メッセージ
7時以降の部活動が禁止されたためか、部活動生は数人しか見かけなかった。彼らは自主練をこっそりとしているのだろう。月山の麓は、緩やかな坂道だ。俺はゆっくりとこの傾斜道を歩いていた。少し登ると、踊り場のように平坦な場所が現れる。そこに葛城が煙草を吸って、待っていた。どうせこれも電子タバコだろう。葛城が遠慮気味に手を振る。俺は駆け寄った。
「それじゃあ、行きますか」
葛城は歩き出した。
「どこに?」
葛城は振り返った。
「現場だよ。殺害現場」
「入れるの?」
「近くに寄るだけだ」
葛城の後を追う。今日の葛城はどこか不機嫌な感じだった。お互いに黙ったまま進む。ちょうど月山の山頂付近に着いた。汗はかかなかったが、ずっと坂道が続いていたので、けっこうしんどかった。ここでいつも部活動生は走っているのか、凄いなと尊敬した。山頂についても葛城はとどまらなかった。山道から外れた茂みの中に入っていく。草負けしそうなくらい生い茂っている。葛城にさきほど渡された懐中電灯を頼りに、暗い森の中を突き進んだ。人気は全く無い。こんなところに連れて来られて、清沢は殺されたのか…。清沢とはいえど、怖かったに違いない。懐中電灯の明かりがあってもほとんど先が見えないほど暗い場所に着いた。葛城の背中をライトで照らして、見失わないように気をつけた。ここではぐれたらさすがにやばい、という危機感からかなり神経をすり減らした。そして、ようやく葛城が立ち止まった。茂みを抜けた。開けた場所に出た。
「どう?この先を進んだところが殺害現場だ。こんなところで殺されたんだ、彼女達は。いや、彼女は、というべきかな」
葛城の声は低い。不気味だった。
「君がこの前、話していたことを考えていたよ。君は悲しみが湧かない、といっていたね。そして君は理由も分からず三上君に頼まれて色々な人から情報を集めた」
確かにそのようなことを俺は語った。葛城は怒っているようだ。真っ暗で、表情は見えない。
「私が一番心配なことは、今後も殺人がなされるのか、そうでないかということだよ。仮に赤松詩織さんが清沢さんを殺害し、その後自殺したということであれば、この殺人は完結している、問題はない、だけどね……もしこれが口封じで2人とも殺されていたとすれば、今、最も危険なのは君と三上君だ」
葛城は再び歩き出した。俺は慌てて葛城の後を追う。少し歩くと、大きな鉄の塊のようなものが見えた。ライトを照らして確認してみると、どうやら仏像のようだった。しかしおかしなことに、その仏像はのっぺらぼうだった。まるで偶像崇拝が禁止されて顔を塗りつぶされたかのように。
「これ、学生の頃から不思議なんだよね。緑園学院は、学院っていうくらいだからキリスト教系の学校なんだと思っていたのに月山の奥にこんな仏像があるんだから」
葛城の話の脈絡はさっきから飛び飛びだった。しかしそこに意図を感じる。葛城の心を読めたらいいのに、と俺は切に願った。
「君、本当に友人が少ないんだね」
「え?」
唐突に葛城に馬鹿にされた。ちょっとショックだった。
「あの手紙の葛城って、私じゃなかったんだよ。緑園学院の教師に問い合わせたところ、一人いた。葛城小夜子さんという現高校二年の女生徒。あ、でも確かに名字は変わっていたけど。今は葛城ではなくて、里中だ」
俺は身震いした。寒さによるものではなく、虫の知らせ、のようなものだ。里中……ってもしかして内のクラスの……。
「ただし、学校中の生徒が"葛城"を知らなかったことは無理もない。葛城小夜子から里中小夜子に名前が変わったのは、随分前の話だ。調査したところ、その小学校には清沢怜さんも在籍していた」
葛城は何を言いたいんだ。
「さらに調査を重ねたところ、その小学校に在籍していて、現在緑園学院にも在籍しているのは、清沢さんも含めて五人。これでかなり絞られる。清沢さん以外の生徒四人を突き止めた。さあ、一体その四人は誰だったと思う?」
俺は口をはさまなかった。葛城も俺に答えて欲しかったわけではないだろう。
「永瀬君、三上京君、矢嶋琇之君、そして……赤松香織さんだよ。永瀬君は小3の頃に君と同じ小学校に転校しているけどね」
矢嶋琇之、名前は知っている。現在の生徒会総務。彼だけ学年が一つ上だ。そろそろ生徒会の選挙も始まる。
「まあ、この奇妙な偶然はさておき、これで重大な真実が浮かび上がる、気づかないか?」
これは本当に俺に答えを促している。丁寧な誘導設問だと思った。
「つまり、あの俺に届いた脅迫状は、その五人の誰かによるものだと?」
「それだけ?もっと断定できる」
俺は分からない、と首を振った。
「わざわざ里中という姓ではなく葛城の姓を書いた、ということはこれはこの五人を調べろというメッセージだ。しかしこれは明らかに脅迫状の送り主としては都合の悪い情報だ。ではどうしてそんなことをしたのか?自明だ。あれはダイイングメッセージだったんだよ。すなわち、清沢怜さんによるものだ」
葛城の衝撃の一言に、体が震えた。
「君に脅迫状が届いた日付と清沢さんが殺害された日付が一致していることにも頷ける。あの日、殺害される前に自らの危険を察知していたはずだ」
「それじゃあ、清沢に届いた脅迫状、それに三上に届いた脅迫状はどうなるんだ?」
俺は敬語を使う余裕がなくなっていた。葛城も気にしていない。
