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第三話 忍者

暴力表現・流血描写注意

 ニジの家は山の近くにある。荒れた土地や小高い山が多いため、都心部に比べて民家は少なく、畑や林が多い。オウビはこの空気が好きだ。朝起きると、庭と畑に必ず水を撒く。それが終わるとツナと一緒に朝食を食べる。ニジがいれば彼を起こしてからだが、最近はツナと一緒に二人きりで食事を取ることが多い。畑仕事を終えると家の掃除や書物の整理をし、三日に一度は市場に出かける。

 夕食の支度を終え、オウビは縁側で洗濯物をたたんでいた。

「ツナ、夕方の散歩に行って良いんだよ。」

 オウビは振り返ったが、ツナはじっと空中を見る。オウビはツナの頭を撫でた。

「行っておいで。友達と遊びたいでしょ。開けておくから大丈夫だよ。」

 少し迷ったように、何度も振り返りながらツナは庭の隅にある扉をくぐった。オウビは洗濯物をたたみ続けた。

「あの犬は昼間は放しているのか。」

 背後から男の声がした。

「森の中が好きみたいです。」

 オウビは振り返らず応えた。

「お早いお越しで。いかがなさいました? 」

 大きな手がオウビの手首を掴んだ。オウビは驚いた様子もなく、自分の手首の先を見た。

 銀色の髪と髭をした男は、白いオウビの手首をそっと鼻先に近づけた。

「白蘭か。」

 オウビは男を見つめ返した。

「私も年頃の娘ですから。」

 男は無言で手首を離した。オウビは洗濯籠を抱えて、立ち上がる。

「お茶をいれます。それとも、お夕食いかがですか。お豆腐がおいしくできたんです。」

「必要ない。キッカの店にいけ。」

 オウビは足を止めて振り返った。そこには男の姿はなかった。 戸締りを確認してからオウビは外に出た。

 この町ではオウビの髪の色は目立つ。顔と髪も布で隠し、外に出た。オウビが茶店に座っていると、小さな子供達がくず拾いをしながら歩いていた。店の奥で、下品な笑い声がする。茶店の女は腰を振って歩くクセがあり、男達の視線を集めていた。オウビは女の仕草をじっと見ていた。

「にいさん、花買ってくれん? 」

 外の席だったからか、女の子が花を差し出した。

「好きな人にあげると喜ぶお。」

 オウビの眼を見て、子どもが少し困った顔をした。天人とは思わなかったのだろう。

「ハナ、5ド。」

 土だらけの手で、一生懸命売ろうとしている姿はいじらしかった。けれど、オウビはしばらくその子を見ていた。買ってもらえないと思ったのか、目を伏せた時オウビは言った。

「黄色いのをちょうだい。」

 オウビが言うと、女の子は嬉しそうに顔をあげた。細長い硬貨を渡し、花を受け取るとオウビは尋ねた。

「どこで持ってきたの? 」

「山、入った。ここじゃ花育たないけ。」

「大変だったでしょ? 」

 薬草の花だった。水辺に生えるが、このあたりの川では取れない。かなり深く入ったのだろう。女の子は少し得意げに笑った。

「兄ちゃんが、抜け道知ってるけ。誰も知らん抜け道。たくさんあったけど、一個だけにした。」  オウビは女の子に言った。

「じゃあ誰にも言っちゃダメだよ。他の人が持って行っちゃうからね。」

 女の子はこくんとうなづいて、硬貨を持って行った。

 オウビは髪に花を挿した。勘定を払うと、酒場町にある寂れた看板のぶら下がった店に入った。この店も寄るには、けばけばしいランタンを出してにぎやかになるが、昼間は静かなものだ。

「女将さん、お邪魔します。」

 オウビは薄暗い店の中を覗いた。太った中年の女が、店の中で食器を拭いていた。瞬きをしてオウビを見た。

「なんだい? 今日も仕事かい? 」

「はい。またお借りしてよろしいですか? 」

 女は店の奥にオウビを案内した。

 そこには黒髪も金髪も赤毛もある。服も繁華街の女に合うものがたくさんあった。

「あんたも大変だね。昼間っから。」

 オウビは金子の入った袋を女に渡した。

「踊るのは好きですから。」

 オウビは微笑んだ。中年の女は、働き者と感心してくれたらしく、そのままオウビを部屋に残して店に戻った。

 騙しているような気持ちになったが、嘘はついていない。昨日だって皇子が褒めてくれた。とても美しい舞だったと、喜んでくれた。それだけでオウビは踊ることが好きになれる。窮屈な靴も、裸のような服も、気にならない。

