ここ、地元の警官である。永里はとても色白だった。ほとんど外出していないのではないか、と思えるほどだ。それほど肌を気遣っているのだろうかと勝手に迫田は考えていた。
「ええと…十年前でしたかな、あの日本版ブレーメン事件と騒がれた事件については覚えておりますか?」
永里は記憶を探るように頭を抱えた。
「十二年前の事件ですね。わりと覚えてますね。警察官になる前ですけど」
「構いません。その事件について教えていただけますか?」
永里は不思議な顔をした。
「それと今回の事件と何か関係が?」
意外と頭が回るようだ。迫田はごほん、と一つ咳払いをした。
「関係があるかどうか念のため、確認しようと考えているだけですよ。現場がこの近くだったので」
「なるほど。そういえば、犯人が逮捕されたのはこの大仏の前ですね。特徴的な大仏だったのでよく覚えてますよ」
永里の言うとおり、この大仏はかなり異質だ。のっぺらぼうの大仏、と同僚が言っていたのを思い出した。
「あの事件もちょうどこの時期でした。その事件を担当していた方の話ですけれど、はじめは6歳以下の行方不明者が急増していることに気付いたことが発端のようです。幼稚園からいつの間にかいなくなっていた、とか小学校に行ったきり帰ってこないだとか。その後、高校生や大人、高齢者まで不審な失踪事件が続いたのです。それで本格的に捜査を開始して、誘拐事件であると断定されました。実は公安調査庁がマークしていた団体が事件に関与していたんです。ですから、捜査を開始してから一週間ほどで犯人グループが割り出せました。しかし、犯人はご存知の通り、ここで逮捕されましたが、誘拐された子供達はどこを探しても見つからなかったんです。犯人達も確かにここに監禁していたんだ、と訴えていましたが、おそらく殺害してどこかへ遺棄したのだろうという大方の予測もあって、それに、当時はまだ容疑者への人権は確保されていない時期だったので、かなりきつい尋問が行われていたようです。そのため、遂に自白することなく、自殺を図りました。そのまま真相は未だに闇の中、というわけです。子供達の死体も見つかっていないため、日本版ブレーメン事件と騒がれることになったのです」
永里は一気に話し尽くした。迫田には二点疑問が浮かんだ。一つ目は、初めは六歳以下だったという点だ。十二年前ということだから、今では高校生ということになる。まさかと思った。そしてもう一点は、どうしてここまで詳細に永里は記憶しているのか。
「とても詳しいですね。永里さんを紹介された理由がわかりました。失礼を承知でお尋ねしますが、もしかしてその事件に何らかの因縁があるのですか?」
永里はそこまで動揺しているようには見えなかった。
「いえ、そういうわけではありません。ですが、その公安調査庁の人間というのが香川さんのことなんです。彼女から散々その事件について聞かされたので」
「ああ……そういうことでしたか。というと上野もご存知ですか?」
「え?もう一度お願いします」
「う•え•のです」
「いえ、知りません」
「そうか、忘れてくれ」
先日、香川から連絡が来た。緑園で発生した事件について進捗状況を知りたい、というものだった。香川は今は所轄の一刑事に過ぎないが、もとは官僚である。さらにそのコネを活かして公安調査庁へ入庁している。国家の裏事情には多少通じているようで迫田が頼りにしている刑事の一人だ。香川は一貫してある一つの組織を追っている。組織といってよいのかもわからない。ただその組織というのは、ことあるごとに誘拐事件に関与しているということは、一部の警察関係者には有名な話だった。その香川がこの事件に向けて動き出したのである。簡単に今回の事件を赤松詩織一人を犯人だと決めつけるわけにはいかない。
「もしかして、今回の事件、香川さんの調べていることに関係があると?」
「いえ、まだそこまでは断定できませんが、そうですね、可能性はあります」
迫田はまずは赤松香織の安否を早く突き止めなければと自分に言い聞かせた。
俺は里中に会おうかどうか考えていた。というか、よくよく考えてみると会うか会わないかの前に同じクラスのしかも隣の席であるということを思い出し、考えることをやめた。
教室に入ると既に里中は自分の席について二人の女子とそこそこ楽しそうに喋っていた。俺は頃合いを見計らって里中に話しかけた。
「あのさ、清沢のことなんだけど……」
急激に里中の笑顔がしぼんでいく。可哀想に思えた。ごめん。
「実は、、」
俺は葛城について、そして葛城の推理について話した。
里中は落ち着いていた。やはり清沢の親友だったのだろう。
「怜がね……たしかに葛城だった頃の私を知っているのは、多分、ほとんどいないと思う。だけど、私、何もわかんないよ、どうして玲ちゃんが詩織っていう竹聖の子に殺されたのかっていうことは」
俺は返答に窮した。あまりに可哀想だ。そうか、これが殺人、というものの威力なのだ。まさに波状にその影響は現れる。その影響力を試している人間がいるのかもしれない。
「前から気になっていたんだけど、どうして東君は赤松香織のことについて調べてるの?それに玲ちゃんのことも含めて。三上君とか永瀬君ならわかるけど」
君付けしてもらえた…。俺は答えを探した。その答えは実は自分も探し求めていることなのだ。なぜ探偵紛いのことをしているのか。確かに初めは三上に頼まれてやったことではないか。しかし当の三上からはもうやめようと言われたではないか。なぜまだ拘る?惰性?
「多分ね、俺が転校生だからだよ」
最もそうな答えを俺は答えた。