「それは多分、清沢さんではないだろう。赤松香織さんを誘拐した犯人の素性を知る者がやったことだと思っている。話を戻そう。里中さんを知っているよね、もちろん?」
俺は何度も頷いた。
「同じクラスの女子だよ。清沢と友達って言っていた」
「彼女も何か知っているかもしれない」
そのとき、誰かが近寄って来る足音が聞こえた。遠くに光が見える。相手も懐中電灯を使っているようだ。その人は警官だった。紺の制服姿だ。
「すみません、どうかなさいましたか?こんな夜中にこんな場所へ。申し訳ありませんが、少しお話しを伺いたいのですが」
職務質問だ、と俺は思った。完全に怪しい者だと思われている。
「ああ、勘違いなさらないで下さい。実は私はこういうものです」
葛城はスーツの裏ポケットから名刺を取り出した。探偵、と書かれているのだろう。
「ここの方から依頼を受けまして、調査していたのです。迫田さん、という、たしか、警部の方だと思いますけど、その方に話しを通していただければ事情はお分かりになると思います」
警官は、迫田、という名前を聞いて、2人を見る目線が多少和らいだ。とにかくついてきて下さい、と言われてその警官に従って歩いて行くと、古びた確実に幽霊が彷徨っていそうな洋風の屋敷に着いた。警官は扉が開きっぱなしになっている入り口に2人を招き入れ、奥に進んだ。そこの部屋に、机と、ホワイトボードやら、ソファーやらが置かれてあった。数人、警察の人だと思われる人物が怪訝な顔をした。その中に、先日会った迫田がいた。ここが仮の会議室のようになっているみたいだ。
「おや、葛城さんと、君は、東君か。どうしてここへ?」
迫田が立ち上がる。
「この屋敷、勝手に使っているんですか?」
俺の問いかけに、迫田は笑い声をあげた。
「まさか。ちゃんと大家の方に許可をいただきました。今は使っていないということでしたので、お借りしたんです」
葛城が首を傾げた。
「大家?もしかして皐月さんですか?」
「え?今なんと仰いました?」
「皐月さんです」
今度は迫田が首を傾げた。
「いいえ。生田、という方です」
「そうですか。気にしないで下さい、勘違いです」
「どうしてここへ?」
迫田が同じ質問を繰り返した。
「気になったから来たんです。この辺りに来るのは学生以来です」
迫田は真剣な顔付きになった。おい、と隣の刑事に声をかけ、メモを取るように促した。
「この辺りは、地元の方には知られた場所なんですか?」
「そうですね……知る人ぞ知る、といった感じですね。でも私の年代の人には有名ですね、何せ、あの大仏があるんですから」
「ああ、あの変な大仏のことですね。あなたの年代の人には有名、というのはどういった意味でしょうか?失礼ですが、あなたのお歳は?」
「今年で28になります。緑園高校の生徒だったのは、十年前になるから、そうですね……今から十二年前のことですね。あの事件があったのは。ほら、覚えてないですか、あの、高校生が誘拐されて、そしてそれに怪しい団体が絡んでいた」
迫田は、ああそれのことか、と何かを思い出したように呟いた。隣の刑事も頷いた。
「日本版ブレーメン事件と一時、騒がれた事件ですね。赤松香織さんが失踪していることから、その事件の関連も視野に入れています。たしかあれは全て未遂でしたよね。しかし、あれは隣町の事件ですよね。それがあの大仏とこの場所に繋がりがあったとは思えないんですけれど」
葛城は頭をかいた。もったいぶるようにゆっくりと動きながら、ソファーに腰掛けた。なんとなく俺もその隣に腰掛ける。
「その事件の犯人、ほら、ここで逮捕されたでしょ。テレビで見た場所なのでよく覚えています。テレビにあの変な大仏が映っていたので、私たちは何度かここに来たことがあります」
隣の刑事があー、と声を上げた。
「覚えてます、覚えてます。犯人達、ここに潜伏していたんですよね。目撃証言があって逮捕されましたけど」
葛城は足を組んだ。俺も真似して足を組んでみた。
「そうそう、よく覚えてますね」
「いや、今言われて思い出しました。あれ、事件のわりにあまり報道されませんでしたから」
「捜査本部ってここってわけではないですよね?」
俺は迫田の方を見て尋ねた。迫田は手を大きく左右に振った。
「違いますよ。赤松香織さんの捜索と、月山の生徒達の警備のためにここを使わせいただいているだけです」
葛城は隣で変な唸り声を出した。
「変だなー」
「え?」
「いえ、独り言です」
迫田は視線を俺の方へ戻した。
「あなたもここを見に来たんですか?」
俺は一瞬、葛城の方を見た。葛城は考え中、という顔をしていた。
「葛城さんに連れられて」
「そうですか」
「もう帰ってもいいですか」
「ええ、大丈夫です。お手数、おかけしました」
葛城と俺は屋敷を出た。結局、葛城がここへ来た理由はなんだったのだろう。それと日本版ブレーメン事件とは…。
「実はね、向こう側にはちゃんと道があるんだよ」
葛城がにやにやした顔で言った。
「はじめからそのルート使えばいいじゃん」
「だって、近道だったからね。あの近道使わないともう一時間はかかっていただろうね。それじゃあ、間に合わない」
「何に?」
「それは自分で考えなさい」
それから葛城は一言も喋らなかった。たしかにその正規の道で自宅に戻るまで、一時間半もかかった。