「あら、あんたまた来たの? 」

 戸口に若い女が立っていた。黒い髪と白い肌をした女は、寝巻きの間から大きな胸が見えていた。

「手伝ってあげよっか。化粧。」

「ありがとうございます。」

 女はくすくす笑った。

「あんた、勿体無いわね。綺麗な髪なのにこんなに短くしちゃって。」

 女はオウビの髪を綺麗に整え、カツラをつけやすくした。

「でも、いつもは頭が軽くて楽なんですよ。」

「それは羨ましいかも。」

 紅を綺麗に塗り、女がオウビのカツラにかんざしをさした。

「どこで踊るの? 」

「これから教えてもらうんです。」

 女はオウビに顔を近づけた。胸が首元に当たった。

「柔らかい髪ね。」

 女が布でオウビの顔を隠す。オウビは自分より年上の女の顔を見た。幼い頃、母にこうしてもらったことがある。少しだけ懐かしい。

「はい、できたよ。」

「ありがとうございます。」

 母のようだと言えば、女は怒るだろう。そんな歳じゃないと。礼だけを言って、オウビは店から出た。暗い路地の中を歩いていくと、小さな扉の前に大きな男が二人立っていた。オウビは靴連れをしたような歩き方で二人の前に立った。

「ねぇ、あたしもシナの旦那さんに言われてきたんだけど。」

 普段出さないような甘ったるい声で言うと、男達は扉の前からのいた。

 扉が開くと、小さな庭が見えた。

「ありがと。」

 オウビは歩きにくそうに、庭の中に入っていった。

 庭から縁側に行き、障子の前にも立っていた男達に同じように甘い声で言うと、彼らはオウビの足や細い手首、赤い口元を見るがそれ以上は気にしない。黙って障子を開けた。

 けばけばしく化粧をした女達と、酔っ払った男たちが騒いでいた。オウビはその中にいる、一番痩せた男を見つめ、にやりと笑った。

 男達は誰だと問うように、痩せた男を見た。

「シナの店の娘だ。よく来たな。」

 ひらひらと手招きされ、オウビは顔の布を外しながら近づいた。

「旦那さん、最近どこいってんの? あたしのとこちっとも来てくれないじゃない。」

 オウビが言うと、男は苦笑いした。

「忙しくてな。悪いとは思ってんだよ。」

 男の腰に腕を絡めて、オウビは赤い唇を寄せる。

「淋しかったんだよ。」

 男はオウビの手を腰から外そうとした。

「悪かったって。今日は一緒にいてやるから。」

 周りから野次がとぶ。オウビはくすくす笑って、酒をついだ。

 ほとんどの男たちが酔いつぶれ、女と部屋に戻った。オウビは男と部屋に行くと、障子を閉めたとたん男は声を潜めた。

「お前を寄越すなんてよっぽどだな。」

 オウビは無表情に部屋の中を見渡した。文机の上に、帳簿が置かれている。

「まだ見つからないんですか? 貴方はこの界隈の店には詳しいでしょう。」

「俺だって知らないこともある。頼むからもう少し待ってくれ。」

 オウビは眉間に皺をよせ剣呑な顔つきで男を見た。先程までも笑顔も、甘い声もない。

「知ってることだけでいいです。」

 男は文机の引き出しから、地図を出した。

「あんたらの言う規模のものが運び込める場所は三つ。警備も並じゃない。」

 オウビは受け取ると、懐にしまった。

「明日警吏が貴方の店に行きます。商品、しっかり隠しておいたほうがいいですよ。」

 オウビが無表情に言う。男は後頭部を掻く。

「月の民ってのはわかんないね。あんたみたいな怖い娘、娑原じゃ嫁にする度胸のある男はいないよ。」

 オウビは肩眉を上げた。男はびくっと震えた。機嫌を損ねたと思ったのだろう。オウビは、別に腹が立ったわけではなかったが、失礼だと感じたので意地悪をしてみた。そして無言で部屋を後にした。

 この店の主は商品を不正に隠している。そのせいで物価が上がり、通常よりも利益を得ている。

 オウビはこの街に潜んでいる、反乱組織の隠れ家を探していて倉庫に大量に隠してあった塩を見つけた。ソウはこの商人を脅して、より効率よく町を調査する方法を見つけた。娑原では地人のほうが探りやすい。

 オウビは顔を布で隠すと、裏口から誰にも見られないように出た。ここに長居する気はなかった。

 夜も明るい町が、明かりを消している。丑三つ時、草木のざわめきも心なしか眠っているような小さな音しかしない。足音をたてないよう、オウビはそっと路地裏を駆けた。角を出た瞬間、慌しい足音がした。

