第九話 開戦
暴力表現・流血描写注意
戴冠式、カツキ皇子は青い衣を着ていた。銀色の髪に映える青は日に透ける。繊細だが力強い横顔、背筋を伸ばして歩く姿も威厳に満ちている。
これが新しい帝。自分達の帝。無表情な民の顔からも感嘆の溜息が漏れる。
ヘイジは二階から帝を眺めながら、オウビに見せられないのが申し訳なく感じた。彼女はその神々しいまでの姿を見て感動のあまり涙をこぼし、膝から崩れ落ちるに違いない。
それも腹立だしい。部屋の中で大人しく座り込んでいてくれればいいのだが。
ヘイジの隣でホウドがそっと瞼を袖で押さえるのが見えた。この人でも感動のあまり泣くのか、とヘイジは少し驚いた。
戴冠式は無事終わった。ヘイジには胃が痛いほど長く感じられたが、あっという間に終わってしまったという声があちこちからした。これから晩餐だ。気はまだ抜けない。
ヘイジは油断なく周りを伺った。
戴冠式が終わってしまえば、ソウはもう新しい主人を得たのだ。殺す必要はないだろう。やはり自分達の考えすぎだったのだ。反乱組織は別にいたのだ。ヘイジはそう思い込もうとした。
警鐘が鳴り響いた。衛兵達が慌しく駆ける。
「地人が攻めてきた! 」
ヘイジは衛兵を追いかけながら尋ねた。
「どういうことだ。」
「貨物船に紛れて入り込んだんだ。火をつけて回っている。」
「怪しげな船が入り込んだと思ったら、中に武装した地人が入っていたんだ。」
ヘイジは唖然として立ち止まった。まさか、地人を利用するなんて思わなかった。
逃げ惑う者の中から、ハルが走ってきた。ヘイジの腕を掴む。
「ヘイジ、何をしている。帝をお守りしろ。」
ヘイジは我に返った。兄の手が震えている。武術の心得などないハルに、今の状況は逃げ出してしまいたいほど恐ろしいに違いない。ヘイジは兄の腕を握り返した。
「兄上も、父上をお願いします。」
ハルがうなづく。ヘイジは走り出した。城内に入り、階段を駆け上がる。帝のそばには、武装した兵士が大勢いる。易々殺せるはずがない。
浮遊石で兵士もろとも爆破する気か。もしもヘイジなら、帝が隠れている場所にあらかじめ仕掛けておく。上階にある帝の部屋に、もっとも防御が固い場所に仕掛けるはずだ。
ヘイジは帝の部屋に飛び込んだ。すでに兵士が固まっている全員武器を抜いていた。
「帝、敵は浮遊石を爆破させるかもしれません。」
ヘイジの言葉に全員がざわめいた。
「石を探せ、刺激しないよう弱い振動を与えろ。」
帝が言うと、何人かが浮遊石を取りに行く。ヘイジは周りの見えないところに浮遊石がないか探す。机の下、寝台、箪笥に近づいた時、高い音がした。
ヘイジは走った。帝の上から覆いかぶさる。背後で爆発がした。
家具が吹き飛び、兵士も壁に打ち付けられる。悲鳴が聞こえる。
「行きましょう。」
ヘイジは帝の手を掴んだ。生き残った数人の兵士と、周りを警戒しながら部屋を出た。
「時限式にしているのかもしれません。最初金色の状態にしておくと、数十分後に爆発します。」
「詳しいな。」
「最近私も知りました。」
ヘイジは帝の手を掴んだが、どこに避難すればいいのかわからない。帝は逆にしっかりとした足取りだった。
「父のところならしかけていないだろう。私を殺したがっているからな。」
ヘイジはやりきれない顔をした。
「そんな、貴方の父君です。」
帝は嘲笑した。
「私を生まれる前に殺そうとしたことがある。母が二人目を産めない身体と知って、堕胎させようとした。だが、その堕胎薬で私は死なず、結果母は死んだ。帝が自分の子を分け隔ててはいけないから、外に知られていなかっただけだ。何度首を絞められたことか。」
苦労なしで生きてきたような顔ではないと思っていたが、幼い頃からこの皇子は、敵と戦い続けたのだろう。
廊下を曲がったところで、男達が立ちはだかった。
ソウと忍者達だった。通す気はないらしい。最初に剣を抜いたのはヘイジだった。続いて近衛兵士たちが襲い掛かってきた忍者に応戦する。
ヘイジは邪魔だった上着をとっくに脱ぎ捨てていた。刃がぶつかった瞬間、相手はその力に押されてよろけ、ヘイジの蹴りを受けてたおれた。ヘイジはその腹を躊躇なく刺し、続いて襲い掛かる二人目と刃をぶつかり合わせた。