 思わず立ち止まったオウビの前に、男が倒れこんだ。背中から切り捨てられた身体が地面に落ちる。

 闇の中に男がいた。刃を持った、明るい髪をした男だった。ひるんだオウビに駆け寄り、刃を振り下ろした。オウビの布を切り裂き、壁を切り裂いた。地面に手を付き、オウビは男を見た。

 腰に忍ばせた短剣を、気づかれないように握る。男が間合いに入れば、自分の方が早い。相手は自分を、怯えて腰を抜かした娼婦だと思っているだろう。

 男は灯りを照らした。オウビの顔を見て、眼を細める。灯りの中の男の顔は、まだ若かった。闇の中から人影が現れた。男は一人だけではなかった。彼らはオウビを見て、ぼそぼそと何か話した。それから、刃を持った男が一歩踏み出した。

「立て。声を上げたら殺す。」

 刃を首元に近づける。握り方で剣術を習った者だとわかる。手の甲には赤く奇妙な刺青が彫られていた。 オウビは湿った土を掴んで投げつけた。男たちが怯んだ。短剣を握ってオウビは低く走った。男の刃をはじき、路地の端に置かれた木箱の上にひらりと乗り、壁を蹴って屋根に上がる。

 この地図を渡すまで、誰にも捕まるわけにはいかない。

 男達も身軽なのか、屋根に上がって追いかけてくる。オウビは屋根から下りた。この格好は目立つ。どこかの民家にでも潜んでいようかと思ったとき、灯りを見つけた。警吏隊の印の入ったランタンに、警吏帽を被った人影を見てオウビは少し考えて走った。

「助けて。」

 ランタンが止まった。オウビはわざと息を切らせた。

「警吏さん、変な奴らに追いかてくるんです。」

 灯りの中に人影が三人、二人は黒髪の地人の警吏だった。泣きそうな顔でオウビはすがりつく。

「こんな夜中に何をしている。」

 もう一人が厳しく言った。

「あたしだって、こんな夜中に歩くのなんか嫌です。でも、仕事なら仕様ないでしょ?」

 オウビが言うと、警吏の二人が追いかけてきた男の姿を見つけた。男達は警吏のランタンを見て、引き返した。

「待て! 」

 警吏が走っていく。もう一人警吏の手がオウビの腕を掴んだ。

 ランタンに照らされた警吏帽の向こうには、澄んだ色の眼があった。地人ではない。天人だ。オウビは腕に力がこもるのを感じた。

「今度は夜鷹ですか? 」

 オウビは相手を見つめ返す。

「貴方もいつから娑原の警吏に? 」

 オウビが言うと、ヘイジが眉間に皺を寄せた。

「どこまで送ればいいんです? 」

「いい、一人で帰れる。」

 オウビは顔を布で包む。

「また絡まれたいんですか。大人しく送られてください。」

 オウビはむっとしたが、自分の姿よりも警吏の制服の方が牽制できる。少なくとも少しの間は、この制服に付き合ってもらったほうがよさそうだと感じた。そして目的地よりも離れた場所で、離れることにした。

 真っ暗な夜道を、二人は歩く。ヘイジは黙っていた。あれこれ聞いてくると思った。その時間もあった。けれど、ヘイジは一言も発しなかった。オウビの立ち止まった場所は小さな料亭の前だった。裏口から入るから大丈夫と告げ、分かれた。

「気をつけて。」

ヘイジに言われ、オウビは扉を開いていたが振り返った。ランタンを灯して、ヘイジは背中を向けて去っていくところだった。

 オウビは、つけられていないか確認しながら服を借りた店まで戻った。裏口からそっと入り、顔の布を外した。

 顔を上げると、いつからいたのか、金色の髪の男が見下ろしていた。胸の開いた楽な服を着て、冷ややかな眼でオウビを見おろしていた。

「ヘマしてないだろうな。」

 立ち上がり、オウビは黙って店の勝手口に行く。扉を開けると、狭い廊下と別に下に向かう階段があった。男がオウビの背後で鍵を閉める。階段を降りると、血なまぐさい匂いがした。

 うめき声がする扉を開けると、薄暗い部屋が見えた。

「戻りました。」

 蝋燭がゆらりと揺れた。逆さに吊るされた男がいる。血まみれで口が開いていた。

 弱い光の中でソウは振り返ると、手を布で拭きながら言った。布は濃い色に汚れていた。

「三箇所にしぼったそうです。」

 オウビが地図を出すとソウは受け取った。

「お前が髪を乱すのは珍しいな。」

 オウビは自分のかつらに触れた。剣がぶつかったのか、かんざしがずれていた。ソウは地図を開いて眼を一瞬とおしてから蝋燭に入れた。

「ならず者に絡まれました。」

 師に隠し事をしても通じないことをオウビは知っていた。

「手に赤い印のある、剣術を学んだ男でした。」

 ソウは顔を上げると吊るした男に近づいた。明かりで男の手の甲をかざす。オウビは先程襲われた時の、男を思い出した。反乱組織の者なのだろう。オウビは、ソウが惨たらしい拷問にかける意味はそれ以外にないと思った。

 ソウがぽつりと言った。

「警吏に捕まったらしいな。」

何故知られているか、聞くまでもない。オウビはすぐに答えた。

「テト家の者でした。以前皇子に紹介されました。」

 ソウが灯りを、男の目に押し当てた。うめき声が悲鳴に変わった。

「何故殺さなかった。」

 落ち着いた声でソウは言った。

 刺青をした男のことではない。ヘイジのことだ。オウビは僅かの間、言葉が出なかった。

「皇子の知人、ましてや月の民の警吏を殺せば大事になります。」

 当たり前のことだ。今更それを聞かれる意味が、オウビにはわからなかった。

「帰れ。」

 ソウは振り返りもせず言った。オウビは頭を下げると部屋を出た。

 何故殺さなかったのか。オウビは考える。自分の正体を知ったものは殺さなくてはいけない。けれど、オウビは殺さなかった。皇子の知人。月の民の貴族。警吏隊。そのどれも彼を殺さない理由になる。けれど、オウビは言葉に詰まった。

 ヘイジが自分だと気づいたことに、戸惑ったからだ。闇の中、黒い髪に訛りのある喋り方をしたのに、ヘイジは自分だと気づいたのだ。

 それに、戸惑ってしまった。動揺した。

 オウビはかつらを外してかけ、服も丁寧に脱いだ。化粧を拭うために鏡を見る。自分の顔が醜く見えた。役に立たない、情けない小娘が、鏡に映っていた。

 オウビは飛行艇乗り場の待合所で顔を隠し、発着場を見ていた。今日はニジが戻ってくる。朝から布団を干して、部屋を埃一つないよう掃除した。ツナも知っているようで、尻尾をパタパタ振っていた。

 時間になり、ニジが背の高い兵士たちに挟まれ降りてきた。すかさず、端にいた兵士達が合流する。その兵士は昨日の青年、へイジだった。オウビが頼んでも護衛をつけてくれなかった。それなのに警吏がいるといことは、ニジは今まで以上に重要な仕事を任されたということだ。

「ただいま、オウビ。」

 ニジが眼を細めて微笑む。オウビも嬉しくて微笑んだ。

「馬車を用意しています。こちらへ。」

 ヘイジが言った。

「私も待たせてしまいました。断ってきます。」

 オウビは駆け出した。待たせていた馬車に近づき、駄賃だけ払おうとしたが脇から手が伸びた。深く帽子をかぶったソウがぽつりと言った。

「このまま帰れ。お前はこれからあの男と行動しろ。」

「彼と? 」

 意外すぎて、普段は決してしない質問をオウビはしてしまった。けれど答えてくれるわけでもなく、ソウはオウビが呼んだ馬車に乗っていった。

 どういうわけなのかわからず、オウビはニジの所に戻った。

 馬車が向かった先は家ではなく、月の民の駐屯所だった。

「先生疲れていませんか? 」

「大丈夫だよ。オウビの淹れたお茶が早く飲みたいがね。」

 オウビは微笑んだ。

 駐屯所には頭髪のない男がいた。

「オウビ、ホウド殿だ。」

 オウビが挨拶をすると、ホウドはまじまじとオウビの顔を見た。

「ソウ殿が推していたのだが……思った以上に美しい娘だ。」

「この子は美しいですがよく働く娘です。」

 ニジが笑った。

「とび蹴りもします。」

 ヘイジが言うと、ホウドが改めてオウビを見た。

「とび蹴りを、するのか? 」

「足は丈夫です。お見せしましょうか? 」

 オウビはヘイジを振り返った。ヘイジはさっと身構える。

「……機会があれば。」

 ホウドは深く聞いてしまったことを後悔するように、ニジを振り返った。

「ニジ殿。地図を。」

 ニジは机の上に地図を広げた。

「以前一緒に行った阿呈塁族の山だ。ここを調査して欲しい。」

 オウビははっとした。

「浮遊石のですか? 」

 ニジがうなづいた。

「山に住む部族の怒りを買いたくない。オウビは交渉ごとが得意だろ。」

「あの時は薬草を分けてもらっただけです。発掘をすれば、土地を傷めます。許してくれません。」

「まだ掘ると決まったわけじゃないんだ。」

 ニジが手を振っていった。

「場所を把握するだけだ。あるか、ないかだけでも知りたい。」

 オウビが何か言いかけると、ヘイジが言った。

「陽の民も同じことをするかもしれない。」

 オウビは理解した。陽の民にだけは、渡してはいけない。彼らは月の民よりもずっと地人を見下している。石を得るためにその土地に住む者を傷つけることなどいとわない。何より、先に奪われて戦争に使われることだけは避けたい。