腹部に痛みを感じた。眼の前の忍者の刃は、自分と太刀とぶつかり合っている。忍者の背後から、ソウが剣で刺していた。
膝からヘイジは倒れこんだ。ソウは刺さった剣を離した。
もう一つの剣を抜いた瞬間の、ソウの動きは無駄がなかった。残っていた近衛兵士たちの首や腹を易々切り裂き、血にまみれた剣先を帝に向ける。ヘイジは自分の上にいる忍男をどかそうともがきながら、叫んだ。
「帝、殺してください。」
帝の力なら、殺せる。あの銀色の光なら、ソウを消し飛ばす。
「私ごとこの青年を殺しますか。」
ソウが言った。
「あの力は、やや雑すぎる。」
帝の力を知っている。あの力は周りを巻き込む。ソウだけでなく、ヘイジも殺しかねない力だ。
「私を殺し、兄上を帝にするか。」
冷静に帝は言った。ソウは眉一つ動かさず答えた。
「私達は帝に仕えます。彼がまだ貴方の時代ではないと言えば、そうなのでしょう。」
ソウの剣が帝の足に刺さった。ヘイジはなんとか剣を腹から抜こうともがいた。帝は、それでも膝をつかなかった。激痛で顔を歪めたが、悲鳴も上げなかった。
「オウビはどこにいるのですか? それとも、もう埋めましたか? 」
ソウはオウビの生死を知らない。帝は喉で笑った。
「哀れな奴だ。お前はたった一人の娘の忠誠も得られなかった。」
ソウの表情に苛立ちが見えた。彼は乱暴に帝の首元を掴んだ。
「生きたまま肋骨をえぐられたいらしい。」
ソウの顔に残酷な笑みが浮かんだ。帝は嘲笑を向け続けた。ソウが向けた刃は、帝に向けられたが彼の身体を貫く前に指ごとはじかれた。
一人の兵士が太刀を構えていた。ソウがすぐさま、別の手で太刀を握って切り裂く。倒れた兵の首から下った、青い袋を奪い取った。
近衛兵の衣をまとったオウビが、ソウの足の下から睨みつけていた。ソウが足に力を込めると、悲鳴を上げた。肋骨が折れ、内臓に刺さっているのだろう。ヘイジは一層もがいた。
ソウは不愉快そうに、失望したようにオウビを見る。
「祖父の代からこんなものに踊らされる。お前までその呪いを背負わずともよいだろう。」
オウビは痛みなどないように、ソウを跳ね除け起きた。よろけた瞬間零れ落ちた骨を口に入れて飲み込んだ。
ソウはオウビの首を掴んだ。細い首が締め上げられ、彼女の手が苦しげに動いた。ヘイジは自分の腹から刃を引き抜くと、ソウの背中目掛け刃を投げた。刃はソウの胸を貫いた。
ソウはオウビの首を離さなかった。オウビは懸命に、もがき続ける。帝が自分の足に刺さった刃を引き抜き、腕を切り落とした。オウビが尻餅をついた。
「やはり、あの隠し通路は作っておいてよかった。」
帝が微笑んだ。
「ヘイジ、痛みは? 」
オウビはヘイジに駆け寄った。ヘイジは倒れこんだまま、弱々しく笑う。オウビは痛みをこらえてヘイジに近づいた。腹部の傷を見てランタンを手に取った。
「塞ぐ。我慢して。」
オウビは自分の袖口をヘイジの口に入れると、ヘイジの腹に当てた。ヘイジがいやだという間もなかった。ヘイジは脂汗を流しながら、オウビを見た。顔色が悪く、肌が一層白く見える。
浮遊石を持った近衛兵が駆けつけてきた。高い振動音がした。
ヘイジは痛みを忘れてオウビを見た。帝は振動音に警戒し、周りを伺う。ヘイジの顔が青ざめる。オウビの、透明だった首飾りの宝石が赤くなっている。
オウビは自分の首にぴったりとはまり見えなかったが、振動の元はそれだとわかった。爆破寸前の浮遊石が、オウビの首にはまっている。
近衛兵は帝をオウビから引き剥がす。
ヘイジはオウビの首飾りを外そうとしたが、構造がまったく分からない。ヘイジを跳ね除け立ち上がると、窓の外へと飛び出そうとした身体を、ヘイジは引きとめた。
「動かないでください。」
首飾りを外そうとするヘイジに、オウビは首を横に振る。
「離して。」
悲鳴のようにオウビが叫んだ。
オウビの細い首にぴったりはまった首輪はどうあがいてもはずれない。ヘイジの眼に絶望のあまり涙が浮かんだ。
「ヘイジ、退け。」
帝が静かに言った。彼の拳が、すっと伸びる。
ヘイジは首を横に振り、オウビを抱えたまま窓から飛び出した。眼下は中庭の池だった。