「分かりました。いつからでしょう。」

  「明日からだ。彼と供に山に入ってくれ。」

ニジがヘイジをさしたので、オウビはヘイジをゆっくり振り返った。いやそうな顔をしたようにも見えた。

「分かりました。」

 多分、何か言いたいことがあったのだろうが、あえて言わなかったのだとヘイジは気づいた。

 オウビは屯所に残り、旅支度をするために物資の中から使えるものを選んでいた。鞄の中に荷物をつめていると、ヘイジが見下ろしていた。

「訓練を思い出します。山に置き去りにされ、一ヶ月暮しました。短剣一本だけもらいましたよ。」

「私も同じことをした。半年だったけど。」

 ヘイジはオウビが冗談だと言うのを待ったが、オウビは言わなかった。

「近衛兵が受けるのと同じ訓練をしてもらったの。お師匠様から。」

 オウビは紐をいくつか選んだ。

「ニジ博士が、貴方と一緒にいれば、冬に山で遭難しても心配することはないと。冗談だと思ってましたが、信頼してます。」

 オウビは、ヘイジがからかっただけかと思ったが、ヘイジは真面目な眼で見つめるので、顔をそらした。

「仕事であなたみたいな若い男の人に、そういう風に言われたの初めて。変な感じ。」

  褒めたのに、その言い方はひどい、とヘイジは感じた。オウビはふっと笑った。

「ヘイジが私を知ってたのに、びっくりした。」

 イタズラが見つかったような、子供のような顔だった。

「私のこと、知ってる人はあの方だけだった。他にいたのことに、びっくりした。」

 ヘイジは口を開きかけて、閉じて、また開いた。

「忘れませんよ。俺はあの時首席で合格するつもりだったのに、あなたにとび蹴りされて脳震盪起こして終わったんですから。」

 オウビがくすっと笑った。

「ヘイジ小さいのに強かったから。力もあったし、頭狙ってごめんね。」

「殺す気かと思いました。」

 幼い頃はとても悔しい思い出だったのだが、振り返ると笑えるのはなぜだろう。

 ヘイジは、オウビの細いうなじを見下ろした。幼い頃、初めて自分に蹴りをした娘。覚えていたのは眩しい蜜色の髪と、緑の眼。感情を露にした眼差し。焼き尽くされそうだった。

「オウビ、貴方はニジ博士と会う前はどこにいたんですか? 」

 ヘイジは、恐らく誰に聞くよりもずっとオウビに尋ねたほうがいいと思った。オウビの眼が、凍った。荷物をてきぱきしまうと、立ち上がった。

「明日日の出前に来るから。」

 そのまま彼女は出て行く。思わぬ反応にヘイジは何も声をかけられなかった。分かったことは、失言をしてしまったことだけだった。



 オウビはお湯を沸かしながら、鍋の中をじっと見た。咳をする音がした。

「先生、お医者様は? 」

 消化に良いものをよそおいながら、オウビは尋ねた。ニジは綺麗に盛られた見慣れない料理をおいしそうに眺めた。

「これは何だい? 初めて見るな。」

「大根に蜜を入れました。野菜を売っていた人が教えてくれた咳止めです。」

 ニジが眼を細めて笑った。

「お前はどこにでも入っていける良い娘だ。だが、陽の民が山を焼いたという話を聞いた。彼らには、天人は皆同じに見える。」

 ニジの顔がつらそうに歪んで見えた。

「あの方がそう望まれたなら、私は行きます。」

 オウビが笑うと、ニジもつらそうに笑った。

「お前ほどあの方を慕う者はいないだろう。だが、お前は一生影に潜むつもりか? 」

「影にいても月は見れます。」

 オウビは変わらない笑顔を向ける。純粋でひたむきな笑顔は、無碍な痛いほどだ。

「先生には心から感謝しています。あのままあそこにいるよりも、今の方があの方のお役に立てる。」

 オウビは幼い子供のように、無邪気に笑った。    

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